かわぐちかいじ氏の漫画『ジパング』

かわぐちかいじ氏の漫画『ジパング』では、「みらいを知る機会が与えられ、それを恐れず勇気を持って見つめた者は、その生き方が変えられる。」という主題が巧みなイマジネーションによって見事に描かれている。

この漫画にインスパイアされて、私は牧師としてこう思う。

「聖書、特に一番最後のヨハネの黙示録という啓示によって未来を知る機会が与えられ、それを恐れず勇気を持って見つめた者は、その生き方が変えられる。」そしてその時、人は、反転するかみなりをもたらす、祈りという武器によって、歴史を大きく動かすことができる。

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杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2016

マタイ福音書講解の続き

20160103新年聖餐礼拝メッセージ「預言者ヨナのしるし」(クリックで聴けます)

20160110礼拝メッセージ「キリストの母と兄弟たち」(クリックで聴けます)

20160117礼拝メッセージ「実を結ぶ人の秘訣」(クリックで聴けます)

20160124礼拝メッセージ「収穫の時期になったら」(クリックで聴けます)

20160131礼拝メッセージ「最小から最大へ」(クリックで聴けます)

20160207聖餐礼拝メッセージ「耳のある者は聞きなさい」(クリックで聴けます)

20160214礼拝メッセージ「ハイリスク・ハイリターン」(クリックで聴けます)

20160221礼拝メッセージ「郷里伝道」(クリックで聴けます)

20160228礼拝メッセージ「娘の願い」(クリックで聴けます)

20160306聖餐礼拝メッセージ「五つのパンと二匹の魚」(クリックで聴けます)

20160313礼拝メッセージ「主よ助けてください」(クリックで聴けます)

20160320礼拝メッセージ「着物のふさ」(クリックで聴けます)

20160327復活祭召天者記念礼拝メッセージ「再会の時」(クリックで聴けます)

20160403聖餐礼拝メッセージ「人を汚すもの」(クリックで聴けます)

20160410礼拝メッセージ「食卓から落ちるパンくず」(クリックで聴けます)

20160417礼拝メッセージ「七つのパンと魚」(クリックで聴けます)

20160424礼拝メッセージ「パンとパン種」(クリックで聴けます)

20160501聖餐礼拝メッセージ「キリストの教会」(クリックで聴けます)

20160508歓迎礼拝メッセージ「御子、主イエスと同じ姿に完成させてくださる神の愛」(クリックで聴けます)

みんなで伝道する教会になるセミナー(クリックで聴けます)

20160515ペンテコステ礼拝メッセージ「聖霊の注ぎ」(クリックで聴けます)

20160522礼拝メッセージ「全世界を手に入れても」(クリックで聴けます)

20160529礼拝メッセージ「わたしの愛する子」(クリックで聴けます)

20160605聖餐礼拝メッセージ「山を動かす信仰」(クリックで聴けます)

20160605宣教夕拝メッセージ「和解の務め」(クリックで聴けます)

20160612礼拝メッセージ「最初に釣れた魚」(クリックで聴けます)

20160619父の日歓迎礼拝メッセージ「父の御顔」(クリックで聴けます)

20160626礼拝メッセージ「ふたりでも三人でも」(クリックで聴けます)

20160703聖餐合同礼拝メッセージ「主が赦されたように」(クリックで聴けます)

20160710礼拝メッセージ「結婚、離婚、独身」(クリックで聴けます)

20160717礼拝メッセージ「子どもたちのための国」(クリックで聴けます)

20160724礼拝メッセージ「先があと、あとが先に」(クリックで聴けます)

20160731朝霞聖書教会礼拝メッセージ「苦しみがもたらすもの」(クリックで聴けます)

20160807聖餐礼拝メッセージ「気前がいい神」(クリックで聴けます)

20160814礼拝メッセージ「神の国で偉い人」(クリックで聴けます)

20160821礼拝メッセージ「神を立ち止まらせる祈り」(クリックで聴けます)

20160828礼拝メッセージ「馬ではなくロバの子」(クリックで聴けます)

20160904聖餐礼拝メッセージ「宮の中の出来事」(クリックで聴けます)

20160911礼拝メッセージ「信じて祈り求めるもの」(クリックで聴けます)

20160918朝霞聖書教会礼拝メッセージ「天を見上げて地上を旅する」(クリックで聴けます)

20160925礼拝メッセージ「先に神の国に入る者」(クリックで聴けます)

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2015はこちら

杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2014はこちら

聖書の全体像がわかる神の大いなる物語 GOD’S BIG PICTURE

聖書の全体像がわかる神の大いなる物語
著者 ヴォーン・ロバーツ
訳 山崎ランサム和彦

GOD’S BIG PICTURE Tracing the Storyline of the Bible
by Vaughan Roberts

神の大いなる物語 GOD'S BIG PICTURE

聖書の内容は明らかに多岐にわたっています。けれどもすべてを一つにまとめる最も重要な主題が一つあります。それは、イエス・キリストとイエスを通して神が提供される救いです。(本文より)

本書の目的は、あなたに聖書の中心的なストーリーラインの概観を示すことです。それによって聖書のあらゆる細部に通じた専門家になることはできませんが、あなたが聖書のどの地点に「上陸」しても、自分のいる場所が特定できるようになることを願っています。本書を読み終わる頃までには、あなたの頭の中には聖書の物語のアウトラインができあがっていて、どの部分を読んでいたとしても、あなたは自分がどこから来てどこに向かおうとしているかが分かるようになるはずです。またそれによって、あなたは聖書の各部分がどのようにイエス・キリストとイエスが達成された救いを指し示しているかが分かるようになるでしょう。(p29)

聖書の中に永眠というものはない。あるのは死者の復活。

聖書の中に永眠というものはない。あるのは死者の復活。//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

いのちのことば社Word Chapel

Word Chapel
いのちのことば社
2016年8月23日(火)、東京中野にある、いのちのことば社本社ビルで持たれているWord Chapelに招かれ、感謝な時が与えられました。書籍やCDなどのプレゼントもいただき、5階建てビルの見学もさせていただき、本当にありがとうございました。いのちのことば社のすべての出版物が、これからますます、まだ聖書の素晴らしさを知らない方々のために、豊かに用いられますように。
メッセージタイトル:天を見上げて地上を旅する
聖書箇所:創世記15章1−6節
20160823Word Chapelメッセージ「天を見上げて地上を旅する」(クリックで聴けます)
まだ聖書の素晴らしさを知らない方々のために、以下の文章をこれからさらに練り直します。

本田路津子 MY PORTRAIT Ⅱ 足跡
聖書ガイドMOOKリアル聖書入門
揺れ動く時代におけるキリスト者の使命
Word of Life Press Ministries

福音的な聖書の読み方のコツ

福音的な聖書の読み方のコツ
先行する恵みにいつも思いを向ける。
聖書の中に命令が出てきたら、まず神がその命令を私に対して実践してくださったことに思いを向ける。
例えば、マタイ22章34−40節に記されている聖書の中で一番大切な命令について、実践してみよう。

1、心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ
2、あなたの隣人を自分自身のように愛せよ

まず神が、心を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、思いを尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、知力を尽くして私を愛してくださったことに思いを向ける。
まず神が、私の良き隣人となって寄り添い、私をご自身のように愛してくださったことに思いを向ける。
そのように私を愛してくださった神に思いを向けるなら、神を喜び、神に感謝し、神を愛することはそんなに難しいことではなくなる。
これが福音的な聖書の読み方のコツ。先行する恵みにいつも思いを向けること。

私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
1ヨハネの手紙4章19節

ヨハネ福音書の中で、主イエスの新しい戒めとして提示されている内容を覚えても、上記の内容を福音的な聖書の読み方として裏付けることができます。

あなたがたに新しい戒めを与えましょう。
互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。
ヨハネ福音書13章34−35節


互いに愛し合いなさい。なぜなら主がまず私たちを本気で愛してくださったから。
互いに仕え合いなさい。なぜなら主がまず私たちに仕え、汚れた足を洗ってくださったから。
互いに赦し合いなさい。なぜなら主がまず私たちを赦してくださったから。
そして主の愛と赦しは、実は私たちの悔い改めにも先行します。あらゆるものに先行する恵み。それを知った時初めて、私たちは真に悔い改めることができるのです。
ルカ福音書23章34節には、私たちの悔い改めに先立つ神の赦しが、十字架の主イエスによって明確に啓示されています。

「父よ。彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」

天を見上げて地上を旅する

埼玉県北葛飾郡杉戸町、旧日光街道沿い、古利根の流れのほとりに植えられた杉戸キリスト教会、野町真理牧師のゴスペルメッセージ。

キリエ KYRIE 宗教詩集より教会暦

キリエ KYRIE 宗教詩集
ヨッヘン・クレッパー 著
富田恵美子・ドロテア 富田裕 訳
キリエ宗教詩集 ヨッヘン・クレッパー
p34-37より

教会暦

あなたは星としてわたしたちの上にのぼり、
初めから輝きとして近づかれた。
わたしたちは闇に包まれていたが、
突然に道を見出した。
雲間から射す光の後を
わたしたちは胸を弾ませてついて行った。
長い旅路の終わりに
あなたは馬屋でわたしたちに休息を与えた。
藁と飼い葉桶が示したものを、
ただただ驚きのうちに掴んだ。
描き出された約束ではなく、
その約束は果たされていた。
そして、飼い葉桶と星と羊飼いたちの上に
あなたの山ゴルゴタの山が聳えたち、
道に迷った人たちの目前に
闇の中からあなたの十字架が浮かび上がった。
わたしたちのためにあなたが死んだ十字架の立つところで、
わたしたちは信じた。
岩に穿たれた墓の前に
堅い、重い石が置かれた。
翌朝、香油を塗るためにやって来て
わたしたちが目にしたものは、ただあなたの屍衣。
いかなる岩もあなたの道を阻むことなく、
わたしたちは、主よ、あなたに立ち帰り、ついて行った。
あなたの脇腹に開いた傷に
あなた自らがわたしたちの手を取って触れさせた。
そしてあなたと別れる時まで
あなたの傍においてパンと葡萄酒でもてなした。
あなたを天に引き上げた雲は、
私たちを恐れと恥から解き放った。
鳩のように、光の降り注ぐ中を、
あなたはそっと降りて来られた、
わたしたちに炎の輝きを注ぎ、
残された者たちに賜物をお与えになった。
天が開かれ、
あなたがわたしたちに祈りを授けられた。
星と飼い葉桶、十字架と鳩を通して、
岩と雲、パンと葡萄酒を通して
たゆまずわたしたちの信仰は
ひたすら御言葉の深みに入りゆく。
飛び去るわれらの時代にも、
あなたの到来を見ない年月はない。

カラヴァッジョ展の恵み

カラヴァッジョ展
昨日、これまで敬遠していた東京の良さと、東京に隣接する埼玉の良さを改めて知る素敵な時が与えられた。
いろいろな事が重なって、素敵な時が与えられたことに深く感謝。まず、私が牧師をしている杉戸キリスト教会のある方が、「上野の国立西洋美術館で開催されているカラヴァッジョ展をぜひ見に行ってください」と言って先立つものをプレゼントしてくださった。そして、昨日予定していた求道中の方との聖書の学びが急遽キャンセルになり、午後の予定が空いた。さらに、外に出かけたくなるような青空と陽光と新緑が眩しい5月の晴れた日だった。
私の住んでいる埼玉県北葛飾郡杉戸町から東京の上野までは、東武スカイツリーラインと地下鉄日比谷線の相互乗り入れのおかげで約1時間で行ける。飛行機や電車を乗り継いではるばる東京に出てこられる方も多いのに、わずか1時間で上野の美術館に行けるというのは埼玉の素晴らしい点。
東京と言っても超高層ビルが立ち並ぶ所だけではない。上野公園には新緑の木々や正岡子規記念球場や西郷さんの像がある。関東大空襲による戦後の焼け野原では、遠くから上野の西郷さんの像だけが見えたと聞く。
上野の西郷さん
さて、最初私はカラヴァッジョと聞くと、残酷な首切り画家というような印象しかなく、あまり行きたくないなと思っていた。けれども調べてみると、私の大好きなレンブラントにも大きく影響を与えた画家だということがわかり、楽しみにしながらいろいろとネットで下調べをして鑑賞に備えたが、百聞は一見に如かずだった。
西洋の文学や美術には、BIBLE・聖書の内容をテーマにしたものが多いが、もちろんカラヴァッジョの作品にも多い。「洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)」、「エマオの晩餐」における復活の主イエス・キリスト、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」、「法悦のマグダラのマリア」などが今回の公開作品にはあった。
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法悦のマグダラのマリア
世界初公開という「法悦のマグダラのマリア」。実は彼女の前になるキャンバスの左上には、ライティングによって背景の闇の中からかすかに浮かび上がってくる十字架が描かれている。彼女は、手をしっかりと水平に組みながら仰け反り、左腕を後ろによじらせながら、骸骨の上に左肘をつけて体重を支えている。
注目すべきは左上の十字架と右下の骸骨を結ぶライン。そしてもう一つは左上に仰け反り右下に下半身を投げ出している彼女の体の傾きによって描かれているライン。この二つのラインがキャンバスにXの構図を描き出している。そして対照的なのは左右の腕の色。十字架に近い右腕は明るく白く描かれているが、骸骨に上半身の体重を預けている左腕は暗く、ほとんど黒に近い濃さで描かれている。そして彼女が見上げている左上、十字架の上だけにはうっすらと光がある。彼女は上半身は白い衣を着て、下半身は赤い衣をまとっている。彼女のお腹は妊婦さんのように膨らんでいるが、腹部の衣は白がかなり黒ずんでいることから、罪を孕んでいることの象徴のように見える。
この作品は、人を殺め、逃亡しながらも最後までカラヴァッジョが手放さなかった作品だそうだ。恐らくカラヴァッジョは、罪を孕み、赦しを求め、死との闘いの中で十字架を見上げ、神のあわれみを求め、晩年には罪の赦しに基づく平安と歓喜の中で、自ら描いたマグダラのマリアのように法悦していたのではないかと私は想像する。
十字架も骸骨も死の象徴である。けれども十字架は罪の赦しの象徴であり、罪から来る報酬である死に打ち勝ち、復活の命を与える神の愛の象徴である。罪のない神の御子、主イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれた。けれども主イエスは3日目に復活なさり、罪と死に勝利された。そのような主イエス・キリストの福音による罪と死に対する勝利がこの絵には描かれているように感じた。

『氷点』解凍 森下辰衛

『氷点』解凍 森下辰衛

神から離れているために生きる目的がわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために愛されていることがわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために愛することができなくなるとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
神から離れているために罪をゆるされることがわからないとき、人は自分の存在価値を見失って凍える。
p239-240

同じことをしても、人がしたら悪く、自分がしたら悪くないのだ。不倫の場合などは更に顕著だ。他人のしている不倫は世にも汚らわしいものだが、自分がするのは美しい運命の恋ということになる。そして他人のした善行は「当たり前のこと」なのに、自分のそれは世界に伝えるべき美談になるのだ。人間を計る尺度に自分用と他人用がある。それは、神の方を向かないから可能なのだ。そして、人は皆、自己中心に生きたいので、神の方を向こうとはしない。p69

漱石は、自由や独立や自己という概念をよきものとして移入してきた近代の日本人の心を観察して、その「淋しみ」を描いたのだが、三浦綾子はもうひとつの日本近代の節目であり、また彼女自身の人生の転換点でもあった敗戦後において、日本人の心の実験を始めようとしている。見本林の「すぐ傍ら」に辻口家が設定され、戦後の十七年余の時代を背景にその家族と彼らをめぐる人間たちの愛し憎み、葛藤する心が実験観察されることになる。つまり辻口家は戦後の日本の家族と日本人の心の見本であるのだ。「和、洋館から成る辻口病院長邸」にもそれは表れている。・・・日本的なものと西洋的なものが折衷した家、それはそのまま戦後の日本人の心の時代状況なのだ。p57

「地獄とは、もう愛せないということだ」by ドストエフスキー
「罪とは、もう愛さないということだ」by 森下辰衛

ここには三浦綾子の、そして同時に神の、胸の裂けるような痛みと懊悩と涙があるように感じられる。誰でもいいほど淋しかったのに、誰にも愛されず、誰をも愛せない。それが人間なのか。そこに愛の本源たる神を離れた人間の悲惨がある。p105