神の言葉は出来事に 東京プレヤーセンターお昼の礼拝にて

メッセージ題:神の言葉は出来事に
聖書:ルカの福音書1章1-20節
主題:神の言葉は、人間の不信仰を超えて、時が来ると必ず出来事になる。
日時:2023年11月21日(火)12時15分〜
東京プレヤーセンターお昼の礼拝にて

お茶の水クリスチャンセンター

ローマ人への手紙講解メッセージ2023

『全世界を幾度も改造したる歴史を有し、なお将来も、しかする力を具備せる一書。この一書こそロマ書である。』内村鑑三著「ロマ書の研究」より

ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

行く年2021&来る年2022

2021年は、聖火リレーの後、東京オリンピックとパラリンピックが行われ、その後2年目の新型コロナウイルス感染症が猛威を振るった。しかしその後、日本においては奇跡的にコロナが収まり、この年末を迎えている。

2022年は、どんな年になるのだろう。2022年は、「人生の旅を聖書とともに」というテーマを掲げて歩みたい。そんなふうに祈り願っている。

フロンティア2019青年宣教大会

国内宣教を受け持つ伝道部の部員として、フロンティア青年宣教大会に全日参加することができた恵み。
青年たちで約350名、キッズとそのご家族を入れると500名ほどの参加者。
全力でメッセージをとりついでくださった講師の先生方、準備から縁の下の力持ちとして関わってくださったスタッフの先生方と神学生。国内宣教の分科会はなくなってしまったが、ブースでキャラバン伝道の案内などを配らせていただいた。豊かに用いられますように。

フロンティア2019青年宣教大会

関東宣教区有志による伊豆大島プロジェクト2017-08

日本同盟基督教団・関東宣教区有志たちが、宣教師のフロンティアスピリットを学びに伊豆大島に行きました。

多くの方々の祈りと支援に支えられて、無事に帰ってくることができました。心より感謝します。

終始お世話になった「いずみのいえ」の古谷牧師ファミリーにも心から感謝します。どうもありがとうございました。

さるびあ丸

伊豆大島プロジェクト。行きは竹芝から「さるびあ丸」に乗り、船中泊でした。

岡田港から上陸

行きは岡田港から伊豆大島に上陸。

いずみのいえ1日目の朝

いずみのいえ1日目の朝。海を眺める素敵な時間。

いずみのいえ

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いずみのいえの展望台にて

ここからの眺めは最高です。夜にはムーン・リバーと満天の星空を見上げることができました。聖書(創世記15章5節)によると、数え切れない星の数ほどの人たちが天国に招かれています。

MOON RIVER

伊豆大島から天を見上げて

いずみのいえのチャペル

いずみのいえのチャペル。ピアノ、ギター、ドラムなど、楽器がありました。チャペルの後ろにはクライミングボードもあります。

クライミングボード

朝食後の分かち合い

大島元村教会の菅野牧師夫妻

河村冴牧師

大島元村教会にてお交わり

大島元村教会にて

移設された大島元村教会の旧会堂

終始お世話になったいずみのいえの古谷牧師

伊豆大島土砂災害で亡くなられた方々の献花台

1日で800ミリほどの豪雨があり、多くの方々が犠牲になりました。

伊豆大島土砂災害の爪痕

大島から伊豆半島眺望

これから三原山に登ります

かつて宣教師は波浮から元村まで徒歩で山越えをして、福音宣教、開拓伝道を行ったとのこと。少しでもそのスピリットを覚えるために、三原山に登りました。

三原山火口

ゴジラ

ゴジラは伊豆大島の三原山火口から出てきました!

いずみのいえ夕食はバーベキュー

最後に「くさや」が出ました!昔大島などでは米の代わりに塩を年貢として納めていたため、塩を自分たちで使うことはできませんでした。そのため、海水に腹を裂いた魚を入れて「くさや」を作り、塩分を取っていたようです。強烈な匂いの故に、好き嫌いがはっきり分かれます。台湾の臭豆腐のような強烈な匂いです。

地層大切断面

道路を建設していたら、このような地層が出てきたようです。

地層切断面にて

波浮教会

波浮教会会堂

波浮教会でのお交わり

波浮教会にて

歌の贈り物

波浮港 踊子の里

旧甚の丸邸

宣教師がここを宿として大島に福音宣教を行なったようです。

波浮港

アンコ椿は恋の花

トウシキ海岸にて海水浴

海坊主と海水浴

キリシタン「ジュリアおたあ」を偲ぶ十字架

筆島

いずみのいえにて記念撮影

帰りはジェット船にて

海上もラッシュ

飛行機もラッシュ

東京都心に近づくと、海上もラッシュ、飛行機もラッシュ。おそらく首都高もいつものようにラッシュ。さすが文化の中心、経済の中心、そして政治の中心としての世界的な都市TOKYOを覚えました。(ちなみにアメリカでは文化の中心と経済の中心と政治の中心は3つの都市に分散しています)

https://flic.kr/s/aHsm69xr8b

カラヴァッジョ展の恵み

カラヴァッジョ展
昨日、これまで敬遠していた東京の良さと、東京に隣接する埼玉の良さを改めて知る素敵な時が与えられた。
いろいろな事が重なって、素敵な時が与えられたことに深く感謝。まず、私が牧師をしている杉戸キリスト教会のある方が、「上野の国立西洋美術館で開催されているカラヴァッジョ展をぜひ見に行ってください」と言って先立つものをプレゼントしてくださった。そして、昨日予定していた求道中の方との聖書の学びが急遽キャンセルになり、午後の予定が空いた。さらに、外に出かけたくなるような青空と陽光と新緑が眩しい5月の晴れた日だった。
私の住んでいる埼玉県北葛飾郡杉戸町から東京の上野までは、東武スカイツリーラインと地下鉄日比谷線の相互乗り入れのおかげで約1時間で行ける。飛行機や電車を乗り継いではるばる東京に出てこられる方も多いのに、わずか1時間で上野の美術館に行けるというのは埼玉の素晴らしい点。
東京と言っても超高層ビルが立ち並ぶ所だけではない。上野公園には新緑の木々や正岡子規記念球場や西郷さんの像がある。関東大空襲による戦後の焼け野原では、遠くから上野の西郷さんの像だけが見えたと聞く。
上野の西郷さん
さて、最初私はカラヴァッジョと聞くと、残酷な首切り画家というような印象しかなく、あまり行きたくないなと思っていた。けれども調べてみると、私の大好きなレンブラントにも大きく影響を与えた画家だということがわかり、楽しみにしながらいろいろとネットで下調べをして鑑賞に備えたが、百聞は一見に如かずだった。
西洋の文学や美術には、BIBLE・聖書の内容をテーマにしたものが多いが、もちろんカラヴァッジョの作品にも多い。「洗礼者ヨハネ(バプテスマのヨハネ)」、「エマオの晩餐」における復活の主イエス・キリスト、「エッケ・ホモ(この人を見よ)」、「法悦のマグダラのマリア」などが今回の公開作品にはあった。
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法悦のマグダラのマリア
世界初公開という「法悦のマグダラのマリア」。実は彼女の前になるキャンバスの左上には、ライティングによって背景の闇の中からかすかに浮かび上がってくる十字架が描かれている。彼女は、手をしっかりと水平に組みながら仰け反り、左腕を後ろによじらせながら、骸骨の上に左肘をつけて体重を支えている。
注目すべきは左上の十字架と右下の骸骨を結ぶライン。そしてもう一つは左上に仰け反り右下に下半身を投げ出している彼女の体の傾きによって描かれているライン。この二つのラインがキャンバスにXの構図を描き出している。そして対照的なのは左右の腕の色。十字架に近い右腕は明るく白く描かれているが、骸骨に上半身の体重を預けている左腕は暗く、ほとんど黒に近い濃さで描かれている。そして彼女が見上げている左上、十字架の上だけにはうっすらと光がある。彼女は上半身は白い衣を着て、下半身は赤い衣をまとっている。彼女のお腹は妊婦さんのように膨らんでいるが、腹部の衣は白がかなり黒ずんでいることから、罪を孕んでいることの象徴のように見える。
この作品は、人を殺め、逃亡しながらも最後までカラヴァッジョが手放さなかった作品だそうだ。恐らくカラヴァッジョは、罪を孕み、赦しを求め、死との闘いの中で十字架を見上げ、神のあわれみを求め、晩年には罪の赦しに基づく平安と歓喜の中で、自ら描いたマグダラのマリアのように法悦していたのではないかと私は想像する。
十字架も骸骨も死の象徴である。けれども十字架は罪の赦しの象徴であり、罪から来る報酬である死に打ち勝ち、復活の命を与える神の愛の象徴である。罪のない神の御子、主イエス・キリストが、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれた。けれども主イエスは3日目に復活なさり、罪と死に勝利された。そのような主イエス・キリストの福音による罪と死に対する勝利がこの絵には描かれているように感じた。

礼拝メッセージ「仕事バイブル」

礼拝メッセージ「仕事バイブル」(クリックで聴けます)
聖書箇所:出エジプト記2章23ー25節

23 それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。24 神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。25 神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。 出エジプト記2章23−25節