焼けない建物

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礼拝メッセージ「十字架のことば」

礼拝メッセージ「十字架のことば」(クリックで聴けます)
聖書箇所:1コリント人への手紙1章18ー25節

十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。1コリント1章18節

礼拝メッセージ「神の教会へ」

礼拝メッセージ「神の教会へ」(クリックで聴けます)
聖書箇所:1コリント人への手紙1章1ー17節

1神のみこころによってキリスト・イエスの使徒として召されたパウロと、兄弟ソステネから、2 コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。1コリント1章1−2節

おかげさまで60周年!

杉戸キリスト教会60周年記念集会
60周年ちらし
60周年記念礼拝パンフレット1
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60周年

母の日歓迎礼拝メッセージ「父母を敬う祝福」

母の日歓迎礼拝メッセージ「父母を敬う祝福」(クリックで聴けます)
ぜひこのメッセージを聞いてください。あなたの上に神さまの祝福が豊かにありますように。
聖書箇所:出エジプト記20章1ー12節

1それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。2「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。3あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。4あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、 恵みを千代にまで施すからである。7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。−−あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も−− 11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。出エジプト20章1−12節

テレメンタリー2013「3.11を忘れない 原発に一番近い教会」

母の日歓迎礼拝式のご案内

いよいよ今度の日曜日は母の日です。母の日のルーツはキリスト教会にあります。ぜひ時間をつくって、お気軽にお集いください。
2013母の日歓迎礼拝カード
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ダルムシュタット宣言(日本版)

ダルムシュタット宣言(日本版)
今のこの時代に、アジアの中の日本に派遣された牧師として、以下の内容を宣言します。

第一項-罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する
第二項-ナショナリズムと日本民族優越主義に対して
第三項-教会と保守勢力との同盟
第四項-悪しき者たちに対する善き者たちの戦線
第五項-共産主義が提示している、忘れられた教会の使命
第六項-キリスト者・教会に与えられている自由
第七項-正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国

第一項-罪責の認識はキリストによる和解に基づいてのみ存在する †
 われわれには、イエス・キリストの十字架と復活において、世界が神と和解されたという福音が語られている。この和解の福音をわれわれはまず聞き、それを本当に味わうことによってそれに生き、また伝えなければならない。もしわれわれが、自らのすべての罪責、つまり父祖たちとわれわれ自身の罪責から解き放たれておらず、われわれが日本人として、われわれの政治的意図・行動において過ちに踏み込んでしまったすべての誤った悪しき道から、良い羊飼いであるイエス・キリストによって呼び戻されていないとするならば、この和解の福音は聞かれておらず、受け入れられておらず、行われても伝えられてもいないことになるのである。

第二項-ナショナリズムと日本民族優越主義に対して †
 われわれは、あたかも世界は日本的本質(国体)に触れることによって救われるかのように、特別に日本には使命があるなどという夢を見始めた時、過ちに踏み込んでしまった。また、われわれは、われわれが聞くべき王の王、主の主としてのイエス・キリストに聞くことをしなかった。そのことによってわれわれは、政治的権力の無制限の使用に対して道を備え、われわれの民族を神の御座の上に置いた。われわれは自分たちの国家を内に対してはただ強い政府の上に、外に対してはただ軍事的な力の展開の上に基礎づけ始めたが、これは致命的に誤っていた。そのことによってわれわれは、われわれ日本人に与えられている贈物をもって、諸国民の共通の課題に仕えつつ協力するという召しを否定してしまったのである。

第三項-教会と保守勢力との同盟 †
 われわれは、人間の社会生活の中で必要となってきた新しい秩序に対して、「キリスト教的戦線」なるものを結成し始めた時、過ちに踏み込んでしまった。古い・在来のものを維持する保守勢力と教会の同盟は、われわれに対するきびしい報復となって帰ってきた。われわれは、人間の共同生活がそのような変革を求めているところで、生活の諸様式を変えることをわれわれに許しかつ命ずる、キリスト教的自由を売り渡してしまった。われわれは革命への権利は否定したのに、絶対的独裁制への発展は許容し、歓迎したのである。

第四項-悪しき者たちに対する善き者たちの戦線 †
 われわれは、政治的な生活の中で、政治的手段によって、悪しき者たちに対する善き者たちの、暗黒に対する光の、義しからざる者たちに対する義しき者たちの戦線なるものを結成しなければならないと考えた時、過ちに踏み込んでしまった。それと共にわれわれは、政治的、社会的、世界観的な統一戦線の結成によって、すべての人に対する神の恵みの自由な提供を変造し、世界をその自己義認にゆだねてしまったのである。

第五項-共産主義が提示している、忘れられた教会の使命 †
 われわれは、マルクス主義的教説の経済的な唯物主義が、この世における人間の生活と共同生活のために与えられている教会の委託や約束を果たすように、教会に注意を促さなければならなかったのだということを見過ごした時、過ちに踏み込んでしまった。われわれは、来たるべき神の国の福音にふさわしく、貧しい人々や権利を奪われた人々の事柄を、キリスト教会の事柄とすることをなおざりにしたのである。

第六項-キリスト者・教会に与えられている自由 †
 われわれが以上のことを認めて告白するとき、われわれは自分たちがイエス・キリストの教会として、神の栄光と人間の永遠的また時間的な救いのために、新しく、そしてより良く奉仕するべく自由にされていることを知るのである。キリスト教と日本文化といったスローガンではなく、イエス・キリストの死と復活の力によって神のもとへ立ち戻り、隣り人のところへ赴くことこそが、われわれの民族、また民族の真只中で、とくにわれわれキリスト者に必要なことである。

第七項-正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕える新しい日本国 †
 われわれは、「イエス・キリストによって、この世の神なき束縛から脱して、彼の被造物に対する自由な感謝に満ちた奉仕へと赴く喜ばしい解放がわれわれに与えられる」と告白した。そして、今日新しくそれを告白する。それゆえにわれわれは、切に訴える。絶望をあなたの主たらしめるな。なぜなら、キリストが主なのであるから。すべての不信仰な無関心に別れを告げよ。昔はもっと良かったといったたぐいの夢想や、来たるべき戦争の思わくなどに惑わされず、この自由において、また大いなる冷静さをもって、われわれのすべて、われわれの各自がより良き日本の国の建設のために負っている責任を自覚せよ。新しい日本国は、正義と福祉と内なる平和と諸民族の和解に仕えるものなのです。

参考文献 †
ベルトールト・クラッパート『和解と希望-告白教会の伝統と現在における神学』、新教出版社、1993年
J.モルトマン『二十世紀神学の展望』、新教出版社、1989年

栄光在主
日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師 野町真理