2018父の日歓迎礼拝案内のご案内

2018父の日歓迎礼拝案内

杉戸キリスト教会地図2016

父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て

父となる旅路 聖書の失敗例に学ぶ子育て//embedr.flickr.com/assets/client-code.js

「主は愛する者を懲らしめる」とあるように、父の真実な愛は子どもの幸せを願い、「懲らしめ」を与える。懲らしめを与えることには精神的苦痛が伴う。懲らしめを与える者は愛されず、憎まれる。懲らしめを与えることで、築いてきた関係が一時的に損なわれることがある。しかし、父の愛は子どもの将来を見据えている。今、子どもに喜ばれることよりも、将来、いつの日にか感謝されることを選び取る。父なる神の愛が、その模範である。神が私たちの人生に試練を許されるのも、同じ愛からである。p48

「アブラハムの神」

「アブラハムの神」
野町真理(のまちしんり) 杉戸キリスト教会牧師、関東宣教区長

★1「アブラハムの神」

しかし、主はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。創世記12:17

聖書は聖人君子やエリートばかりが登場する偉人伝だと、多くの人が誤解しています。それが聖書を読みたがらない理由の一つでしょう。しかしそうではありません。信仰の父と呼ばれるアブラハム(元の名はアブラム)でさえ、聖人君子やエリートではなく、私たちと同じ普通の人でした。アブラムは旅の途上で深刻なききんに遭った時、主なる神ではなくエジプトに身を避けました。その時アブラムは、美人の妻のために自分が殺されるかもしれないという恐れに囚われ、妻を妹だと偽りました。アブラムは、自分が助かるためには、妻を犠牲にしてもかまわないと考えて行動したのです。その結果、アブラムの妻サライは、エジプト王パロの妻として召し入れられます。あなたが女性なら、アブラムの夫になりたいと思いますか?もし上記のみことばのような、主なる神による助け船がなければ、アブラハム夫妻を通して全世界のすべての国民を祝福するという神の壮大な計画は頓挫していたのです。天を見上げて、アブラハムの神、アーメンなる神の、力強い真実を覚え、神に賛美をささげましょう。

★★2「祭壇を築く歩み」

そこは彼が最初に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは、主の御名によって祈った。創世記13:4

私たちの対応によって、「危機」は「危険」にも「機会」にもなり得ます。「試み」は、「つまずきの石」にも「踏み台」にもなり得るのです。アブラムは「危機」の時、主なる神に身を避けることをせず、エジプトに身を避けました。それは、「祭壇を築いて神に祈る日常」から離れていたアブラムが犯した、致命的誤りでした。その結果アブラムは恐れに囚われ、旅の仲間である家族親族を「危険」へと導いてしまったのでした。もしもアブラムが「危機」の時、主なる神に身を避けていたなら、つまり、ネゲブの地でも祭壇を築き、主なる神を信頼し、天を見上げ、主の指示を仰いでいたら、どうだったでしょうか。旅の仲間と一緒に神の栄光を見る「機会」が与えられたことでしょう。「祭壇を築いて神に祈る日常」こそ、キリスト者の生命線であり、「危機」を「機会」とするための最大の備えです。静まって聖書のみことばに耳を傾けること、天を見上げて祈り叫ぶこと、人生の主導権を神に明け渡すこと、自分自身を神にゆだねて祭壇に献げることが私たちの日常となるように、主イエスの御名によって祈り求めましょう。

★★★3「新しい勇気と風格」

彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。あなたの手に、あなたの敵を渡されたいと高き神に、誉れあれ。」アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた。創世記14:19-20

教会は、地上を旅する神の民である以上、蚊帳の外で生きることはできません。悪が現実に存在する地上を旅する限り、艱難や戦争に巻き込まれます。ソドムに住んでいた自分の親類、おいのロトたちが略奪されたという知らせを聞いた時、新しい勇気を授かったアブラムは、しもべたちを召集して悪に立ち向かいます。そしてアブラムは見事戦いに勝利し、ロトたちを救出したのでした。その時、シャレムの王であり、いと高き神の祭司、メルキゼデクがアブラムに現れ、上記のような言葉をもってアブラムを祝福しました。アブラムは、神の恵みに応答して、感謝とともにすべての物の十分の一をメルキゼデクに献げました。ソドムの王は高慢な態度をもってアブラムを迎えましたが、アブラムは風格高き態度をもってソドムの王に応じました。新しい勇気と風格を与えてくださるアブラハムの神に、賛美と感謝を心から献げましょう。

★★★★4「星空散歩」

そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。創世記15:5-6

私たちを養育するために、主なる神がお用いになる事の一つ。それは、「時間をかけて約束を出来事に至らせる」ということです。待つという長い時の中、恐れるアブラムを主なる神がご覧になった時、主は幻のうちにアブラムに臨み、力強いみことばをもってアブラムを励まされました。その時アブラムは、率直に不安や不信の思いを主に打ち明けました。星空の下をアブラムと共に散歩しながら、主は「見上げること」をアブラムに促します。見上げた先からアブラムの目に飛び込んできたもの。それは星屑でした。天の川をはじめとする数え切れない星たちが、天には静かに瞬いていたのでした。その壮大なビジョンの中、上記のような約束のことばが語られ、アブラムは主を信じ、主はそれを彼の義と認められたのでした。信仰義認。信仰によって義と認められるという教えは、16世紀に宗教改革者たちが再発見した真理が、ここに明記されています。

★★★★★5「ご覧になる神」

そこで、彼女は自分に語りかけられた主の名を「あなたはエル・ロイ。」と呼んだ。それは、「ご覧になる方のうしろを私が見て、なおもここにいるとは。」と彼女が言ったからである。創世記16:13

アブラム夫婦は、神の約束を信じて旅を続けます。しかし困難な状況の中、再び神を信じきれない弱さが表に出てきます。しかし愛の眼差しをもって、すべてをご覧になる神が、いつでも共におられます。信仰生活における問題は、神の約束を信じきれない弱さです。約束が与えられているがなかなか答えられない。祈っても困難な状況が生じてくる。いくら神でもこの状況で約束が現実のものになるとはとても信じられない。信仰の父アブラムにも、何度もそういう時がありました。かつてアブラムは、不信仰から自分の命だけを守ろうとして大失敗を犯しました。この度は、不信仰から人間的な小細工によって神の約束を成就させようと試みたのです。危機的な状況の中、神の約束を信じきれないアブラムの弱さが、再び家族を一触即発の危険へと導きます。アブラムを多くの国民の父として選んだ主なる神は、そのような時に、力強い御手をもって介入し、問題を解決してくださる方です。主は祝福を与え、問題を解決してくださいます。アブラム夫婦が不信仰でも、主はいつも真実と忍耐をもって、一人一人の家族を細やかに導かれるのです。

★★★★★★6「全能の神」

わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたをおびただしくふやそう。創世記17:1-2

主なる神は、具体的な約束をもってアブラムの信仰を育まれます。創世記17章で、主なる神は全能の神(エル・シャダイ)として現れ、アブラムとその子孫との間に割礼による契約を結んでくださいます。全能の神は、アブラムにアブラハム(多くの国民の父)という名前を、妻のサライにサラ(王女)という新しい名前を与えられました。アブラハムは、イシュマエルをはじめ家族内のすべての男と共に割礼を受けて契約を成立させます。けれども、全能の神の御前にひれ伏しながら笑顔を見せるアブラハムの心中には、なお不信仰な冷笑とつぶやきがあったことを聖書は明記しています。『アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」』これが旧約聖書が語っている等身大の信仰の父、アブラハムです。しかし私たちが見上げている同じ全能の神は、そのような私たちを信仰の成人へと育て上げることの出来る全能の神です。

2014父の日歓迎礼拝式のご案内

https://www.flickr.com/photos/nomachishinri/14178742109/player/

https://www.flickr.com/photos/nomachishinri/14407934334/player/

https://www.flickr.com/photos/nomachishinri/8270744543/player/

父として勝利する秘訣

2012父の日歓迎礼拝のご案内

父として勝利する秘訣

樋口了一/手紙~親愛なる子供たちへ~

素敵ないい歌です^・^。

アブラハムの生き様を通して仰ぐ神の御思い

アブラハムの生き様を通して仰ぐ神の御思い

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの父と母を敬え。出エジプト記20章12節

十戒の前半には、私たちを奴隷の家から救い出して下さった神との関わり方が語られています。後半には、隣人との関わり方が語られています。十戒を通して、神が私たちに教えておられること。それは、親子関係に始まる人間関係の土台は、十戒の前半に語られている、神との関係だということです。

神は、あなたを神と隣人を愛する自由の中に生かすために、十字架であなたの身代わりに死なれ、葬られました。しかし神は、3日目によみがえられ、今も生きておられます。

十字架の縦棒は縦の関係、神と私たちの関係を表わしています。そして十字架の横棒は横の関係、人と人との関係を表わしています。神との関係が人との関係の土台であり、神との関係をしっかり持っていくなら、豊かな人間関係を持つことができるのです。十戒の前半で語られているような神との関係を持たなければ、後半で語られるような人との関係を持つことはできないのです。

「あなたの父と母を敬え」という命令は、「もし天の父なる神の愛に根差すならば、あなたは将来必ず、父と母を敬うことのできる者に変えられる。」という約束です。神の愛に根差すならば、どんな難しい親子関係においても、父と母を敬う自由、父と母を愛する自由に生きることができるのです。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

礼拝メッセージ「放蕩息子の帰郷」

礼拝メッセージ「放蕩息子の帰郷」

聖書箇所:ルカ福音書15:11-24

わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。イザヤ44:22

オランダの画家レンブラントが晩年に描いた「放蕩息子の帰郷」という絵をご覧になったことがあるでしょうか。乞食同然の姿でボロボロになって帰って来た弟息子を、両手でしっかりと抱いている父。二人の姿にスポットライトが当てられ、暖かな光が二人を包んでいる絵です。

かつて弟息子は、父親に財産の分け前を下さいと申し出ました。これは、「おやじ早く死んでくれ。俺にとってはおやじよりもお金のほうが大事なんだ。」という暴言です。

これに対して父は、身代を分けてやり、弟息子をその良くない思いに引き渡されます。そして弟息子は、荷物をまとめ、もらったお金を持って、家を出ました。

弟息子は、遠い国で放蕩生活をし、湯水のように財産を使い果たし、落ちるところまで落ちて行きます。しかし我に返った時、彼は向きを変えて、父の家に帰ることを決心したのです。

弟息子が遠くに見えた時、父は走り寄って放蕩息子を迎えました。天におられる私たちの父なる神は、家出した私たちが帰って来るのを、ずっと待っていて下さるのです。