イースター歓迎愛餐礼拝メッセージ「ここにはおられません」

Easter08 in SUGITO

イースター歓迎愛餐礼拝メッセージ「ここにはおられません」

聖書箇所:ルカ福音書24章1-27節

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。… ルカ福音書24章5-6節

寒い冬の後に来るもの。それは暖かな春です。悲しみの受難週の後に訪れるもの。それが歓喜のイースター、復活祭です。

実に復活こそ、キリスト教の中身、エッセンスです。キリスト教会がこの世に向かって発信し続けているイエス・キリストの福音の、最も大切な中身、それがキリストのよみがえり、死者の復活です。

もし復活がないのなら、何が語られたとしても、中身がない殻だけの卵、空の財布、空の宝箱です。もし死者の復活がないとしたら、死んだらすべてが終わり、死んだらすべてがゼロです。ですからそのような信仰はむなしいと言う以外にありません。使徒パウロは、嘆きを込めて記しています。

『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。』1コリント15:19

しかし霊の目がさえぎられていると、共に今も生きておられる復活の主イエスを見ることはできません。主イエスがあなたの目を開いて、あなたの心を喜びと希望、そして情熱で満たしてくださいますように。

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礼拝メッセージ「三本の十字架」

礼拝メッセージ「三本の十字架」

聖書箇所:ルカ福音書23章26-56節

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。ルカ福音書23章33―34節

受難週の金曜日、午前9時、どくろ(ゴルゴタ、カルバリ)と呼ばれるエルサレム郊外の丘に、3本の十字架が立てられました。主イエスと共に、2人の犯罪人が十字架につけられたのです。

犯罪人のひとりは、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え。」と主イエスに言いました。

しかしもうひとりの犯罪人は、彼をたしなめてこう言いました。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」そして彼は、主イエスに向かって言いました。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

その時主イエスは、驚くべき福音を彼に語られました。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

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礼拝メッセージ「受難 PASSION」

礼拝メッセージ「受難 PASSION」

聖書箇所:ルカ福音書23章1-25節

・・・見なさい。この人は、死罪に当たることは、何一つしていません。 ルカ福音書23章15節

今年もキリストの受難を覚える受難週が近づいて来ました。「パッション」という映画をご覧になったことがあるでしょうか。メル・ギブソンが監督となって、キリストの受難をリアルに描いた映画です。

「パッション」は死罪に当たることは何一つなさらなかったのに、私たちの罪のために苦しみを受けてくださった主イエスの愛を覚えることの出来る映画です。受難週には「パッション」を見ることをお勧めします。

四季で例えると、受難週は冬です。凍えそうな冬、吹雪く冬は受難の季節です。しかし、どんなに厳しい冬であっても、やがて冬は過ぎ去ります。雪は解け、花が咲き乱れる春を迎えます。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

一日で例えると、受難週は夜です。真っ暗な夜。出口の見えないトンネルのように長い夜。特に夜明け前は、最も暗くなります。しかし、どんなに長い夜であっても、やがてその闇は薄れ、夜明けが来るのです。ちょうどそのように、受難週の後に、喜びのイースター(復活祭)が近づいています。

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礼拝メッセージ「小さい事と大きい事」

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礼拝メッセージ「小さい事と大きい事」

聖書箇所:ルカ福音書16:1-13

小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ルカ16:10

人生とは、主なる神から一時的に預かったものをどう管理するのかというテストです。抜け目のない管理人のたとえは、「あなたは神から預かった一時的な人生をどう生きるのか」ということを問うています。

隠されていることが明らかにされる時、管理人は責任を問われます。管理人は苦悩し、天下りのために、必死の裏工作を考えます。利息分を帳消しにすることによって、管理人は危機を乗り越えようとしたのです。主人は管理人の抜け目なさを評価し、ほめるのでした。

主イエスは結論を語ります。『不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。…』

不正の富とは、神から一時的に預かっている地上の富です。それは小さい事です。まことの富とは、地上の旅を終えた時、天においてあなたがたのものとして神が与えて下さる永遠の富です。それが大きい事なのです。

礼拝メッセージ「からし種とパン種」

礼拝メッセージ「からし種とパン種」

聖書箇所:ルカ福音書13:18-21

「神の国は、何に似ているでしょう。何に比べたらよいでしょう。それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。」またこう言われた。「神の国を何に比べましょう。パン種のようなものです。女がパン種をとって、三サトンの粉に混ぜたところ、全体がふくれました。」ルカ13:18ー21

今週の説教のあらすじ

イエス様は様々なたとえを用いて、神の国について教えて下さっています。今日の箇所では、「神の国はからし種やパン種のようなものです。」と教えられています。

からし種はとても小さな種です。しかし蒔かれると大きく成長して、空の鳥が枝に巣を作ることが出来るほどの木になります。『昔主イエスのまきたまいし、いとも小さき生命の種。芽生え育ちて地の果てまで、その枝を張る樹とはなりぬ。』と讃美歌には歌われています。

パン種は少量であっても、大きな影響力を持っています。わずかな量を粉に混ぜるだけで、大量の粉全体をふくらませることが出来るのです。

しかし種を蒔かなければ、大きな木を見ることも、粉全体が膨らむのを見ることも決してできません。福音宣教も同じです。収穫を期待して福音の種を蒔き続けなければ、教会の将来はないのです。

イースター礼拝メッセージ「賢い人生設計」

イースター礼拝メッセージ「賢い人生設計」

聖書箇所:ルカ福音書12:13−21

みことば

「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」ルカ福音書12章15節

    
今週のあらすじ

遺産相続の際、人間の欲深さが露骨に現われる場合があります。そうした時、「お金の切れ目が縁の切れ目」ということにもなりかねません。

ですから主イエスは、「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」と言われます。さらに主は、金持ち実業家のたとえを語られます。いのちが神の御手の中にあることを覚えず、自分のことだけ考えて人生設計をする愚かさを、主は教えておられます。

収入を得るために必要なものが、少なくとも4つあります。1に健康(いのち)、2に仕事、3に才能、4にやる気です。どれか1つでも欠けると、収入を得ることが出来ません。そして、これらすべては神からの贈り物です。

賢い人生設計は、すべては神からの贈り物であるということを覚え、神に感謝することから始まります。そして、与えられた人生を、神と隣人のために用いることを心がけることです。それは、自分のためにたくわえるのではなく、神の前に富むことを目指す人生設計と言えます。

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