受難週の受難日に

受難週の受難日に

今日は受難週の金曜日。イエス・キリストが、私の罪のために十字架で死んでくださったことを覚える受難日。良い金曜日だから、英語ではグッド・フライデーと言う。1年365日、毎日十字架を覚えるが、特に受難日は、改めて十字架を覚える特別な日。

棕櫚の主日と呼ばれる日曜日から始まる受難週。その死に至る苦しみは、金曜日の午後に終わる。金曜日の朝9時頃に十字架に磔にされたイエス様は、午後3時頃に息を引き取られる。降誕から始まった受難の日々。しかし死に至る苦しみは、永遠には続かない。

古くからの信仰告白である使徒信条には、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、よみに下り、三日目に死人の内よりよみがえり」とある。イエス様は、死に至る苦しみの後もなお、私の身代わりに地獄の苦しみを味わってくださったことを覚える。そのようにして、永遠の苦しみのかわりに永遠のいのちを与えてくださったイエス・キリストに、心から感謝します。

受難日に、十字架上のイエス・キリストの7つの言葉を覚える。
① 「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカの福音書23:34)

② 「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書 23:43)

③ イエスは、母とそばに立っている愛する弟子を見て、母に「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です」と言われた。それから、その弟子に「ご覧なさい。あなたの母です」と言われた。(ヨハネの福音書 19:26-27 )

④ 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイの福音書 27:46 )

そして三時に、イエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコの福音書 15:34 )

⑤それから、イエスはすべてのことが完了したのを知ると、聖書が成就するために、「わたしは渇く」と言われた。(ヨハネの福音書 19:28)

⑥ イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。(ヨハネの福音書 19:30)

⑦ イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。(ルカの福音書23:46)

聖書が語る神の選びについて

聖書が語る神の選びについて

コリント人への手紙第一1章26ー29節 

26 兄弟たち、自分たちの召しのことを考えてみなさい。人間的に見れば知者は多くはなく、力ある者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。 27 しかし神は、知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。 28 有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見下されている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。 29 肉なる者がだれも神の御前で誇ることがないようにするためです。

創世記12章1ー3節

1 主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。2 そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。3 わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」

イザヤ書43章1ー4節

1 だが今、主はこう言われる。ヤコブよ、あなたを創造した方、イスラエルよ、あなたを形造った方が。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。3 わたしはあなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしはエジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。

エレミヤ書29章11ー14節

11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』

ヨハネの福音書15章16節

16 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。

15年

高知県高知市で生まれ育ち、愛知県豊橋市で青年時代を過ごした私が、埼玉県北葛飾郡杉戸町に引っ越して来たのは2007年の三月末だった。今2022年の三月末を迎え、ちょうど15年が経ったことに改めて驚いている。はからずも今日、星野道夫さんの本「旅をする木」が届き、星野さんがアラスカに暮らし始めて15年目に書いた文章を読んで、15年という歳月がシンクロした。このブログ(のまちゃん牧師のWeblog)もちょうど15周年!

旅をする木 星野道夫

15年前、関東平野のど真ん中にある杉戸町に移り住んだ時、しばらく方向感覚を失ったことを懐かしく思い出した。生まれ育った高知県は、北は四国山脈、南は太平洋に囲まれていたので、地形によって方向を容易に確認することができた。20歳の時に移り住んだ愛知県豊橋市も、北と東に山があり、南にはウミガメが産卵のため訪れる白い砂浜と遠州灘が広がっていたので、方向音痴になることはなかった。けれども杉戸町には、山も丘もなく、坂もないので、完全に方向感覚を失って右も左もわからなくなった。

杉戸町の南には、クレヨンしんちゃんで有名な春日部があり、北は桜で有名な幸手の権現堂がある。東には江戸川が流れ、向こう岸は千葉県の関宿である。西には古利根川が流れ、東武動物公園で有名な宮代町や白岡町がある。けれども平野のど真ん中なので、慣れない地名を聞いても方角がピンとこないのであった。

15年も住むと、次第に方向感覚がしっかりしてくる。晴れた日には筑波山や富士山が見え、360度、全方向の地名も地図も、頭に入ってくるから。

終末論について

終末論について

最近は地震も増え、戦争も増え、人々は争い合っていて、イエス様が仰っている通りに進んでいるように見えるので、み言葉を読んでいて恐れを強く感じてしまう時もあります。そんな中で、大患難時代の前に「携挙」があると信じることができれば、大変安心できるのですが・・・?

まさに今は産みの苦しみの時で、聖書が預言していることが次々に起こっています。そして大患難の前に携挙があってほしいと願います。

でもイエス様は、一人でも多くの人を天国に招きたいお方です。ですから、この地上において私にしかできないことがなくなるまでは、あるいは私にしか届けない人がいなくなるまでは、携挙も天に召されることもないと考えています。

どうしても翻弄されやすいのですが、聖書に書かれている以上の大変なことは起こらないし、イエス様は勝利者として今も生きて働いておられますし、わからないこともたくさんありますが、すべてを主の御手におゆだねしつつ、今日もイエス様と共に歩みましょう。まずはウクライナの地で、戦争が止みますようにと願います。

主イエス様の平安と喜びが豊かにありますように。

主イエスの再臨にどのように備えるべきか

イエス様の再臨について、眠っていないで起きていなさいということを伝えるために複数のたとえ話が出てきますが、どのように過ごすことをイエス様は伝えて下さっているのでしょうか?

マタイの福音書25章の中に記されている3つのたとえで考えます。

今日イエス様が再臨されても大丈夫なように、あるいは今日私が死んでも大丈夫なように、

1、聖霊の油を絶やさず(油断せず)に聖霊に満たされ続け、

2、預けられたタラント・人生・いのち・御霊の賜物(複数)を失敗を恐れず活用し、

3、最も小さい者たちの中にイエス様を見て、御霊の実(単数)・愛という実を結ぶ。

持っている人はもっと豊かになり、持っていない人はとりあげられる?

持っている人は与えられてもっと豊かになり、持っていない人は持っている物までとりあげられるのだ。
(マタイ13:12,25:29等)

持っている人はもっと豊かになり、持っていない人はとりあげられる?どのように解釈すればいいのか?

マタイ13:12は種まきのたとえ、マタイ25:29はタラントのたとえです。

ポイントは、何を持っているのか、何を持っていないのか、ということです。

みことばを聞く耳、柔らかい良い地のような心になりたいという願い、主イエス様に対する信頼・信仰といったものが求められていると考えられます。それらを豊かに持つことができますように。

キリスト教会の樹形図

キリスト教会の樹形図

旧約時代のイスラエル共同体

➡️新約時代の初代キリスト教会

➡️ローマ帝国のキリスト教国教化(ローマ・カトリック教会)

➡️東方教会(ギリシア&ロシア正教会)と西方教会(ローマ・カトリック教会)に分かれる
(大シスマ=大分裂)

➡️西方教会(ローマ・カトリック教会)とプロテスタント教会に分かれる(16世紀宗教改革)

➡️プロテスタント教会は、各国において、国教会と自由教会(フリーチャーチ)に分かれる。

死せる正統主義教会 ➡️ 信仰復興・リバイバル運動、聖霊の働きによる教会のいのちの回復と多様性。

ルーテル(ルター)、改革・長老、メソジスト、ウエスレアン、ホーリネス、ナザレン、バプテスト、アナバプテスト、アライアンス、ペンテコステ、アッセンブリー、メノナイト、ブラザレン、兄弟団、救世軍、聖公会、日本基督教団、日本福音自由教会、同盟福音基督教会、イエス福音教団、単立教会、無教会、日本同盟基督教団、などなど。

プロテスタント教会は、実に多種多様な教団教派を各国で形成しながら、世界に広がり、宣教地に根ざしていく。

日本同盟基督教団は、聖書信仰に基づき、宣教協力のために、合議制によって形成された教団。
杉戸キリスト教会は日本同盟基督教団に所属しています。
 

ウクライナのための祈りの呼びかけ

ウクライナのための祈りの呼びかけ

「苦しむ人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。」
旧約聖書・詩篇12篇5節

私たち日本同盟基督教団は、教団宣教130周年記念宣言において次のように言い表しました。

「私たちは、暴力と抑圧にさいなまれている地に正義と平和が打ち立てられるようにとりなし祈ります。」

今、ウクライナの地がロシアによる軍事侵攻によって暴力にさらされています。私たちは、このような現状を深く憂い、彼の地に正義と平和が打ち立てられることを願いつつ、以下のように祈りを呼びかけます。

ロシア軍による軍事侵攻が即時に中止され、停戦が実現するように。

ロシア軍が撤退し、人々の安全が確保されるように。

ウクライナの秩序が回復し、安心が取り戻されるように。

難民化している人々が必要な保護と支援を受けることができるように。

各国が各々の利害や思惑を越えて、平和のために働きかけることができるように。

混乱に便乗した軽率で迂闊な議論に流されず、誤情報や扇動に惑わされることがないように。

憎悪や復讐の連鎖が増幅することのないように。

核兵器による威嚇とその使用が絶対に封じられるように。

平和を求める私たちの祈りに主が答えてくださるように。

主が立ち上がり、御手を動かしてくださるように。

「主は地の果てまでも戦いをやめさせる。」
旧約聖書・詩篇46篇9節

2022年3月1日

日本同盟基督教団理事会

理事長 朝岡 勝