『全世界を幾度も改造したる歴史を有し、なお将来も、しかする力を具備せる一書。この一書こそロマ書である。』内村鑑三著「ロマ書の研究」より
カテゴリー: 目的志向の旅 PURPOSE DRIVEN JOURNEY
八ヶ岳の残雪
ベースボールの祈り
ベースボールの祈り
ベースボールの監督の仕事は、選手たちを輝かせること。
牧師の仕事は、信徒たちを輝かせること。
聖書が教えている祈りは、例えて言うと、ベースボールのようだ。草野球、少年野球、高校野球、プロ野球、メジャーリーグ、マスターズ甲子園、そしてWBC。いろんなベースボールがあるが、聖書に耳を傾けると、ベースボールの祈りというスピリチャルな試合があり、僕たち選手一人一人に対して、励ましと応援の声が聞こえてくる。
誰かのために何かを祈り始めると、まずは1累にランナーを送り出すことができる。続けて祈り続けると、ランナーを2累に進めることができる。さらに祈り続けると、やがてランナーを3塁に立たせることができる。さらに粘り強く祈り続けるなら、最後にはランナーをホームベースに戻すことができる。けれども、ホームベースに戻すプロセスのどこかで、あきらめてしまったらどうだろうか。野球なら、せっかくの労苦が、残念ながら無駄になってしまう。
聖書が教えている祈りは、インスタントに答えられない。だから祈りが応えられるまで、チーム全員で励まし合い、支え合って、決してあきらめないで、つないでつないで祈り続けることが必要だ。あくまで求め続けること、粘り強く叩き続けること、あきらめないで、忍耐強く、全力で戦い続けることを聖書は教える。
Luke 18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。2「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」 6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。7 まして神は、 夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
弱くて不信仰な僕たちは、すぐにあきらめて、祈ることを止めてしまうかもしれない。でも、祈っていたことを思い出した時、その時にまた祈りを再開すればいい。七転び八起き。何度つまづいても、また起き上がって祈り続けるなら、必ず祈りの手応えを覚えることができる。そしたら夢は正夢!
祈りに味を占めることができたなら、もう勝利は遠くない。1点入るという形で目に見える結果が出る時、僕たちはベースボールの祈りにおいて、勝利への道を走り続けることができる。
ベースボールの監督の仕事は、選手たちを輝かせること。
牧師の仕事は、信徒たちを輝かせること。
ゲゲゲの女房の結婚カウンセリング
なぜ水木と結婚したのかと聞かれれば、いろいろと理由はあるけれど、つまるところ「私には水木と結婚する以外に道がないと思ったから」というのが本当のところです。恋愛に価値があると思っておられる方々には、これ以上の不運はないと思われるかもしれません。
でも、私の実感では、最初に燃え上がった恋愛感情だけで、その後の人生すべてが幸福になるとは、とても思えません。伴侶とともに歩んでいく過程で、お互いが「信頼関係」を築いていけるかどうかにこそ、すべてがかかっていると思うのです。私は、どんなに苦しいときでも、水木と別れたいとは思いませんでした。
どんな生き方を選んだとしても、最初から最後まで順風満帆の人生なんてあり得ないのではないでしょうか。人生は入口で決まるのではなく、選んだ道で『どう生きていくか』なんだろうと、私は思います。 武良布枝著「ゲゲゲの女房」より
「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解 -キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-
1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-
A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-
教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)
賛美デボーション 2023-01-16
ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15
People Get Ready
People get ready
There’s a train a-coming
You don’t need no baggage
You just get on board
All you need is faith
To hear the diesels humming
Don’t need no ticket
You just thank the Lord
People get ready
For the train to Jordan
Picking up passengers
From coast to coast
Faith is the key
Open the doors and board them
There’s room for all
Among the loved the most
There ain’t no room
For the hopeless sinner
Who would hurt all mankind
Just to save his own
Have pity on those
Whose chances are thinner
Cause there’s no hiding place
From the Kingdom’s Throne
カール・ヒルティの病気に関する言葉
川の氾濫が土を掘って田畑を耕すように、病気はすべての人の心を掘って耕してくれる。病気を正しく理解してこれに堪える人は、より深く、より強く、より大きくなる。
病気は今日、多くの忙しすぎる人々に必要な休暇、完全なる安息、過去と未来に対する静観、真の人生の正しき認識、善き思想の数々など、健康を保持している場合には見失われていた人生の宝を与えてくれる。
病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路に過ぎない。
健康はそれ自身一つの宝ではあろうが、時として健康でなくても非常に幸福でありうる。
これまでに激しい苦悩も味わわず、自我の大きな劣敗を経験しなかった、いわゆる打ち砕かれたことのない人間は、何の役にも立たない。
眠れぬ夜こそ、神が与え給もうた貴重な時間である。
キレイなものは遠くにあるからキレイなの
「置かれた場所で咲きなさい」というメッセージに対して、強烈に反発なさる方がおられます。確かに酷すぎる場所があります。
先日私は、「置かれた場所で咲きなさい」という内容のメッセージを、旧約聖書エレミヤ書29章から語りました。
4 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。
6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。
7 わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』
8 まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。また、あなたがたが見ている夢に聞き従ってはならない。
9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って、偽りをあなたがたに預言しているからだ。わたしは彼らを遣わしていない──主のことば。』
10 まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。 それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。
バビロン捕囚の時代、神の都エルサレムも焼け野原となり、強制連行されたバビロンでも難民状態でした。
しかし彼らが置かれた場所バビロンは、実は神が植えてくださった流れのほとりでした。
そこにも神がいつもいのちの水の流れとして共におられ、平安と将来と希望を与える計画をもって、着々とイスラエルの民を導かれたのです。
あなたが今置かれている場所も、神が置いてくださった場所なら、耐えられない試練はなく、必ず出口があります。
置かれた場所において、旅人や客人ではなく住人になる時、その場所やそこに住む人々を豊かに用いて、神があなたを自身を豊かに変えていかれるのです。
『キレイなものは遠くにあるからキレイなの』(Superflyの「愛を込めて花束を」より)