釈義から説教へ

釈義 使徒14章8−18節

説教「教会の働きとしての証し」

「サボテンと毛虫・美しい日本に」高俊明師

「サボテンと毛虫・美しい日本に」高俊明師(台湾基督長老教会元総幹事)

教会史における所属教会の位置

教会史における所属教会の位置

Purpose Driven Fellowship at 聖書キリスト教会

Purpose Driven Fellowship at 聖書キリスト教会

Purpose Driven Fellowship at 聖書キリスト教会

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ4章

主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ書4章10-11節

『風刺作家の目的が読者を感動させて真実を認めさせることにあるなら、ヨナ書の作者ほど見事に成功した風刺作家はいまにいたるまで存在しない。

この風刺作家は狂信、残酷、浅い神学を攻撃するだけでなく、憐れみと深い関心をあらゆる国家に示す神の姿を見事に描き、読者の積極的反応を呼び起こしている。

たいていの風刺作家は悪徳の姿を醜悪に描いて見せるが、善を美しく見せる力に不足している。「ヨナ書」を書いた人に力量的に劣る風刺作家なら、ヨナの態度に対する自分の怒りを作品にぶちまけることによって、作品の肯定面を曖昧にしてしまったであろう。

「ヨナ書」を書いた人は客観的で、おしゃれな筆致を捨てることなく、攻撃対象である悪行だけでなく、肯定的規範にも配慮すべく苦心しているのである。』

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、405-406頁より引用

惜しまないでいられようか

惜しまないでいられようか

日時:2011年 5月22日(日)第4主日礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:ヨナ章4章
    説教題:「惜しまないでいられようか」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児・小学生向け)午前9時〜(第一週は第一礼拝に合流)
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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礼拝メッセージ「逃亡生活」

逃亡生活

礼拝メッセージ「逃亡生活」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ1章

アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。ヨナ1章1-3節

「謎めいた「ヨナ書」を風刺作品として読んでもその細部は説明し尽くせないであろうが、ヨナ物語の他のどんな読み方よりも多くの点を解明するであろう。物語作者がやっつけようとする相手の態度を擬人化したものが主人公なのである。つまり、作品の風刺攻撃のおもな手段がヨナ自身なのである。ヨナ物語はおしゃれな風刺と呼べる文学形式に属する。風刺作家は見事な腕前で自分の物語を話し、そのなかに自分の風刺を完全に具現化している。彼は自分の怒りを露骨に示し、腹にあることをすぐ口にするような男ではない。そうする代わりに彼は、物語中にすっかり身を隠す。それとすぐわかる人物として登場することはない。

 風刺の攻撃対象は、神をイスラエルの独占物とし、神の恩寵の普遍性を認めようとしない熱心な国粋主義である。ヨナのいちばんの問題点は神学的と言える。つまり、彼は神の普遍的愛という事実を認めようとしない。それゆえヨナ物語は、神を信じながらも、異邦人を神の怒りの対象と見るだけで、異邦人もまた神の救いに値する罪人であるとは考えないイスラエルへの、矯正手段なのである。」

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、401頁より引用

Because He Lives 主イエスが生きておられるから

Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~

日本語訳歌詞(1番)
 神は人を 愛されて     そのひとり子を この世におくり
 私たちの 罪のために    十字架につけて くださった
 主は今  生きておられる  我が内に    おられる
 すべては 主の御手にあり  明日も生きよう 主がおられる

英語の歌詞と試訳

God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.

神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.

新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.

ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理

2011 イースター歓迎礼拝のご案内

2011イースター歓迎礼拝案内