People Get Ready

People get ready
There’s a train a-coming
You don’t need no baggage
You just get on board
All you need is faith
To hear the diesels humming
Don’t need no ticket
You just thank the Lord

People get ready
For the train to Jordan
Picking up passengers
From coast to coast
Faith is the key
Open the doors and board them
There’s room for all
Among the loved the most

There ain’t no room
For the hopeless sinner
Who would hurt all mankind
Just to save his own
Have pity on those
Whose chances are thinner
Cause there’s no hiding place
From the Kingdom’s Throne

問われる政治との距離 激震・旧統一教会と日本政治【7月22日 (金) #報道1930】| TBS NEWS DIG

キリスト教会=イエスがキリストである。教典は聖書のみ。ただ信仰のみによって救われる。 
  
旧統一教会=文鮮明夫妻がキリストである。教典は天聖経(文鮮明発言集430万円)と原理講論。献金や良い行い(壺売りなど)によって救われる。

以下、番組より

旧統一教会から今も続いている献金トラブル
先祖解怨(せんぞかいおん)を繰り返す
信者の先祖を何代もさかのぼり献金を求める
夫婦それぞれの父母、それぞれの家系7代ごとに
自我のために生きて悪霊になった先祖たち
永遠の霊界 天国、中間霊界、地獄(永遠の苦しみ)
救いに救いを求める合図=交通事故、不倫、病気など
霊能師が祈る 4500万、3500万、2100万
お金を天の位にささげなければ先祖たちは永遠に苦しむと脅される
世界統一教会の資金、その7−8割が日本からの献金
宗教と産業が複合した企業 宗教王国建設

対日観:韓国がアダム国家、日本がイブ国家
歴史的植民地支配の償いを求める

原理講論(経典)より
日本帝国主義の韓国キリスト教弾圧政策は実に極悪非道なものであった。

天聖経(文鮮明の発言集 430万円)より
韓半島は何かといえば、男でいえば生殖器です。半島です。島国は女性の陰部と同じです。
日本が1978年から世界的な経済大国として登場したのは、エバ(イブ)国家として選ばれたので、(中略)日本はすべての物質を収拾して本来の夫であるアダム国家 韓国に捧げなければならないのです。

キレイなものは遠くにあるからキレイなの

置かれた場所で咲く

「置かれた場所で咲きなさい」というメッセージに対して、強烈に反発なさる方がおられます。確かに酷すぎる場所があります。

先日私は、「置かれた場所で咲きなさい」という内容のメッセージを、旧約聖書エレミヤ書29章から語りました。

4 「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。
『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。
5 家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。
6 妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。
7 わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』
8 まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『あなたがたのうちにいる預言者たちや、占い師たちにごまかされるな。また、あなたがたが見ている夢に聞き従ってはならない。
9 なぜなら、彼らはわたしの名を使って、偽りをあなたがたに預言しているからだ。わたしは彼らを遣わしていない──主のことば。』
10 まことに、主はこう言われる。『バビロンに七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにいつくしみの約束を果たして、あなたがたをこの場所に帰らせる。
11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。
それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
14 わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。

 
バビロン捕囚の時代、神の都エルサレムも焼け野原となり、強制連行されたバビロンでも難民状態でした。

しかし彼らが置かれた場所バビロンは、実は神が植えてくださった流れのほとりでした。

そこにも神がいつもいのちの水の流れとして共におられ、平安と将来と希望を与える計画をもって、着々とイスラエルの民を導かれたのです。

あなたが今置かれている場所も、神が置いてくださった場所なら、耐えられない試練はなく、必ず出口があります。

置かれた場所において、旅人や客人ではなく住人になる時、その場所やそこに住む人々を豊かに用いて、神があなたを自身を豊かに変えていかれるのです。

『キレイなものは遠くにあるからキレイなの』(Superflyの「愛を込めて花束を」より)

Footprints足跡

Footprints

Footprints 足跡 (マーガレット・パワーズ作)
One night I dreamed a dream. I was walking along the beach with my Lord.ある夜私は夢を見た。私は主と一緒に砂浜を歩いていた。
Across the dark sky flashed scenes from my life.
これまでの人生のいろんな場面が走馬灯のように見えた。
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Lord.それぞれの場面に、二人分の足跡があった。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡。

When the last scene of my life shot before me, I looked back at the footprints in the sand.最後の場面が映し出された時、私は砂浜に残された足跡を振り返った。
There was only one set of footprints. I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.そこには一人分の足跡しかなかった。そして私は気づいた。足跡が一人分しかないのは、私の人生の中でも最低の時、最も悲しい時であったことに。
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.“Lord, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk with me all the way. But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints. I just don’t understand why, when I needed You most, You leave me.”このことが私を混乱させ、私は主に文句の祈りをした。「主よ!私があなたに従うことを決心した時、あなたは、いつも私と一緒に歩んでくださると約束してくださいました。けれども、私が一番辛かった時に限って、足跡が一人分しかありません。私にはわかりません。なぜあなたは、私があなたを最も必要とした時に私を見捨てられたのですか?」
He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you never, ever, during your trials and testings. When you saw only one set of footprints, it was then that I carried you.”主はささやかれた。「私の大事な子よ!私はあなたを愛している。そして決してあなたを離れない。あなたが一人分の足跡しか見つけられなかった大変な時。その時私は、あなたを背負って歩いていたんだよ。」

悲しみつきざる浮世にありても

改めて、詩篇1篇に、ご一緒に耳を傾けてみましょう。

Psa. 1
1 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。

2 主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

3 その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

4 悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。

弱い私たちは、知らず知らずのうちに、
みことばとみことばを語っておられる主ご自身を嘲る者の座についてしまっていることがあります。
アーメン(真実)である主が、上記のように語り、約束しておられるのに、
「そんな薄っぺらい信仰なのか!」と。

主のおしえ、つまり主イエス・キリストご自身のみことばを喜びとし(主と主のみことばを嘲る者にならず)、
昼も夜もみことばを口ずさみ、思い巡らすなら(主イエスを繰り返し心の王座にお迎えするなら)、
この大患難時代のような地上の人生の只中においても、ここがすでに天の御国、神の国になります。

なぜなら、ここにすでに主イエス・キリストが来られ、
共に痛み苦しみ、愛によって私たちのすべてをご支配なさるからです。

御国とは、死の向こうにある国だけではなく、
この地上の現実の只中で、本当に体験することができる国です。
「御国とは、主イエス・キリストの愛によるご支配」ですから。

聖歌467番「みくにのここちす」の歌詞の通りです。

悲しみつきざる   浮世にありても
日々主と歩めば   御国のここちす
ハレルヤ! 罪とが 消されしわが身は
いずくにありても  御国のここちす

主にありて
野町 真理

聖書全体を貫く3つの出来事

聖書全体(旧約聖書39巻、新約聖書27巻、創世記から黙示録までの66巻)を貫く3つの出来事

創造     ➡️ 堕落      ➡️ 再創造

万物の創造  ➡️ 人間の堕落   ➡️ 万物の再創造。罪人の悔い改め・方向転換から始まる。

創世記1:1 ➡️ ローマ3:23 ➡️ 黙示録21:5

Gen. 1:1 はじめに神が天と地を創造された。
Rom.3:23 すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
Rev. 21:5 すると、御座に座っておられる方が言われた。「見よ、わたしはすべてを新しくする。」また言われた。「書き記せ。これらのことばは真実であり、信頼できる。」

人はなぜ「うつ」になるのか?

人はなぜ「うつ」になるのか?

1、「朝があり、夕があった」という逆転したリズムに従っている。

 解決法=聖書が奏でている「夕があり、朝があった」という恵みの2ビートに合わせて生活する

2、休みなく働き続けている。安息日をとっていない。

 解決法=聖書が奏でている7日ごとに休符・安息日が入る恵みの7ビートに合わせて生活する

3、頑張り続けている=我を張り続けている。神を神とせず、自分を神としている。
  神中心ではなく、自己中心。神を主人公とするのではなく、自分が主人公・神を演じている。

 解決法=自分を神とすることをやめて、神を神とする。自己中心から神中心へ。頑張ることをやめて、神にゆだねる。自分がコントロールすることをやめて、神(イエス・キリスト)に主導権を明け渡す。

凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬の日に

凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬の日に

アベノミクスと統一教会。二つの広告塔を務め、凶弾に倒れた安倍晋三元首相。

アベノミクスと統一教会。その共通点は、まことしやか。
本当でないのにいかにも本当らしいさま。真実をよそおうさま。

主よ、まことしやかを鋭く見抜く目と真実を見極める目を、
一億二千万の一人ひとりにお与えください。
そのために、私たちの目から、鱗を取り除いてください。

<ねばならぬ>いのちではなく、<許された>いのち

「生きねばならないと考えているような人は、いのちを根本的には尊敬することができない。自分のいのちも、他人のいのちも。いわんやまだ生まれてこない子どものいのちにいたっては、なおさらのことである。・・・その人に欠けているものは、いのちとは何かということに対する尊敬、また理解である。・・・人間のいのちは、決して<ねばならぬ>いのちではなく、<許された>いのちである。それは自由であり、恵みなのである。・・・憐れみによって生きている人は、それに比例してまた憐れみを用いるようになるであろう。」(教会教義学Ⅲ/4より)

『竜とそばかすの姫』

高知の美しい風景と素敵な歌、なかなか素敵なアニメーション映画より。

アマゾンプライムで見れます

くじら

野に咲く花のように