日本の将来のための指針

日本の将来のための指針

無子高齢化

・無子高齢化から多子低齢化へ
・晩婚化から早婚化へ
・無理婚化から可婚化へ
・非正規雇用から正規雇用へ
・若者搾取から先行投資(次世代の人育て)へ
・弱肉強食ではなく弱い者を助ける強い者へ
・自己責任から相互扶助へ

・防衛費増加から和平費(信頼関係を築くための外交費)増加へ
・核保有ではなく核廃絶へ
・増税ではなく生存権保障へ

東金経由九十九里浜ツーリング2023-07-10

東金経由九十九里浜ツーリング2023-07-10

ベースボールの祈り

ベースボールの祈り

ベースボールの監督の仕事は、選手たちを輝かせること。
牧師の仕事は、信徒たちを輝かせること。

WBC決勝戦

聖書が教えている祈りは、例えて言うと、ベースボールのようだ。草野球、少年野球、高校野球、プロ野球、メジャーリーグ、マスターズ甲子園、そしてWBC。いろんなベースボールがあるが、聖書に耳を傾けると、ベースボールの祈りというスピリチャルな試合があり、僕たち選手一人一人に対して、励ましと応援の声が聞こえてくる。

誰かのために何かを祈り始めると、まずは1累にランナーを送り出すことができる。続けて祈り続けると、ランナーを2累に進めることができる。さらに祈り続けると、やがてランナーを3塁に立たせることができる。さらに粘り強く祈り続けるなら、最後にはランナーをホームベースに戻すことができる。けれども、ホームベースに戻すプロセスのどこかで、あきらめてしまったらどうだろうか。野球なら、せっかくの労苦が、残念ながら無駄になってしまう。

聖書が教えている祈りは、インスタントに答えられない。だから祈りが応えられるまで、チーム全員で励まし合い、支え合って、決してあきらめないで、つないでつないで祈り続けることが必要だ。あくまで求め続けること、粘り強く叩き続けること、あきらめないで、忍耐強く、全力で戦い続けることを聖書は教える。

Luke 18:1 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。2「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。3 その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。4 彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、5 どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」 6 主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。7 まして神は、 夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。8 あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」

弱くて不信仰な僕たちは、すぐにあきらめて、祈ることを止めてしまうかもしれない。でも、祈っていたことを思い出した時、その時にまた祈りを再開すればいい。七転び八起き。何度つまづいても、また起き上がって祈り続けるなら、必ず祈りの手応えを覚えることができる。そしたら夢は正夢!

祈りに味を占めることができたなら、もう勝利は遠くない。1点入るという形で目に見える結果が出る時、僕たちはベースボールの祈りにおいて、勝利への道を走り続けることができる。

ベースボールの監督の仕事は、選手たちを輝かせること。
牧師の仕事は、信徒たちを輝かせること。

「最高のチーム」の作り方

夢は正夢 栗山英樹

「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解 -キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-

教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)

http://gospel.sakura.ne.jp/index2.html

ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

Footprints足跡

Footprints

Footprints 足跡 (マーガレット・パワーズ作)
One night I dreamed a dream. I was walking along the beach with my Lord.ある夜私は夢を見た。私は主と一緒に砂浜を歩いていた。
Across the dark sky flashed scenes from my life.
これまでの人生のいろんな場面が走馬灯のように見えた。
For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand, one belonging to me and one to my Lord.それぞれの場面に、二人分の足跡があった。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡。

When the last scene of my life shot before me, I looked back at the footprints in the sand.最後の場面が映し出された時、私は砂浜に残された足跡を振り返った。
There was only one set of footprints. I realized that this was at the lowest and saddest times of my life.そこには一人分の足跡しかなかった。そして私は気づいた。足跡が一人分しかないのは、私の人生の中でも最低の時、最も悲しい時であったことに。
This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.“Lord, you told me when I decided to follow You, You would walk and talk with me all the way. But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints. I just don’t understand why, when I needed You most, You leave me.”このことが私を混乱させ、私は主に文句の祈りをした。「主よ!私があなたに従うことを決心した時、あなたは、いつも私と一緒に歩んでくださると約束してくださいました。けれども、私が一番辛かった時に限って、足跡が一人分しかありません。私にはわかりません。なぜあなたは、私があなたを最も必要とした時に私を見捨てられたのですか?」
He whispered, “My precious child, I love you and will never leave you never, ever, during your trials and testings. When you saw only one set of footprints, it was then that I carried you.”主はささやかれた。「私の大事な子よ!私はあなたを愛している。そして決してあなたを離れない。あなたが一人分の足跡しか見つけられなかった大変な時。その時私は、あなたを背負って歩いていたんだよ。」

悲しみつきざる浮世にありても

改めて、詩篇1篇に、ご一緒に耳を傾けてみましょう。

Psa. 1
1 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。

2 主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

3 その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

4 悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。

弱い私たちは、知らず知らずのうちに、
みことばとみことばを語っておられる主ご自身を嘲る者の座についてしまっていることがあります。
アーメン(真実)である主が、上記のように語り、約束しておられるのに、
「そんな薄っぺらい信仰なのか!」と。

主のおしえ、つまり主イエス・キリストご自身のみことばを喜びとし(主と主のみことばを嘲る者にならず)、
昼も夜もみことばを口ずさみ、思い巡らすなら(主イエスを繰り返し心の王座にお迎えするなら)、
この大患難時代のような地上の人生の只中においても、ここがすでに天の御国、神の国になります。

なぜなら、ここにすでに主イエス・キリストが来られ、
共に痛み苦しみ、愛によって私たちのすべてをご支配なさるからです。

御国とは、死の向こうにある国だけではなく、
この地上の現実の只中で、本当に体験することができる国です。
「御国とは、主イエス・キリストの愛によるご支配」ですから。

聖歌467番「みくにのここちす」の歌詞の通りです。

悲しみつきざる   浮世にありても
日々主と歩めば   御国のここちす
ハレルヤ! 罪とが 消されしわが身は
いずくにありても  御国のここちす

主にありて
野町 真理

人はなぜ「うつ」になるのか?

人はなぜ「うつ」になるのか?

1、「朝があり、夕があった」という逆転したリズムに従っている。

 解決法=聖書が奏でている「夕があり、朝があった」という恵みの2ビートに合わせて生活する

2、休みなく働き続けている。安息日をとっていない。

 解決法=聖書が奏でている7日ごとに休符・安息日が入る恵みの7ビートに合わせて生活する

3、頑張り続けている=我を張り続けている。神を神とせず、自分を神としている。
  神中心ではなく、自己中心。神を主人公とするのではなく、自分が主人公・神を演じている。

 解決法=自分を神とすることをやめて、神を神とする。自己中心から神中心へ。頑張ることをやめて、神にゆだねる。自分がコントロールすることをやめて、神(イエス・キリスト)に主導権を明け渡す。

凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬の日に

凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬の日に

アベノミクスと統一教会。二つの広告塔を務め、凶弾に倒れた安倍晋三元首相。

アベノミクスと統一教会。その共通点は、まことしやか。
本当でないのにいかにも本当らしいさま。真実をよそおうさま。

主よ、まことしやかを鋭く見抜く目と真実を見極める目を、
一億二千万の一人ひとりにお与えください。
そのために、私たちの目から、鱗を取り除いてください。

美しい国

美しい国

金持ちがさらに金持ちになり、貧乏人がさらに貧乏になる国になってしまった。

嘘つきが義人とされ、正直者が悪人とされる国になってしまった。

平和をつくることのできる国が、戦争をつくる国になってしまった。

不正直な者が目指した美しい国は、正直者がバカをみる醜い国になってしまった。

#安倍晋三の国葬に反対します