礼拝メッセージ「霊的な礼拝とは何か」ローマ30

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聖書箇所:ローマ人への手紙12章1ー2節

1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。ローマ12章1-2節

礼拝メッセージ「神の賜物と召命」ローマ29

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聖書箇所:ローマ人への手紙11章25ー36節

28 彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。29 神の賜物と召命とは変わることがありません。30 ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、31 彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。32 なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。33 ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。34 なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。35 また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。36 というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。ローマ人への手紙11章28−36節

杉戸キリスト教会創立記念礼拝メッセージ「神のいつくしみときびしさ」ローマ28

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聖書箇所:ローマ人への手紙11章13ー24節

17 もしも、枝の中のあるものが折られて、野生種のオリーブであるあなたがその枝に混じってつがれ、そしてオリーブの根の豊かな養分をともに受けているのだとしたら、18 あなたはその枝に対して誇ってはいけません。誇ったとしても、あなたが根をささえているのではなく、根があなたをささえているのです。19 枝が折られたのは、私がつぎ合わされるためだ、とあなたは言うでしょう 20 そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。21 もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。22 見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。23 彼らであっても、もし不信仰を続けなければ、つぎ合わされるのです。神は、彼らを再びつぎ合わすことができるのです。24 もしあなたが、野生種であるオリーブの木から切り取られ、もとの性質に反して、栽培されたオリーブの木につがれたのであれば、これらの栽培種のものは、もっとたやすく自分の台木につがれるはずです。ローマ人への手紙11章17−24節

礼拝メッセージ「恵みの選び」ローマ27

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聖書箇所:ローマ人への手紙11章1ー12節

1すると、神はご自分の民を退けてしまわれたのですか。絶対にそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫に属し、ベニヤミン族の出身です。2 神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を退けてしまわれたのではありません。 それともあなたがたは、聖書がエリヤに関する個所で言っていることを、知らないのですか。彼はイスラエルを神に訴えてこう言いました。3 「主よ。彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇をこわし、私だけが残されました。彼らはいま私のいのちを取ろうとしています。」4 ところが彼に対して何とお答えになりましたか。「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」 5 それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。6 もし恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。ローマ人への手紙11章1−6節

絶対他者としての神なきこの時代にも、恵みの選びによって残された者がいます。神の恵みによる選び。この神学的教理こそ、閉塞感やあきらめムードに捕われないで、困難な時代においても福音宣教を成し遂げる原動力です。

礼拝メッセージ「四六時中」ローマ26

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聖書箇所:ローマ人への手紙10章16ー21節

16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか」とイザヤは言っています。17 そのように、 信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。18 でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」19 でも、私はこう言いましょう。「はたしてイスラエルは知らなかったのでしょうか。」まず、モーセがこう言っています。「わたしは、民でない者のことで、あなたがたのねたみを起こさせ、無知な国民のことで、あなたがたを怒らせる。」20 またイザヤは大胆にこう言っています。「わたしは、わたしを求めない者に見いだされ、わたしをたずねない者に自分を現した。」21 またイスラエルについては、こう言っています。「不従順で反抗する民に対して、わたしは一日中、手を差し伸べた。」 ローマ人への手紙10章16−21節

もしあなたがイスラエルのように、神に対して不従順で反抗する民であったとしても、神は四六時中、あなたに手を差し伸べておられます。
四六時中あなたに語りかけておられる神のことばに、あなたが耳を傾けるなら、神があなたの内に信仰を芽生えさせ、成長させてくださいます。