愛する日本の教会・キリスト者へ

「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」マタイによる福音書‬ ‭11:12

荒野でストイックな生活をし、一世を風靡するリバイバルの中でキリストの道備えをしたバプテスマのヨハネ。預言者エリヤの霊と確信に満ちて、主イエスを来たるべきキリスト・救い主として指し示し、主イエスにバプテスマを授けたバプテスマのヨハネ。彼は獄中にいた時に、鍔迫り合いのような激しい霊的戦いを強いられていた。その時の様子を聖書は次のように語っている。

「さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。マタイによる福音書‬ ‭11:2-3

強い信仰者というイメージを持つバプテスマのヨハネが、ここまで弱くなっていた。なぜならその時すでに、天国は激しく襲われ始めていたから。

バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」‭‭マタイによる福音書‬ ‭11:12

韓国の教会は祈る教会、日本の教会は議論する教会と言われる。
確かに韓国のキリスト者は、祈り倒すという言葉がぴったりの激しさで祈る。祈祷院などで祈りに専念し、祝福と勝利と解決が与えられるまで、決してあきらめないで、ヤコブのように粘り強く、激しく大声で叫び、祈り続ける。
それに対して私たち日本のキリスト者は、祈りにおいてあまりにおとなしく、お祈りしているのかお寝りしているのかわからないような状態だったかもしれない。
しかし今こそ、日本のキリスト者が、祈りという武器をしっかり手に取り、激しく祈る教会になる時ではないか。ー戦後70年目のターニングポイントにて

豚に真珠の本当の意味

豚に真珠の本当の意味
豚のように汚れ、真珠よりも高価な神の恵みの値打ちが分からずに、聖なる神の御子キリストを、足で踏みにじり、向き直って引き裂いた私たち罪人。
しかしそんな私たちに、最も聖なるもの(主イエス・キリスト)を与えてくださる父なる神の愛。
十字架に啓示された神の愛。
まず神が、自分にしてもらいたいことを私たちにしてくださった。
律法であり預言者。そのすべてを成就するために来られた主イエス。

マタイの福音書アウトライン

マタイの福音書アウトライン(加筆修正中)
救い主の系図      1:1−17
救い主の誕生      1:18−25
神我らと共に      1:23
巡礼の旅        2:1−12
慰めを拒む者の嘆き   2:13−18
出エジプト       2:19−23
荒野で叫ぶ者の声    3:1−12
わたしの愛する子    3:13−17
荒野の試み       4:1−11
宣教開始        4:12−17
わたしについて来なさい 4:18−25
本当に幸いな者     5:1−12
地の塩、世界の光    5:13−16
廃棄するためにではなく 5:17−20
殺人について      5:21−26
姦淫について      5:27−32
誓いについて      5:33−37
仕返しについて     5:38−42
敵を憎むことについて  5:43−48
善行の報いについて   6:1−4
祈りの報いについて   6:5−15
断食の報いについて   6:16−18
宝は天に蓄えよ     6:19−24
心配から解放される秘訣 6:25−34
建設的に批判する秘訣      7:1−5
自分にしてもらいたいことをせよ 7:6−12
にせ預言者たちに気をつけよ   7:13−23
人生の土台にすべきもの     7:24−29
わたしの心だ きよくなれ    8:1−4
聖書信仰            8:5−13
病を背負ってくださる方     8:14−17
向こう岸にいくための用意    8:18−22
嵐を静める男          8:23−27
地上で罪を赦す権威を持つ者   9:1−8
必要と招きと応答        9:9−13
必要なのは新しい革袋      9:14−17
復活信仰            9:18−26
未曾有の出来事         9:27−34
収穫は多いが働き手が少ない   9:35−38
・・・

主の祈りについて

日本人にとって、主の祈りは、お題目やお経のように感じてしまう場合があるかもしれません。意味がわからずに、あるいは意味をよく考えずに祈るなら、主の祈りもお題目や意味不明のお経のようになってしまいます。
そこで改めて、主の祈りの意味について考えてみたいと思います。主の祈りの意味を良く知るために、以下のように主の祈りをひっくり返してみましょう。
天におられる私たちの父よ!➡省略
御名(神の名前)があがめられますように➡私の名前があがめられますように。「○○さんすごいね!」と。
御国(主イエスを中心とした神の国)が来ますように➡私を中心とした、私の国が来ますように。
みこころがなりますように。天でなされているようにこの地でも。➡私の心と願い(心願)、私の考えと計画が、この地において成就しますように。
私たちの日毎の糧を今日もお与えください➡私は自分の力で今日も糧を得よう。神などいなくても生きていける。
私たちの罪を赦してください。私たちに罪を犯す者を、私たちも赦します。➡誰でも私に罪を犯す者は、絶対に赦さず、いつか必ず仕返ししてやる。倍返しだ。
私たちを試みにあわせないで、悪から救ってください。➡私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝ち、自分で自分を悪から救い出そう。私が救い主だ。
国と力と栄光は、永遠にあなた(神)のものです。アーメン(心からの真実な願いです)。➡国と力と栄光は、永遠に私のものだ。
いかがでしょうか?主の祈りをひっくり返すと、私たち人間が心密かに願い求めている内容になります。このような的外れで自己中心で自分勝手な願望こそ、聖書が語る「罪」です。
意味を考えながら主の祈りを祈るなら、自らの内にある罪と格闘し、神を中心とし、的を射た人生を勝ち取ることができます。そして主の祈りを心を合わせて共に祈るなら、神の家族として共に生きることができます。

聖書が教える経済的祝福の原則

聖書が教える経済的祝福の原則
ばらまいても、なお富む人があり、
正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。箴言11章24節
おおらかな人は肥え、
人を潤す者は自分も潤される。箴言11章25節
自分の富に拠り頼む者は倒れる。
しかし正しい者は若葉のように芽を出す。箴言11章28節
自分の仕事をなまける者は、滅びをもたらす者の兄弟である。箴言18章9節
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、
一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
マタイ福音書6章24節
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、
これらのものはすべて与えられます。マタイ福音書6章33節
何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
ヨハネの手紙第一5章14−15節

クリスマスイブ燭火礼拝 孤独のとなり

クリスマスの元祖、本家、本元。それはキリスト教会です。なぜクリスマスにプレゼントなのか?それもキリスト教会に行けばわかります。今年のクリスマス、ぜひあなたも最寄りのキリスト教会で本当のクリスマスプレゼントをお受け取りください。お待ちしています。

杉戸キリスト教会地図

HOPE TO THE WORLD

HOPE TO THE WORLD

聖書が語る大切なこと

聖書が語る大切なこと
 しかし、あなたがたの天の父は、
 それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
 そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
 だから、あすのための心配は無用です。
 あすのことはあすが心配します。
 労苦はその日その日に、十分あります。
 マタイ6:32-34→主の祈りの前半と後半、十字架の縦棒と横棒
『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
 という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。
 マタイ22:37−40→十戒の前半と後半、十字架の縦棒と横棒
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
 そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
 また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、
 彼らを教えなさい。
 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」
 マタイ28:18−20→世界宣教教育命令

First Christmas

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