礼拝メッセージ「いと高き方にならいて」

礼拝メッセージ「いと高き方にならいて」

聖書箇所:使徒の働き7:46ー60

そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。使徒の働き7章60節

捨て身で神のことばを語ったステパノは、キリスト教会の歴史において、最初の殉教者となりました。

上記のみことばは、ステパノが地上の人生を終える最期に叫んだ、勝利のことばです。

ステパノが一生懸命祈っている彼らは、その時、怒りと憎しみと殺意に歪んだ恐ろしい形相で、次々にステパノに大きな石を投げつけていました。

しかしステパノは、そのような彼らの罪を、彼らに負わせないでくださいと、祈ることができたのです。

人はいと高き方・主イエス・キリストにならう日常生活の中で、少しずつキリストのように変えられる。そして人は、遂に憎しみよりも強い愛に生きることができる。愛と勝利の高嶺に登ることができる。

ステパノは身をもってそのことを実証し、一粒の麦として、しばらくの間、眠りについたのでした。そしてそこには、サウロという青年がいました。

礼拝メッセージ「荒野の40年」

礼拝メッセージ「荒野の40年」

聖書箇所:使徒の働き7:38ー45

『イスラエルの家よ。あなたがたは荒野にいた四十年の間に、ほふられた獣と供え物とを、わたしにささげたことがあったか。あなたがたは、モロクの幕屋とロンパの神の星をかついでいた。それらは、あなたがたが拝むために作った偶像ではないか。それゆえ、わたしは、あなたがたをバビロンのかなたへ移す。』使徒の働き7章42-43節

多くの紙面を割いてイスラエルの歴史が記されている聖書の語りかけに、なぜ全世界の人々が耳を傾ける必要があるのでしょうか?それはイスラエルが、全世界のすべての人々を代表しているからです。

聖書を読み、イスラエルの歴史を聴くということは、私たちが本当の自分を映し出す鏡の前に立たせられ、見たくない本当の姿を見させられるということに他ならないのです。

イスラエルは、ただ神のあわれみによって選ばれ、愛され、育まれました。しかしイスラエルの歴史は、罪と恥と裏切りに満ちています。これ以上ないほど神に愛されたイスラエルは、ことごとく神に逆らい、恵み深い神に反逆し続けた、うなじのこわい民です。

イスラエルは、荒野の40年においても、まことの神だけを信頼する道から外れ、ほかの神々をかついで歩み続けました。そのため、あのエルサレムが焼き払われ、イスラエルの人たちは、異国バビロンへ強制連行されることになりました。

礼拝メッセージ「預言者モーセ」

礼拝メッセージ「預言者モーセ」

聖書箇所:使徒の働き7:17ー37

このモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。使徒の働き7章37節

創世記が語っている父祖たちに続けて、モーセによる出エジプトの出来事を、ステパノは語ります。来週までに出エジプト記をお読みになってください。

『彼の子孫は外国に移り住み、四百年間、奴隷にされ、虐待される。』、『彼らを奴隷にする国民は、わたしがさばく。その後、彼らはのがれ出て、この所で、わたしを礼拝する。』そのようにアブラハムに語られた神の言葉は、時が来ると出来事になりました。

その時、『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人々が拒んだモーセを、神は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、支配者また解放者としてお遣わしになりました。

このモーセが、神の民を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行いました。そしてこのモーセが、イスラエルの人々に、『神はあなたがたのために、私のようなひとりの預言者を、あなたがたの兄弟たちの中からお立てになる。』と言ったのです。

ステパノが引用した神の言葉。それは預言者モーセによる、主イエスに関する預言でした。

礼拝メッセージ「父祖たちの神」

礼拝メッセージ「父祖たちの神」

聖書箇所:使徒の働き6:8-7:16

そこでステパノは言った。「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、・・・使徒の働き7章2節

歴史はいつでも、静まって神の御声を聴くことができ、いのちをかけて神に従うことを選び取ることのできた一人一人によって、切り開かれて来ました。

これからの歴史、ネクスト・ステージもそうです。静まって神の御声を聴くことができ、いのちをかけて神に従うことを選び取ることのできる一人。そのような一人によって、フロンティアは切り開かれていきます。

今日から4回に分けて、最初の殉教者ステパノの、いのちをかけた説教に耳を傾けます。今日の部分では、旧約聖書の創世記に記されている父祖たちと、父祖たちの神について、語られています。

ぜひ来週までに創世記を全部お読みになってください。そこには、父祖たちと呼ばれる人たちの人生が記録されています。

アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてヨセフを中心とした12人の族長たち。父祖たちの神は、彼ら一人一人をお用いになって、歴史を切り開かれました。

教会創立記念礼拝メッセージ「健康な教会の姿」

教会創立記念礼拝メッセージ「健康な教会の姿」

聖書箇所:使徒の働き6章1-7節

そのころ、弟子たちがふえるにつれて、ギリシヤ語を使うユダヤ人たちが、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情を申し立てた。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。使徒の働き6章1節

からだが健康であるとは、どういう状態でしょうか。
様々な変化や問題があったとしても、それらに適切に対処できているなら、それは健康な状態です。

使徒の働き6章前半には、キリストのからだである教会の姿が記録されています。そこには、問題があったとしても、それらに適切に対処している健康なキリストの体・教会の姿が描かれています。

問題のないからだ、問題のない教会はありません。けれども問題の中にあって、聖霊なる神の励ましと慰め、そしてすべての背後にある主の力強い御手によって、蒔かれた種は芽を出し、成長し、そして豊かな実を結びます。

教会とは、教会堂のことではなく、主イエスによって呼び出され、集められたキリスト信者一人一人です。教会はキリストのからだであり、かしらはキリストです。私たち一人一人は、キリストのからだの各器官として有機的に一つとされ、それぞれの働きと使命に生かされるのです。

礼拝メッセージ「もし神から出たものなら」

礼拝メッセージ「もし神から出たものなら」

聖書箇所:使徒の働き5章12-42節

しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」・・・使徒の働き5章39節

ガマリエルは、後にキリストに捕らえられるパウロ(サウロ)の先生でした。彼はすべての人に尊敬されているパリサイ派の律法学者でした。バランスのとれた穏健な人物で、以下のような説得力のある、適切なアドバイスをしました。

「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほどありましたが、結局、彼は殺され、従った者はみな散らされて、あとかたもなくなりました。その後、人口調査のとき、ガリラヤ人ユダが立ち上がり、民衆をそそのかして反乱を起こしましたが、自分は滅び、従った者たちもみな散らされてしまいました。

そこで今、あなたがたに申したいのです。あの人たちから手を引き、放っておきなさい。もし、その計画や行動が人から出たものならば、自滅してしまうでしょう。しかし、もし神から出たものならば、あなたがたには彼らを滅ぼすことはできないでしょう。もしかすれば、あなたがたは神に敵対する者になってしまいます。」

礼拝メッセージ「真実な共同体」

礼拝メッセージ「真実な共同体」

聖書箇所:使徒の働き4章32-5章11節

そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人たちとに、非常な恐れが生じた。使徒の働き5章11節

信じた者の群れ(教会)は、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていました。

地所や家を持っている者はそれを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられました。そのため彼らの中には、ひとりも乏しい者がいませんでした。

ところがアナニヤは、妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置きました。

即座にいのちを取られたほどに重い、アナニヤ夫婦の罪とは何でしょうか?アナニヤ・サッピラ夫婦の罪とは、ふたりだけで心を合わせつつも、兄弟姉妹とは心と思いを一つにしていなかった罪です。

それは、本当に困っている兄姉がいるのを見ても心が痛まず、他の兄姉が厳しい経済状況の中で助け合って生きているのに、偽ってでも、自分たちだけはリッチな生活をし続けようとする自己中心の罪でした。

礼拝メッセージ「祈りの共同体」

礼拝メッセージ「祈りの共同体」

聖書箇所:使徒の働き4章23-31節

彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。使徒の働き4章31節

キリスト教会は、報告することによって課題を分かち合います。そして十字架のもとに力と心を合わせて祈る時、聖なる神の霊に満たされて、勝利者となることができます。初代教会の祈りに学びましょう。

1、心合わせて神に呼びかけ、神について想起する
『主よ。あなたは天と地と海とその中のすべてのものを造られた方です。あなたは…』

2、神の視点をもって現実を見つめ、受け止める
『…事実、ヘロデとポンテオ・ピラトは、…あなたの御手とみこころによって、あらかじめお定めになったことを行ないました。』

3、神に大胆に願い求める
『主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください。』

4、祈りの結果-神の応答
『彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。』

礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

礼拝メッセージ「普通の人を用いる神」

聖書箇所:使徒の働き4章1-22節

彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって来た。使徒の働き4章13節

神に豊かに用いられたペテロとヨハネ。ふたりは、無学な、普通の人でした。

ペテロは主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は一番弟子であると自負していましたが、鶏が鳴くまでに3度、受難の主イエスを否みました。しかし先行する主イエスのとりなしの祈りによって、彼は涙の中から立ち直り、兄弟たちを力づける者に変えられていきました。

ヨハネも主イエスに呼ばれるまで漁師でした。彼は「ボアネルゲ」(「雷の子」の意)と呼ばれたほどに、短気で激しい性格の持ち主でした。しかし主イエスの愛によって、やがて彼は「愛の使徒」に変えられていきました。

ふたりはかつて、主イエスとともにいました。そしてふたりは、いつも主イエスとともにいました。無学な、普通の人が、神に豊かに用いられた秘訣がここにあります。

復活され、今も生きておられる主イエスは、現代を生きる私たちにも『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』と語っておられます。

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

聖書箇所:使徒の働き3章17-26節

神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」使徒の働き3章26節

生放送や生演奏等をライブと言います。ライブとは、生きているなまの状態であり、躍動するいのちです。緊張感の中でいきいきと輝き、元気はつらつの状態。それがライブです。

大変興味深いことに、英語においてライブ(LIVE)を反対から綴ると、悪を意味する言葉(EVIL)になります。ライブ(LIVE)をひっくり返したものが悪(EVIL)だとすると、「悪とはいのちを奪い、元気を奪うものである」と定義できます。

「あなたがたひとりひとりが、いのちや元気を奪う邪悪な生活をしている」と聖書は告発します。しかし続けて聖書は、「驚くばかりの恵みによって、人の悪が、人を生かし元気づけることのできるライブに変えられる」と福音を宣べ伝えています。

あなたから有害な毒のようなものをすべて取り除き、あなたをいきいきと生かす。その時、人々に元気を与え、人々を生かすことのできるライブな人としてあなたが生かされる。それが、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださる神の祝福です。