祝婚歌 吉野弘

祝婚歌 吉野弘

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

Christmas

Christmas

Christmas

What is Christmas

降誕祭

年輪

年輪は 樹を輪切りにすると 現れる
春夏秋冬により 一年ごとに刻まれる 記録・アーカイブ
遅々とした歩みでも 十年単位で見るなら 大きな歩み
喜びと悲しみ 光と陰 楽しみと苦しみ
いろんな変化によって 刻まれているのだろう
私の人生の年輪も
遅々とした歩みでも 十年単位で見るなら きっと大きな歩み
時が来ると実を結び その葉は枯れない
流れのほとりに植えられた樹は 何をしても栄える

年輪

新共同訳と聖書協会共同訳の比較

聖書協会共同訳
この冬に、カトリックとプロテスタントが共同で翻訳した新共同訳が31年ぶりに新しくなり、聖書協会共同訳として出版されました。手元に届いたので、早速読み始めました。礼拝で用いられることを目的とし、特に聖書朗読のために配慮して翻訳されたとのこと。引照と注が新たに加えられています。聖書は66巻で完結していますが、参考に旧約聖書続編付きを買いました。(更新中)

創世記2章1節

天地万物は完成された。(新共同訳)

こうして天と地、そしてその森羅万象が完成した。(聖書協会共同訳)

森羅万象!斬新な訳です!

創世記2章7節

主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(新共同訳)

神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。(聖書協会共同訳)

新共同訳では聖書本文にかっこ付きで原語の言葉遊びが紹介されていましたが、本文ではなく注で紹介されるようになりました。創世記2章23−24節の女(イシャー)と男(イシュ)も同様です。

創世記15章5−6節

主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(新共同訳)

主はアブラムを外に連れ出して言われた。「天を見上げて、星を数えることができるなら、数えてみなさい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(聖書協会共同訳)

「天を仰いで」が「天を見上げて」に。

詩編81篇11節

わたしが、あなたの神、主。
あなたをエジプトの地から導き上った神。
口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう。(新共同訳)

私は主、あなたの神
エジプトの地からあなたを上らせた者。
口を大きく開けよ。私はそれを満たそう。(聖書協会共同訳)

「口を広く開けよ」が「口を大きく開けよ」に。

詩編100篇1ー5節

【賛歌。感謝のために。】
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
喜び祝い、主に仕え
喜び歌って御前に進み出よ。
知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。
わたしたちは主のもの、その民
主に養われる羊の群れ。

感謝の歌をうたって主の門に進み
賛美の歌をうたって主の庭に入れ。
感謝をささげ、御名をたたえよ。
主は恵み深く、慈しみはとこしえに
主の真実は代々に及ぶ。(新共同訳)

【賛歌。感謝の詩。】
全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ。
喜びながら主に仕えよ。
喜び歌いつつその前に進み出よ。
主こそ神と知れ。
主が私たちを造られた。私たちは主のもの。
主の民、その牧場の羊。

感謝して主の門に進み
賛美しつつ主の庭に入れ。
主に感謝し、その名をほめたたえよ。
主は恵み深く、主の慈しみはとこしえに。
そのまことは世々に及ぶ。(聖書協会共同訳)

礼拝への招き。より簡潔になりました。

エレミヤ書31章20節

エフライムはわたしのかけがえのない息子
喜びを与えてくれる子ではないか。
彼を退けるたびに
わたしは更に、彼を深く心に留める。
彼のゆえに、胸は高鳴り
わたしは彼を憐れまずにはいられないと
主は言われる。(新共同訳)

エフライムは私の大事な子ではないのか。
彼のことを語る度に、なおいっそう彼を思い出し
彼のために私のはらわたはもだえ
彼を憐れまずにはいられないーー主の仰せ。
(聖書協会共同訳)

エレミヤ書31章20節。文語訳に近い良い訳になりました。

ヨハネによる福音書1章12節

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる資格を与えた。(新共同訳)

しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた。(聖書協会共同訳)

「神の子となる資格」が「神の子となる権能」に。

ヨハネによる福音書4章24節

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(新共同訳)

神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真実をもって礼拝しなければならない。」(聖書協会共同訳)

「礼拝で用いられることを目的として」とのことですから、この箇所は外すことはできないでしょう。「霊と真理をもって礼拝しなければならない。」が「霊と真実をもって礼拝しなければならない。」になりました。

ローマの信徒への手紙12章1ー2節

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。(新共同訳)

こういうわけで、きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの理に適った礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。(聖書協会共同訳)

「礼拝で用いられることを目的として」とのことですから、この箇所も外すことはできないでしょう。「なすべき礼拝」が「理に適った礼拝」に。「心を新たにして自分を変えていただき」が「心を新たにして自分を造り変えていただき」になりました。

落葉

落葉樹は、葉っぱを落として冬備へをする。
でもそれは、次の春を見据えてのこと。

人間は、断捨離をして人生の冬備へをする。
いや、断捨離ではなく、天に宝を移し変えているのだ。
それは、死の向こうにある復活、よみがえりの季節を見据えてのこと。

落葉

黄色い絨毯

黄色い絨毯

縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する

「縦軸のない日本社会は、・・・元来浮遊することをもって良しとしてきたのである。流れに棹させば流されるのである。戦後民主主義は縦軸の代用物の役割を果たしてきたが、流れの速さに押し倒されようとしている。・・・縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。・・・そこに今日の日本の真の危機がある。座標軸の構築こそが、内村が日本の思想史に残した遺産であり、その再構築が今問われている。」 隅谷三喜男『日本プロテスタント史論』146頁参照。

左近豊著「エレミヤ書を読もう 悲嘆からいのちへ」のはじめにで冒頭に引用されています。

「縦軸のないところでは横軸の流れだけが方向を決定する。」これは、国や社会のレベルだけではなく、一人一人の人生においても言えることです。縦軸のない人はただ振り回され、ただ翻弄され、ただ流されることしかできません。

エレミヤ書を読もう 左近豊

日日是好日

今日妻と一緒に映画も見てきました。とても素敵な映画でした。最近ほとんど映画に行ってもパンフレット買ってませんでしたが、あまりの素晴らしさにパンフレットも買いました。本もおすすめですが、映画もおすすめです。

日日是好日

日日是好日

好日日記 森下典子

Autumn Leaves

季節を感じ、今を味わうこと。

風や空気を感じること。

太陽の光を感じること。

雨の音を聴き、匂いや香りを感じること。

花や旬のものを愛でること。

お湯の音と水の音の違いを聞き分けること。

お茶は、一般恩恵に対する感度(センス・オブ・ワンダー)を高め、豊かな人生をもたらすのですね。

なぜ「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」なのか?

それは、この日は天地を造られた好い神さまが造られた日だからですよね。

これは主が設けられた日。
この日を楽しみ喜ぼう。
旧約聖書 詩篇118篇24節

日本のキリスト者は、もっと一般恩恵を味わう必要がありますね。

(一般恩恵とは、太陽の光、雨、雪、水、空気、海、大地、山河、植物、春夏秋冬、食物、地球環境、身体、命などを、日日天地を造られた神さまが、無償で与えてくださっているということです。キリスト教の専門用語です。一般恩恵に対して、特別恩恵もあります。特別恩恵とは、罪の赦し、からだのよみがえり、永遠の命を与えてくださるために、神さまが救い主・キリストを与えてくださり、書き記された神の言葉である聖書を与えてくださり、神の言葉を語る預言者や教師を与えてくださっているということです。)

「お茶」が教えてくれた15のしあわせ。

1、「自分は何も知らない」ということを知る
  聖書のみことば「自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」(コリント人への手紙第一8章2節)を思い浮かべました。

2、頭で考えようとしないこと
  ブルースリーの「考えるな、感じろ!」を思い浮かべました。

3、「今」に気持ちを集中させること

4、見て感じること
  実物教育で育てられたことを改めて覚えました。

5、たくさんの「本物」を見ること
  井の中の蛙にならないためには、何事でも必要なことですよね。

6、季節を味わうこと
  アウトドアに出かけること、外を出歩いて散歩すること、山登りをすること、それらすべてにカメラを持っていくことが私の実践です。

7、五感で自然とつながること

8、今、ここにいること

9、自然に身を任せ、時を過ごすこと

10、このままでよい、ということ

11、別れは必ずやってくること
   一期一会。だからその人に会ったり、その人と一緒に過ごす時を大切にしたい。

12、自分の内側に耳をすますこと

13、雨の日は、雨を聴くこと
   毎日が違う日。そして雨の日も好い日。

14、成長を待つこと
   世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある。

15、長い目で今を生きること
   毎年、同じことができることがしあわせ!

日日是好日(にちにちこれこうじつ/にちにちこれこうにち)
それが嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、その一日をありなまま受け止め、ひたすら生きれば、どんな日も、かけがえのない絶好の一日。

薫風自南来(くんぷうみなみよりきたる)
さわやかな風が吹いてくる五月、初風炉の頃によく掛けられる掛け軸。

風従花裏過来香(かぜはかりよりすぎきたってかんばし)
風にはもともと香りがないけれど、花のそばを通って来た風は良い香りがする。

・・・