「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解 -キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-

教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)

http://gospel.sakura.ne.jp/index2.html

祈りによる力 POWER THROUGH PRAYER by E. M. BOUNDS

祈りによる力

祈りによる力 POWER THROUGH PRAYER by E. M. BOUNDS
E. M. バウンズ著 羽鳥純二訳 いのちのことば社 より

教会は、もっとよい方法はないかと求めていますが、神はさらにすぐれた人を求めておられます。p6

「手早く祈りをすましてしまうことによって、信仰は弱まり、罪を感じることが鈍くなり、敬虔さはいかがわしいものになってしまいます。神とともに過ごすことが少ないならば、神のために少ししか役にたたなくなってしまいます。祈りを短く切り上げてしまうことによって、すべての信仰的な性格が小さくけちくさく、そしてだらしないものとなってしまうのです。」p115

もし、自分の牧師のことに不満ばかり言いつづけているクリスチャンが、人まえでそんなことを言うのをやめて、神の前でその牧師のために全力を尽くして祈ってさえいたならーへりくだった熱心な絶え間ない祈りによって、いわば天の御国を激しく攻めたてていさえしていたらーその牧師たちはもっともっと成功していたことでしょう。ージョナサン・エドワーズ p105

説教者は祈らなければならず、また人々は説教者のために祈らなければならないのです。説教者がその恐るべき責任を果たすために、またその重大な働きにおいて最大のそして最も真実な成功を得るために、彼はあらんかぎりの力をふりしぼって祈らなければなりませんし、また彼のためにあらんかぎりの力で祈らなければならないのです。ほんとうの説教者は、まず第一に自分自身で祈りの精神を養い育て、また実際に祈ることを学んでいくものです。しかし、次に神の民である人々の祈りを心からせつに求めています。p106

祈らない信徒は、信徒の中で実にみじめであって、そういう人は、聖徒としての熱心さも美しさも力も持っていないのです。いったいだれがこの破壊の傷口をなおすのでしょう。教会を祈るようにできる人こそ、最大の改革者であり、使徒でありましょう。個人また教会の生涯に、新時代を画するほどの霊的革命を起こしうるような、根源的で意欲的な祈り・信仰・生涯・奉仕をもたらす、力強い信仰と汚れのないきよさと著しい活力と燃えるような熱心を備えている人こそ、現代の、またあらゆる時代の教会が大いに必要としている人たちなのだということが、私たちが真剣に考えた末の判断です。p121

東海聖書神学塾創立30周年記念集会

月曜日の朝4時半、夜明け前の杉戸を後にして車を走らせる。約5分の距離にある圏央道幸手ICから高速に乗る。10月末に白岡菖蒲と桶川北本間がつながったおかげで、海老名JCTまで一気に抜け、東名に入る。御殿場JCTで新東名に入り、三ヶ日JCTで東名に戻る。そして東名を名古屋方面に走り、東名三好ICで下道に降りる。日進市にある栄聖書教会まで休憩を入れて約5時間で到着。お世話になった東海聖書神学塾の創立30周年記念集会に参加することができた。お世話になった先生方や先輩、そして兄弟姉妹に再会することができて本当に感謝だった。
東海聖書神学塾創立30周年記念集会録音データー(クリックで聞けます)
三位一体ペンギン
まだ始まったばかり
お世話になった先生方
教会の主の物語 フロンティアⅢ 30周年記念誌 東海聖書神学塾
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神の痛みの神学のキリスト中心的理解

神の痛みの神学のキリスト中心的理解

教会史における所属教会の位置

教会史における所属教会の位置