使徒的共同体 芳賀力

使徒的共同体 芳賀力

1、悔い改めと赦しの神的制度
 教会共同体は、悔い改めのない、また赦しのない社会の中で、真実に悔い改める機会と場所を提供し、罪の赦しを伝達する制度として、神によって建てられている。

2、慰めと癒しの神的制度
 教会共同体は、安易な慰めと手軽な癒ししかなく、本当は慰めも癒しも存在しない社会の中で、真実の慰めをもたらし、魂の霊的癒しを与える制度として、神によって建てられている。

3、文脈創出(啓示的語り)の神的制度
 教会共同体は、文脈を喪失し、断片化した小さな物語群によって翻弄される社会の中で、文脈としての大きな物語(グランド・ストーリー)を提供し、善き生についてのヴィジョンを提示して、生きる望みと力を創出する制度として、神によって建てられている。

4、美徳育成の神的制度
 教会共同体は、美徳なき時代に聖書的美徳に生きることを喜んで選び取り、聖書的な神の属性に対応する聖書の民の特性を育成する制度として、神によって建てられている。

5、公同礼拝(祈りと讃美)の神的制度
 そして何よりも教会共同体は、もろもろの民の中より呼び集められ、まことの神を讃美し、共に御名を崇める公の制度として、神によって建てられている。
p88-91

慰めの共同体・教会 クリスティアン・メラー

慰めの共同体・教会 クリスティアン・メラー

今日は、何が何でも若者を崇め奉っているような時代であるが、そのような時代にあっても、高齢者たちに目も留めず、教会堂を埋めているのは、「ほんの僅かな年寄り」ばかりだという言葉でしか、自分の不満を言い表すことができないような人間には、真実の意味で、若者を大切にする姿勢も見られないのである。若い人びとが日常の家庭生活から知っているのは、自分たちの問題が、自分の立場の弁護ばかりしている父親たちよりも、自分の生活をよく考え続けている祖父たちによって、よく理解されているということなのである。このような「社会の支え手である世代」を飛び越えて、孫たちと祖父母たちの間に架けられている、このまことに不思議な橋が、キリスト者の共同体全体が、それによって生かされる財産であることが、既に十分に認識されているであろうか。あるアフリカの賛美の歌において語られているのは、まさにこの財産に関わる祝福にほかならないのである。

私のよろめく足
萎えた手に
理解を示してくれる人びとは、祝福されています
私の耳が苦労しないと
ひとが語りかける言葉を聴き取ることができないことを
よくわかってくれる人びとは、祝福されています
私の目がかすみ
ゆっくりでなければ考えることができなくなっているのを
わかってくれる人びとは、祝福されます
親しい微笑を交わし
しばらくのおしゃべりを楽しんでくれる人びとは、祝福されます
「今日、そのことを二度も口になさいましたよ」と
決して言うまいとしてくれている人びとは、祝福されます
私のこころのうちに、遠い昔の思い出を呼び覚ますすべを
心得ている人びとは、祝福されます
私が愛されており、尊敬されており、ひとりぼっちではないことを
経験させてくださる人びとは、祝福されます
私になお残されている日々を
その優しさで、軽やかな者にしてくれる人びとは
祝福されます
p316-318