憲法記念日に

憲法の無意識 柄谷行人

 日本では外から危機が生じるとき、いいかえれば、超越的なものが外から到来するとき、内部で天皇を超越化するということです。それを示す最初の例は「大化の改新」(六四五年)です。これが起こったのは、唐が新羅とともにヤマトに到来することが必至と見えた時期です。したがって、つぎのようにいっていいでしょう。日本では、天皇が超越的な存在として実権をもつような時期は、内外において危機的な状態にある、戦乱状態にあるということです。p67

 くりかえすと、憲法九条が根ざすのは、明治維新以後七七年、日本人が目指してきたことの総体に対する悔恨です。それは「徳川の平和」を破って急激にたどった道程への悔恨です。したがって、徳川の「国制」こそ、戦後憲法九条の先行形態であるといえます。
 ただ、私がそのようにいうのは、憲法九条は日本文化に根ざしているという意味ではありません。また、徳川時代の国制を称賛したいわけでもありません。憲法九条が含意するのは、カントが明確にした普遍的な理念です。それについては次章で考えますが、ここまで私が試みてきたのは、その普遍的な理念が、なぜいかにして、他ならぬ日本において制度として定着したのかを示すことです。それは、日本人の意思あるいは理想主義によるものではない。それはむしろ、日本が侵略戦争を行ったことを通して、さらに占領軍による強制を通して実現された。私がそこに見いだすのは、いわば「自然の狡知」です。p79

Shogo Hamada & The J.S. Inspirations『What’s Going on 』(Music Video)

Culture of the Kingdom 天国の文化 回復への旅

天国の文化 回復への旅

戦争のための道具は、文化を生み出すための豊かな手段に変えられます。預言者イザヤは、未来についての神の幻を得たのです。本書では、現代における聖書的真理の回復について、そして、神の御国が国の文化と接触する最前線で、私が発見した事柄を記しました。p17

私は、自分が、民主的な国家の市民だと理解していましたが、これまで一度も、神の国の住民だと考えたことはありませんでした。王であるイエスに仕えるとはどんな意味なのでしょう。このテーマこそ、これから改めて、本書で取り扱おうとしているテーマです。p52

敵を愛しなさいというイエスの戒めは、神の御国において最も偉大な真理の一つです。その真理の原則とは、戦争で敵を打ち負かすより、敵の心と魂を勝ち取るほうがより力強くそして好ましいということです。どちらが最終的に、永続的な本当の平和をもたらすでしょうか。p99

闘いや戦争のとき、その結果受ける心の傷は、単純な肉体の傷より、さらに深く人を傷つけます。暴力が収まった後でも、双方ともなお生命を破壊し続ける心的外傷の苦痛にたえなければなりません。p99

熱心に正義が求められなければならないし、正義は犯罪に対して厳正に適用されなければなりません。それでもなお多くの場合において、完全な正義が行われることはないでしょう。北アイルランド、南アフリカ、ルワンダなどの場所で唯一の解決をもたらしたのは、共通に悲しみと痛みを覚えながら、平和と和解を模索することでした。相手を人間だと思わなくなると、そこに増悪が生まれ、虐殺さえ起こります。愛とは、互いを人間であると理解し合うところに始まるのです。復讐と増悪の悪循環を壊せるのは、ただ愛だけです。p99-100

by ピーター・ツカヒラ

沢 知恵「われ問う」×山本宗補「戦後はまだ…」

NO MORE WAR! 戦争反対!

あまりに多く血が流された
とてつもない悲しみが襲った
あまりに尊い犠牲払った
充分過ぎるくらい学んだ…違うか?
by Shogo Hamada

Jackson Browne – For America 日本語和訳付き

NHK大河ドラマ「龍馬伝」メモ


世界標準の日本人・世界に通用する日本人としての坂本龍馬
母上が教えてくれたがじゃ。憎しみからはなんちゃあ生まれん。
憎しみが憎しみを生む。それが戦がもたらす悲劇ぜよ。
土佐を上士も下士もない国にするがやき。
もう日本人同士でケンカしゆう場合じゃないがぜよ。
私心があっては志とはいわん。
戦をせずに異国の侵略から日本を守る方法。ケンカをせんと日本を守る方法。
この国を洗濯することぜよ。
大嵐の中で船長の取るべき行動は何か?船員のいのちを守ること。
武士が力づくでではなく、志のある者が議論を尽くして治めていく。
どんな時にも望みがある。
武士も大名もなくなってしもうた世の中に何が残る?
異国と堂々と渡り合う日本人が残るがです。
いのちを狙われるぐらいのことをせんと、日本は変わらんがぜよ。
うみ。海。この海の向こうに世界が広がっちゅう。

主日礼拝メッセージ「義と平和と聖霊による喜び」ローマ37

主日礼拝メッセージ「義と平和と聖霊による喜び」ローマ37(クリックで聴けます)
聖書箇所:ローマ人への手紙14章13ー23節

15 もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。16 ですから、あなたがたが良いとしている事がらによって、そしられないようにしなさい。17 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。18 このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。 19 そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。20 食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。21 肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。 22 あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。23 しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。ローマ14章15−23節