閉塞感に囚われる原因とブレイクスルー

閉塞感に囚われる原因とブレイクスルー
1、報い・結果を求めてもなかなか見えないことによる失望。しかし見えない時でも、聖書に約束されている報い・結果から目をそらさないなら、本気で信じて従い、やがて青空を見上げることができる。
2、報い・結果に関する期待と現実の違いによる失望。こんなはずじゃなかったと理想と現実の違いに愕然とする時でも、心を注ぎ出して神に本気で祈るなら、まず心の中で青空を見上げることができる。
3、報い・結果から意図的に目をそらしながら(あるいはそれを否定しながら)、大きな犠牲、献身、ハイリスクを払い続けるため。大きな犠牲、献身、ハイリスクを払い続けるためには、豊かな実り、豊かな報い、ハイリターンがどうしても必要。ぜひご自分で調べてみてほしい。聖書にどれほど多く「報い」の約束がちりばめられているかを。本気でハイリスクな信仰の旅、フェイスミッションをするためにこそ、数え切れないほどのハイリターンの約束が与えられている。おそらく信仰の父と呼ばれる者に変えられたアブラハムも、創世記12章冒頭に約束されているハイリターンの約束がなければ、安住の地に留まり続けたはずだ。
創世記12章1-5節
閉塞感に対するブレークスルーは、報い(結果)から目を離さないこと!

キリスト讃歌(ピリピ人への手紙2章6−11節)

キリスト讃歌

閉塞感に対するブレークスルーは、報い(結果)から目を離さないこと!

閉塞感に対するブレークスルーは、報い(結果)から目を離さないこと!

東海聖書神学塾創立30周年記念集会

月曜日の朝4時半、夜明け前の杉戸を後にして車を走らせる。約5分の距離にある圏央道幸手ICから高速に乗る。10月末に白岡菖蒲と桶川北本間がつながったおかげで、海老名JCTまで一気に抜け、東名に入る。御殿場JCTで新東名に入り、三ヶ日JCTで東名に戻る。そして東名を名古屋方面に走り、東名三好ICで下道に降りる。日進市にある栄聖書教会まで休憩を入れて約5時間で到着。お世話になった東海聖書神学塾の創立30周年記念集会に参加することができた。お世話になった先生方や先輩、そして兄弟姉妹に再会することができて本当に感謝だった。
東海聖書神学塾創立30周年記念集会録音データー(クリックで聞けます)
三位一体ペンギン
まだ始まったばかり
お世話になった先生方
教会の主の物語 フロンティアⅢ 30周年記念誌 東海聖書神学塾
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矢内原忠雄の言葉

今日高崎福音キリスト教会で持たれた関東宣教区の教師会にて、山口陽一先生が次のような矢内原忠雄の言葉を紹介してくださいました。
今日の関東宣教区教師会にて

思うに日本思想の精髄はその国家観念にあるであろう。ここに日本思想の最美点があるであろう。しかも最美点のある処、最大の罪悪もまた伴うのである。
日本的キリスト教は世界に比なきこの国家思想を保存完成すると共に、反動としての国家主義に対し具体的に抵抗するものでなければならない。
個人についての利欲と虚偽は悪思想であるとすれば、国家的利欲および国家的虚偽はまた極めて悪思想なりと言わねばならない。しかも利欲の正義的仮装は罪の極致である。
たといそれが国家的利欲であるとしても罪の罪たることは変りはない。もし日本的キリスト教が日本特有の国家思想を保存完成すべきものとせば、かくのごとき利欲虚偽の国家思想をば極力排斥するものでなければならない。

矢内原忠雄 悲哀の人(内村先生第三周年記念講演会)より
日本の説教11 矢内原忠雄

アルケミスト 夢を旅した少年

アルケミスト 夢を旅した少年

「おまえが何かを望む時には、宇宙全体が協力して、それを実現するために助けてくれるのだよ」p29

上記の言葉は、聖書の原則に沿って以下のようにするといい。「おまえが主なる神のみこころにかなった何かを望む時には、三位一体の神が協力して宇宙全体を動かし、それを実現するために助けてくれるのだよ!」
根拠となる聖書のみことばは、以下に記す1ヨハネの手紙5章14−15節。

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。

市川白弦著「仏教者の戦争責任」

仏教者の戦争責任

一九四五年の日本の壊滅的な敗戦のあと、もっとも根源的な自己批判を展開した日本の仏教徒、市川白弦が、侵略的軍国主義の正当化の支えとなった、仏教の伝統における十二の特徴をあげたとき、そのリストに仏教の基本的教義のほとんどすべてーたとえば、あらゆる現象は絶えざる流動のなかにあるとみなす、縁起ないし因果をめぐる仏教的教義とそれに関連した無我をめぐる教義、厳格なドグマの不在と人格<神>の不在、正義ではなく内面的平安を重視すること、等々ーを入れざるをえなかったのは、なんら不思議なことではない。 ・・・スラヴォイ・ジジェク著『操り人形と小人 キリスト教の倒錯的な核』青土社p49-50より

以下、市川白弦著「仏教者の戦争責任」春秋社1970年より引用

歴史的世界の悪を傍観して自己の清潔を守る宗教者の「徳」を、D・ボンヘッファーは宗教者の「敬虔なる怠慢」とよんでいる(森野善右衛門訳『現代キリスト教倫理』二六四頁)p4

西欧では宗教の名による戦争がしばしばおこなわれたが、仏教のばあいは決してそうではなかった、というたぐいのことばを、明治以後に生まれた仏教者、「破邪」「折伏」などの論理を「聖戦」に奉仕させたわれわれ仏教者は、つつしみたいと思う。中国を侵略した仏教は、もともと中国から学んだものであった。p20

山道でタイヤがパンクしてしまったが、何とか無事に帰宅

日光大笹牧場レストハウス
日光大笹牧場レストハウスにて
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家族で日光の大笹牧場にドライブに出かけた帰り道、霧降高原の山道でタイヤがパンクしてしまったが、何とか無事に帰宅することができてホッとしたというお話。主に感謝します。
大笹牧場へドライブ
行きに印象的だった紅葉を帰りながら撮影するため、側道のスペースに駐車しようと考えた。停車するために減速して車道から路肩に乗り上げた時、「ボスッ」とイヤな音がした。降りて見ると、なんとタイヤが見事にパンクしていた。
夏前の車検の際、タイヤ交換をしておけば良かったかもしれない。その時すでに、タイヤの溝はまだ十分あるが、タイヤの横に少しヒビが入っていたから。路肩に乗り上げる際のタイヤ側面への衝撃でついにパンクしたらしい。
JAFを呼ぼうとしたけど携帯が圏外。スペアタイヤと工具があったので、何とかタイヤ交換をして帰って来れた。まだ左肩付近の鎖骨骨折が完治していないので、妻にも少し手伝ってもらってのタイヤ交換。高速走行中やこの前一人で三国峠を越えて中津川林道を通った時にこうならなくて本当に感謝。
大笹牧場