Culture of the Kingdom 天国の文化 回復への旅

天国の文化 回復への旅

戦争のための道具は、文化を生み出すための豊かな手段に変えられます。預言者イザヤは、未来についての神の幻を得たのです。本書では、現代における聖書的真理の回復について、そして、神の御国が国の文化と接触する最前線で、私が発見した事柄を記しました。p17

私は、自分が、民主的な国家の市民だと理解していましたが、これまで一度も、神の国の住民だと考えたことはありませんでした。王であるイエスに仕えるとはどんな意味なのでしょう。このテーマこそ、これから改めて、本書で取り扱おうとしているテーマです。p52

敵を愛しなさいというイエスの戒めは、神の御国において最も偉大な真理の一つです。その真理の原則とは、戦争で敵を打ち負かすより、敵の心と魂を勝ち取るほうがより力強くそして好ましいということです。どちらが最終的に、永続的な本当の平和をもたらすでしょうか。p99

闘いや戦争のとき、その結果受ける心の傷は、単純な肉体の傷より、さらに深く人を傷つけます。暴力が収まった後でも、双方ともなお生命を破壊し続ける心的外傷の苦痛にたえなければなりません。p99

熱心に正義が求められなければならないし、正義は犯罪に対して厳正に適用されなければなりません。それでもなお多くの場合において、完全な正義が行われることはないでしょう。北アイルランド、南アフリカ、ルワンダなどの場所で唯一の解決をもたらしたのは、共通に悲しみと痛みを覚えながら、平和と和解を模索することでした。相手を人間だと思わなくなると、そこに増悪が生まれ、虐殺さえ起こります。愛とは、互いを人間であると理解し合うところに始まるのです。復讐と増悪の悪循環を壊せるのは、ただ愛だけです。p99-100

by ピーター・ツカヒラ

The marriage course マリッジコース

At marriage course
結婚して約16年と6カ月目に、マリッジコースを受講することができた。マリッジコースは、まさに人間ドックのようなもので、健全な結婚生活には必要不可欠。この素晴らしさを、ぜひ多くの方々に分かち合いたい。

愛する日本の教会・キリスト者へ

「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」マタイによる福音書‬ ‭11:12

荒野でストイックな生活をし、一世を風靡するリバイバルの中でキリストの道備えをしたバプテスマのヨハネ。預言者エリヤの霊と確信に満ちて、主イエスを来たるべきキリスト・救い主として指し示し、主イエスにバプテスマを授けたバプテスマのヨハネ。彼は獄中にいた時に、鍔迫り合いのような激しい霊的戦いを強いられていた。その時の様子を聖書は次のように語っている。

「さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。マタイによる福音書‬ ‭11:2-3

強い信仰者というイメージを持つバプテスマのヨハネが、ここまで弱くなっていた。なぜならその時すでに、天国は激しく襲われ始めていたから。

バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」‭‭マタイによる福音書‬ ‭11:12

韓国の教会は祈る教会、日本の教会は議論する教会と言われる。
確かに韓国のキリスト者は、祈り倒すという言葉がぴったりの激しさで祈る。祈祷院などで祈りに専念し、祝福と勝利と解決が与えられるまで、決してあきらめないで、ヤコブのように粘り強く、激しく大声で叫び、祈り続ける。
それに対して私たち日本のキリスト者は、祈りにおいてあまりにおとなしく、お祈りしているのかお寝りしているのかわからないような状態だったかもしれない。
しかし今こそ、日本のキリスト者が、祈りという武器をしっかり手に取り、激しく祈る教会になる時ではないか。ー戦後70年目のターニングポイントにて

45回目の誕生日に

45回目の誕生日に、カズオ・イシグロ氏の『日の名残り The Remains of the Day』(ブッカー賞受賞作)を読みながら、次のような気づきが与えられた。執事を主人公とする小説を、最初あまり読みたいとは思わなかった理由。それは、やはり自分が「執事」ではなく「主人」になりたいと願っていたからではないか。
日の名残り
読み進めていくうちに、次のような文章に出会った。

「お考えください。私はダーリントン卿にお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができたのです。私は三十五年の歳月をダーリントン卿に捧げました。そしてその三十五年間、私こそ真の「名家に雇われて」いた執事だと申し上げてよかろうと存じます。これまでの執事人生を振り返るたびに、あの歳月にダーリントン卿のもとで成し遂げた諸々のことが、私に最も大きな満足感を与えてくれます。卿にお仕えできたことを私は誇りに思い、卿に対しては、私をお使いくださったことへの感謝しかありません。」カズオ・イシグロ著『日の名残り』p182より

この世界という車輪の中心で、最高の主人に仕えることが許された執事、それがキリスト者ではないだろうか。
私は、二十歳の時に主イエスにお出会いし、あれから二十五年間、主イエス・キリストとともに生きてきた。
上記の表現を拝借して、私は今の気持ちを次のように告白したい。
「お考えください。私は主イエスにお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができているのです。私は二十五年の歳月を主イエスに捧げました。そしてその二十五年間、私こそ真の「名家に雇われて」いた執事だと申し上げてよかろうと存じます。これまでのキリスト者人生を振り返るたびに、あの歳月に主イエスのもとで成し遂げた諸々のことが、私に最も大きな満足感を与えてくれます。主にお仕えできたことを私は誇りに思い、主イエス様に対しては、私をお使いくださったことへの感謝しかありません。」
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私とバイクその9リハビリの感謝と課題

リハビリの感謝と課題
リハビリのおかげで回復し、左手と左腕でできることが少しずつ増えてきた。
以下のことに本当に感謝です!
シャツを自分で着ることができるようになった
キーボードを両手で打てるようになった
ネクタイを自分で締めれるようになった
車のハンドブレーキの上げ下げ、ギアチェンジが左手でできるようになった
ベルトを通すことができるようになった
顔を両手で洗えるようになった
シャンプーを両手でできるようになった
左手でコードを押さえて、ギターを弾けるようになった
けれども、リハビリの課題もあります。
少し歩きすぎたり、動きすぎると、痛む。
寝ている時など、時に神経に触れるのか、痛みや痺れが襲ってくる。
骨がくっつき始めるには3ヶ月ほどかかるので、まだまだ先は長い。

人の想定外と神の想定内

数え切れない子どもたちが、親の想定外で生まれています。
でも子どもたちは誰一人、神の想定外ではないのです。
はかり知れない神の目的においては、人間の過ちも、罪でさえも想定内です。
親があなたを身ごもるずっと前に、あなたは神のマインドの中に、
かけがえのない大切な存在としてデザインされていたのです。
親があなたのメーカーではありません。だからもちろんオーナーでもありません。
天地を創造された神だけが、あなたのメーカーでありデザイナーであり、オーナーです。
この神との関係を回復しない限りは、どんな素晴らしい家族に囲まれても、
孤独と空しさ、満たされない思いと不安の中で、決して幸せにはなれません。

As a J.BOY


As a J.BOY

京まで繋がるシルクロードによって、世界と国際交流していたJapan
戦国時代、血で血を洗う戦いに明け暮れたJapan
徳川幕府によって、世界に類を見ない厳しさのキリシタン迫害が数百年続いたJapan
幕末に黒船によって目覚め、鎖国を解き、明治維新によって和魂洋才、脱亜入欧を目指したJapan
ロシアのバルチック艦隊に勝利して自信過剰になり、大国アメリカやアジア諸国に世界的な侵略戦争を仕掛けたJapan
アジア諸国にも神社参拝を強要し、兄弟姉妹たちを迫害し、主イエス・キリストを迫害したJapan
島々では壮絶な地上戦、本土も焼夷弾によって焼け野原にされ、ヒロシマとナガサキに世界で最初に原子爆弾を投下され、敗戦を迎えたJapan
犯されて焼け跡の灰の中から、アメリカに憧れ、世界的な経済大国となり、マネーによってクレイジーなJapan
世界で最も深刻な原発事故をフクシマで起こし、地震大国なのに今なお原発再稼働を試みるJapan
世界の地震と原発の地図

ひび割れた原子力(NUCLEAR POWER)
雨に溶け 風に乗って
受け止めるか 立ち止まるか
どこへも隠れる場所は無い
It’s A NEW STYLE WAR
「A NEW STYLE WAR」浜田省吾より

僕はそんなこの国で生まれ育った、一人のJapanese Boy
Japanよ、どこに向かっているの?Japanよ、何を手にしたいの?
SHOW ME YOUR WAY, J.BOY!
ROCK JET 緊急巻頭特集 浜田省吾 終わらない物語
青空のゆくえー浜田省吾の軌跡

だから、自分が変わらない限りは、誰を愛しても結局は同じ結末を迎えてしまうという気がしますよね by 浜田省吾 青空のゆくえp138

だから、男の人と女の人が愛し合う上でとても大切なことは、互いに1人で立っていられるということだと思うんですよね。1人で立っていられないから、それで相手を求めて、共に倒れてしまうことが凄く多くて。1人で立っていられる人間同士が、1人では生きていけないから一緒に歩いていくという、そういう自分になれればきっと、凄くピュアでストレートなラブソングが書けると思うし、そうなれればいいなあ、とは思うんですよね。 by 浜田省吾 青空のゆくえp139

こんな話があるんですよ。僕が凄い好きな話なんですけども、2人の人が、それは男でも女でもいいんですけど、一緒に砂浜を歩いてて、その後ろにずーっと2人の足跡が続いていく。で、ある時片方の男が凄く辛かった。苦痛で、いろんな重荷を背負って、すごく辛かった時に後ろをふと振り返ると、足跡が一つしかなかった。そして、やっとその困難を克服すると、また足跡は二つになっていたと。それでその人は相手に『何であなたは僕が一番辛い時に僕を見捨てたんだ、僕は1人で歩いてきたんだ』と言ったら、相手が『そうじゃなくて、あなたが一番辛かった時、私があなたを背負っていたんだ』という話なんです。そういった”愛”というのにたどり着ければいいな、と。でも2人は基本的には自分の足で歩いているという」 by 浜田省吾 青空のゆくえp139

「それで、この曲は8月6日に作ったんです。僕の父は被爆者でガンで亡くなりました。で、核兵器ってものが存在するわけですね。まあ僕は広島生まれだし、8月6日は厳かな気持ちになるんですよ。父は救助に行って被曝してるわけですから。やっぱりそれについて歌を書こうと思った時に、核兵器が存在した世代というーもう人類が誕生して何万年っていう時代は地球に核というものが存在しなかったわけ。で、1945年以降には核が存在してるわけでしょう。このわずか35年間とその前の何万年ってのは全く違う世代だと。何故なら一瞬にして我々が消滅してしまう可能性が生まれた。そこには凄く巨大な虚無感があるわけじゃないですか、無力感と。要するに核兵器があるそういう世代観みたいなものを思ったんですね。だから、全ての核兵器が全部ゼロになった以降の世代がほんとのラブ・ジェネレーションじゃないのかなあと。愛の世代なんじゃないかなあと。」 by 浜田省吾 青空のゆくえp258

だから、僕が”AMERICA”っていう歌を作ったり、アメリカをテーマにした歌を沢山作るから、すごくアメリカへの憧憬が強いんじゃないかって思われがちなんですけど、そうじゃなくて、僕は、避けて通れない事なんだと。日本っていう国はアメリカを絶対避けて通れないという。だからテーマなんです。 by 浜田省吾 青空のゆくえp303

僕と彼女と週末に

Why don't you trust in Jesus?

You know, Jesus loves you first
long before you love Him.
Because He is the true love.
You know, Jesus knows everything
and especially what is best for you.
Because He is the designer of You.
You know, Jesus knows all your pains.
Because He became flesh
and made his dwelling among us.
You know, Jesus died on the cross
especially for you
long before your repentance.
Because He loves you so much.
You know, Jesus gave you everything
long before you give Him something.
You know, Jesus is living
because He has been raised from the dead!
Why don’t you trust in Jesus?
Why don’t you respond to Him?
Now the time to trust.
And now the time to love Him.
Why don’t you trust in Jesus?
Why don’t you respond to Him?
Now the time to trust.
And now the time to worship Him.
by Shinri Nomachi

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?

閉塞感という名の黒雲を突き破るものは何か?それは決して、人間の信仰深さや熱心さではない。
キリステ(切り捨て)教では、人間の信仰深さや熱心さがブレイクスルーの鍵を握っていると教えられる。そしてキリステ教では、「願いかなわざることなし」、「願ったとおりに叶えられていく」と教えられる。けれども、いくら願っても願いがかなえられない状況で悩む人々を、「それはあなたの信心が足りないから。信仰のとおりにしかならないから、信じられなかったらもうおしまい」と切り捨てる。
以下に引用する新約聖書ルカの福音書1章20節は、閉塞感を突き破る鍵となるみことばであり、キリスト教がキリステ教にならないために、真剣に耳を傾けなければならないみことばである。

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」』

主なる神が約束してくださったことは、たとえ人間が信じられなくても、信心が足りなくても、時が来ると必ず出来事になる。だから信じられなくても大丈夫。どんなことがあっても、人間の不信仰でさえも突き破って、神は約束を必ず守ってくださる。
閉塞感という名の不信仰を突き破るものは何か?それは、天地を創造され、万物を御手に統べ治めておられる主なる神の真実な御言葉である。

沢 知恵「われ問う」×山本宗補「戦後はまだ…」