流れのほとりに植えられた木 吉川福音教会開拓38周年記念礼拝2024-02-11

吉川福音教会開拓38周年記念礼拝でのメッセージ。「流れのほとりに植えられた木」詩篇1篇より

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神の言葉は出来事に 東京プレヤーセンターお昼の礼拝にて

メッセージ題:神の言葉は出来事に
聖書:ルカの福音書1章1-20節
主題:神の言葉は、人間の不信仰を超えて、時が来ると必ず出来事になる。
日時:2023年11月21日(火)12時15分〜
東京プレヤーセンターお昼の礼拝にて

お茶の水クリスチャンセンター

勿来・いわきツーリング2023-10-02

勿来キリスト福音教会

泉グレイスチャペル

教会堂隣接型納骨堂

増井牧師

⭐️決して信仰や奉仕を押し付けない増井牧師
 もうすぐいわきの地で30年。

 福音の安売りはしない。来たい人が来ればいい。
 ➡️未信者がしびれを切らして、逆に教会に行ってもいいですか?

 奉仕の強制もしない。奉仕したい人がすればいい。
 教会員よりも未信者の方々がよく動き、教会の草取りや奉仕をしてくださっている。
 
⭐️震災を通しての主のお導き。
 平日に未信者の方々の出入りが非常に多い。

⭐️日本のキリスト教会は、いきなり三塁打を狙っていないか?
 まずは一塁に送ること。星野富弘詩画展。地域の未信者の方が200名以上教会に。全員に挨拶できた。

⭐️ 今、同盟教団において、40代の牧師たちが多く起こされていることに感謝。
 団塊の世代の子どもたちを導くことに力とお金を注いだ教団青年宣教大会の結実。西村牧師の先見。

⭐️教会堂隣接型納骨堂の恵み
 土浦めぐみ教会の清野牧師の教えを受けて後から会堂に隣接する形で設けられた納骨堂と墓碑銘とモニュメント。毎週子どもや孫たちが集う教会堂に隣接しているので、皆さんそこに入りたい。真剣に夫婦で相談され、真剣に求道し、入信される方が続々と起こされている。

⭐️兼牧ではなく代務
 湯本と内郷。役員会には出ず、あくまでも代務というスタンスで。受ける時真剣に祈った祈りが応えられて、今は多くの働き手(牧師や宣教師)が与えられている。

⭐️高氏博史牧師 
 高氏博史牧師が杉戸に来られる前の任地であったいわきキリスト教会。杉戸の次の任地、新座聖書教会においては、良い形で教会を閉じる働きをされた。マイナスイメージでない教会の統廃合についての神学がこれからは必要。永遠に存続している地域教会は存在しない。高氏牧師が東海の教会におられた時、あるいわきの信徒が定期的に東海の礼拝に参加され、一緒にトラクト配布などをされた。それで東海の教会は今とても良い状態に。まだまだ現役で日の出町で未伝地伝道中。

勿来・いわきツーリング2023-10-02

アクアマリンふくしま

鰹のたたき定食

ローマ人への手紙講解メッセージ2023

『全世界を幾度も改造したる歴史を有し、なお将来も、しかする力を具備せる一書。この一書こそロマ書である。』内村鑑三著「ロマ書の研究」より

「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解 -キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

1999年度 東海聖書神学塾 卒業論文
「神の痛みの神学」のキリスト中心的理解
-キリスト者の生活における苦難の積極的意味を求めて-

A graduation thesis of Tokai Theological Seminary in 1999
The Christ-centric understanding of
“Theology of the Pain of God”
-Seeking positive meaning of the pain in Christian life-

教職志願者コース4年 野町 真理
(所属教会:日本同盟基督教団・豊橋ホサナキリスト教会)

http://gospel.sakura.ne.jp/index2.html

ローマにいる神に愛され召された聖徒たちへ 礼拝2023-01-15

悲しみつきざる浮世にありても

改めて、詩篇1篇に、ご一緒に耳を傾けてみましょう。

Psa. 1
1 幸いなことよ

悪しき者のはかりごとに歩まず
罪人の道に立たず
嘲る者の座に着かない人。

2 主のおしえを喜びとし
昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。

3 その人は
流れのほとりに植えられた木。
時が来ると実を結び
その葉は枯れず
そのなすことはすべて栄える。

4 悪しき者は そうではない。
まさしく 風が吹き飛ばす籾殻だ。
5 それゆえ 悪しき者はさばきに
罪人は正しい者の集いに 立ち得ない。

6 まことに 正しい者の道は主が知っておられ
悪しき者の道は滅び去る。

弱い私たちは、知らず知らずのうちに、
みことばとみことばを語っておられる主ご自身を嘲る者の座についてしまっていることがあります。
アーメン(真実)である主が、上記のように語り、約束しておられるのに、
「そんな薄っぺらい信仰なのか!」と。

主のおしえ、つまり主イエス・キリストご自身のみことばを喜びとし(主と主のみことばを嘲る者にならず)、
昼も夜もみことばを口ずさみ、思い巡らすなら(主イエスを繰り返し心の王座にお迎えするなら)、
この大患難時代のような地上の人生の只中においても、ここがすでに天の御国、神の国になります。

なぜなら、ここにすでに主イエス・キリストが来られ、
共に痛み苦しみ、愛によって私たちのすべてをご支配なさるからです。

御国とは、死の向こうにある国だけではなく、
この地上の現実の只中で、本当に体験することができる国です。
「御国とは、主イエス・キリストの愛によるご支配」ですから。

聖歌467番「みくにのここちす」の歌詞の通りです。

悲しみつきざる   浮世にありても
日々主と歩めば   御国のここちす
ハレルヤ! 罪とが 消されしわが身は
いずくにありても  御国のここちす

主にありて
野町 真理