カテゴリー: 主の祈り The Lord’s Prayer
杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2015
マタイ福音書講解
20150101新年礼拝メッセージ「救い主の系図」(クリックで聴けます)
20150104聖餐礼拝メッセージ「救い主の誕生」(クリックで聴けます)
20150111礼拝メッセージ「インマヌエル」(クリックで聴けます)
20150118礼拝メッセージ「巡礼者たちの旅」(クリックで聴けます)
20150125礼拝メッセージ「慰めを拒んだ女」(クリックで聴けます)
20150201聖餐礼拝メッセージ「エジプトからナザレへ」(クリックで聴けます)
20150208礼拝メッセージ「荒野で叫ぶ者の声」(クリックで聴けます)
20150215礼拝メッセージ「わたしの愛する子」(クリックで聴けます)
20150222礼拝メッセージ「悪魔の試み」(クリックで聴けます)
20150301聖餐礼拝メッセージ「宣教開始」(クリックで聴けます)
20150308礼拝メッセージ「わたしについて来なさい」(クリックで聴けます)
20150315礼拝メッセージ「本当に幸せな人」(クリックで聴けます)
20150322礼拝メッセージ「地の塩 世界の光」(クリックで聴けます)
20150329礼拝メッセージ「廃棄するためにではなく」(クリックで聴けます)
20150405復活祭召天者記念礼拝メッセージ「信じる者になりなさい」(クリックで聴けます)
20150412礼拝メッセージ「心の奥の暗闇」(クリックで聴けます)
20150419礼拝メッセージ「愛という名のもとに」(クリックで聴けます)
20150426礼拝メッセージ「偽りから真実へ」(クリックで聴けます)
20150503聖餐礼拝メッセージ「憎しみに打ち勝つ秘訣」(クリックで聴けます)
20150510母の日歓迎礼拝メッセージ「パフォーマンスについて」(クリックで聴けます)
20150517礼拝メッセージ「主の祈りの心」(クリックで聴けます)
20150524聖霊降臨祭礼拝メッセージ「宝を天に蓄える生き方」(クリックで聴けます)
20150531礼拝メッセージ「心配から解放される秘訣」(クリックで聴けます)
20150607聖餐礼拝メッセージ「まず自分からの法則」(クリックで聴けます)
20150614礼拝メッセージ「金色の法則」(クリックで聴けます)
20150621父の日歓迎礼拝メッセージ「にせ預言者たちに気をつけよ」(クリックで聴けます)
20150628礼拝メッセージ「賢い人の人生設計」(クリックで聴けます)
20150705聖餐礼拝メッセージ「わたしの心だ きよくなれ」(クリックで聴けます)
20150712バイブルキャンプデー礼拝メッセージ「聖書信仰」(クリックで聴けます)
20150719礼拝メッセージ「病を背負ってくださる方」(クリックで聴けます)
20150726礼拝メッセージ「向こう岸に行く用意」(クリックで聴けます)
20150802聖餐礼拝メッセージ「嵐を静める方」(クリックで聴けます)
20150809礼拝メッセージ「悪霊を追放する方」(クリックで聴けます)
20150816礼拝メッセージ「地上で罪を赦す権威を持つ者」(クリックで聴けます)
20150830礼拝メッセージ「わたしについて来なさい」(クリックで聴けます)
20150906聖餐礼拝メッセージ「新しい革袋を用意せよ」(クリックで聴けます)
20150913敬老の日歓迎礼拝メッセージ「復活信仰」(クリックで聴けます)
20150920礼拝メッセージ「未曾有の出来事」(クリックで聴けます)
20150927礼拝メッセージ「収穫は多いが働き手が少ない」(クリックで聴けます)
20151004献身者デー聖餐礼拝メッセージ「十二使徒」(クリックで聴けます)
20151011礼拝メッセージ「派遣前研修」(クリックで聴けます)
20151018礼拝メッセージ「狼の中に羊」(クリックで聴けます)
20151025のびどめキリスト教会にて講壇交換メッセージ「忘れてはいけないこと」(クリックで聴けます)
20151101聖餐礼拝メッセージ「恐れることはありません」(クリックで聴けます)
20151108礼拝メッセージ「自分の十字架を負って」(クリックで聴けます)
20151115謝恩デー礼拝メッセージ「霊的戦い」(クリックで聴けます)
20151122礼拝メッセージ「たましいの安らぎ」(クリックで聴けます)
20151129アドベント礼拝メッセージ「安息日の主」(クリックで聴けます)
杉戸キリスト教会礼拝メッセージ2014はこちら
東海聖書神学塾創立30周年記念集会
月曜日の朝4時半、夜明け前の杉戸を後にして車を走らせる。約5分の距離にある圏央道幸手ICから高速に乗る。10月末に白岡菖蒲と桶川北本間がつながったおかげで、海老名JCTまで一気に抜け、東名に入る。御殿場JCTで新東名に入り、三ヶ日JCTで東名に戻る。そして東名を名古屋方面に走り、東名三好ICで下道に降りる。日進市にある栄聖書教会まで休憩を入れて約5時間で到着。お世話になった東海聖書神学塾の創立30周年記念集会に参加することができた。お世話になった先生方や先輩、そして兄弟姉妹に再会することができて本当に感謝だった。
東海聖書神学塾創立30周年記念集会録音データー(クリックで聞けます)
矢内原忠雄の言葉
今日高崎福音キリスト教会で持たれた関東宣教区の教師会にて、山口陽一先生が次のような矢内原忠雄の言葉を紹介してくださいました。
思うに日本思想の精髄はその国家観念にあるであろう。ここに日本思想の最美点があるであろう。しかも最美点のある処、最大の罪悪もまた伴うのである。
日本的キリスト教は世界に比なきこの国家思想を保存完成すると共に、反動としての国家主義に対し具体的に抵抗するものでなければならない。
個人についての利欲と虚偽は悪思想であるとすれば、国家的利欲および国家的虚偽はまた極めて悪思想なりと言わねばならない。しかも利欲の正義的仮装は罪の極致である。
たといそれが国家的利欲であるとしても罪の罪たることは変りはない。もし日本的キリスト教が日本特有の国家思想を保存完成すべきものとせば、かくのごとき利欲虚偽の国家思想をば極力排斥するものでなければならない。
アルケミスト 夢を旅した少年
山道でタイヤがパンクしてしまったが、何とか無事に帰宅
家族で日光の大笹牧場にドライブに出かけた帰り道、霧降高原の山道でタイヤがパンクしてしまったが、何とか無事に帰宅することができてホッとしたというお話。主に感謝します。
行きに印象的だった紅葉を帰りながら撮影するため、側道のスペースに駐車しようと考えた。停車するために減速して車道から路肩に乗り上げた時、「ボスッ」とイヤな音がした。降りて見ると、なんとタイヤが見事にパンクしていた。
夏前の車検の際、タイヤ交換をしておけば良かったかもしれない。その時すでに、タイヤの溝はまだ十分あるが、タイヤの横に少しヒビが入っていたから。路肩に乗り上げる際のタイヤ側面への衝撃でついにパンクしたらしい。
JAFを呼ぼうとしたけど携帯が圏外。スペアタイヤと工具があったので、何とかタイヤ交換をして帰って来れた。まだ左肩付近の鎖骨骨折が完治していないので、妻にも少し手伝ってもらってのタイヤ交換。高速走行中やこの前一人で三国峠を越えて中津川林道を通った時にこうならなくて本当に感謝。
Culture of the Kingdom 天国の文化 回復への旅
戦争のための道具は、文化を生み出すための豊かな手段に変えられます。預言者イザヤは、未来についての神の幻を得たのです。本書では、現代における聖書的真理の回復について、そして、神の御国が国の文化と接触する最前線で、私が発見した事柄を記しました。p17
私は、自分が、民主的な国家の市民だと理解していましたが、これまで一度も、神の国の住民だと考えたことはありませんでした。王であるイエスに仕えるとはどんな意味なのでしょう。このテーマこそ、これから改めて、本書で取り扱おうとしているテーマです。p52
敵を愛しなさいというイエスの戒めは、神の御国において最も偉大な真理の一つです。その真理の原則とは、戦争で敵を打ち負かすより、敵の心と魂を勝ち取るほうがより力強くそして好ましいということです。どちらが最終的に、永続的な本当の平和をもたらすでしょうか。p99
闘いや戦争のとき、その結果受ける心の傷は、単純な肉体の傷より、さらに深く人を傷つけます。暴力が収まった後でも、双方ともなお生命を破壊し続ける心的外傷の苦痛にたえなければなりません。p99
熱心に正義が求められなければならないし、正義は犯罪に対して厳正に適用されなければなりません。それでもなお多くの場合において、完全な正義が行われることはないでしょう。北アイルランド、南アフリカ、ルワンダなどの場所で唯一の解決をもたらしたのは、共通に悲しみと痛みを覚えながら、平和と和解を模索することでした。相手を人間だと思わなくなると、そこに増悪が生まれ、虐殺さえ起こります。愛とは、互いを人間であると理解し合うところに始まるのです。復讐と増悪の悪循環を壊せるのは、ただ愛だけです。p99-100
by ピーター・ツカヒラ
The marriage course マリッジコース
愛する日本の教会・キリスト者へ
「バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」マタイによる福音書 11:12
荒野でストイックな生活をし、一世を風靡するリバイバルの中でキリストの道備えをしたバプテスマのヨハネ。預言者エリヤの霊と確信に満ちて、主イエスを来たるべきキリスト・救い主として指し示し、主イエスにバプテスマを授けたバプテスマのヨハネ。彼は獄中にいた時に、鍔迫り合いのような激しい霊的戦いを強いられていた。その時の様子を聖書は次のように語っている。
「さて、ヨハネは獄中でキリストのみわざについて伝え聞き、自分の弟子たちをつかわして、 イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。マタイによる福音書 11:2-3
強い信仰者というイメージを持つバプテスマのヨハネが、ここまで弱くなっていた。なぜならその時すでに、天国は激しく襲われ始めていたから。
バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」マタイによる福音書 11:12
韓国の教会は祈る教会、日本の教会は議論する教会と言われる。
確かに韓国のキリスト者は、祈り倒すという言葉がぴったりの激しさで祈る。祈祷院などで祈りに専念し、祝福と勝利と解決が与えられるまで、決してあきらめないで、ヤコブのように粘り強く、激しく大声で叫び、祈り続ける。
それに対して私たち日本のキリスト者は、祈りにおいてあまりにおとなしく、お祈りしているのかお寝りしているのかわからないような状態だったかもしれない。
しかし今こそ、日本のキリスト者が、祈りという武器をしっかり手に取り、激しく祈る教会になる時ではないか。ー戦後70年目のターニングポイントにて
45回目の誕生日に
45回目の誕生日に、カズオ・イシグロ氏の『日の名残り The Remains of the Day』(ブッカー賞受賞作)を読みながら、次のような気づきが与えられた。執事を主人公とする小説を、最初あまり読みたいとは思わなかった理由。それは、やはり自分が「執事」ではなく「主人」になりたいと願っていたからではないか。
読み進めていくうちに、次のような文章に出会った。
「お考えください。私はダーリントン卿にお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができたのです。私は三十五年の歳月をダーリントン卿に捧げました。そしてその三十五年間、私こそ真の「名家に雇われて」いた執事だと申し上げてよかろうと存じます。これまでの執事人生を振り返るたびに、あの歳月にダーリントン卿のもとで成し遂げた諸々のことが、私に最も大きな満足感を与えてくれます。卿にお仕えできたことを私は誇りに思い、卿に対しては、私をお使いくださったことへの感謝しかありません。」カズオ・イシグロ著『日の名残り』p182より
この世界という車輪の中心で、最高の主人に仕えることが許された執事、それがキリスト者ではないだろうか。
私は、二十歳の時に主イエスにお出会いし、あれから二十五年間、主イエス・キリストとともに生きてきた。
上記の表現を拝借して、私は今の気持ちを次のように告白したい。
「お考えください。私は主イエスにお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができているのです。私は二十五年の歳月を主イエスに捧げました。そしてその二十五年間、私こそ真の「名家に雇われて」いた執事だと申し上げてよかろうと存じます。これまでのキリスト者人生を振り返るたびに、あの歳月に主イエスのもとで成し遂げた諸々のことが、私に最も大きな満足感を与えてくれます。主にお仕えできたことを私は誇りに思い、主イエス様に対しては、私をお使いくださったことへの感謝しかありません。」