人生の目的宣言文(2015-05-26)

人生の目的宣言文(2015-05-26)
天を見上げて聖霊に満たされ、星の数ほどの家族を目指す。
みことばに主導され、何をしても栄える人生を生きる。
流れのほとりに植えられた樹として、ぶどうの樹の枝として、聖書の約束がすべて真実であることを証明し、日本とアジアと世界に仕える。
礼拝:神に喜ばれる礼拝者として栄える        
交わり:共に生き、共に神の家族・教会形成として栄える
弟子訓練:主イエス・キリストのように変えられて栄える 
奉仕:日本とアジアと世界に仕えるしもべとして栄える
伝道:世界標準のキリスト者として世界宣教に栄える

私とバイク その始まり

私とバイク、その始まりは父がバイクに乗っていたこと、そして小学生ぐらいから父のバイクに乗せてもらって、よくツーリングに連れていってもらったことにある。父の乗っていた一番排気量の多いバイクは、HONDA CB350 Four。マフラー4本出し、四気筒のかっこいいバイクだった。
HondaCB350Four

ミルトンのインターステラ観

ミルトン著『失楽園』岩波文庫より
第八巻91−99行
しかし、大きなもの、輝かしいもの、が必ずしも優れたものとは限らないことをまず知って貰いたい。天に比べた場合、この地球はいかにも小さく、煌き(きらめき)も持たないが、空しく光っている太陽よりは、もっと多くの実質的な良さを持っているといえよう。太陽の力は自らに対してはなんらの実行をもたらさないが、実り豊かな地球に対してはそれをもたらすのだ。太陽の光線は他の点では余り効果を発揮しないが、地球に吸収された時初めて威力を発揮する。これらの燦然(さんぜん)たる光体は、地球に奉仕するというより、地球の住人であるお前に奉仕している。

待伏せをする神

モーリヤック著『イエスの生涯』新潮文庫より
それから、数週間後に、イエスが、弟子達の群から離れて、天にのぼり、光の中にその姿がとけてしまった時も、それは二度と帰らぬ旅立ちというべきものではなかった。すでに、主は、エルサレムからダマスコへ行く道の曲り角で待ち伏せをし、サウロを、彼の最愛の迫害者をねらっている。この時以降、すべての人間の運命の中に、この待伏せをする神がい給うであろう。