「おわり」から「はじめる」宣教協力

「おわり」から「はじめる」宣教協力
JCE7の公式サイトより引用

「おわり」から「はじめる」宣教協力

私たちにとっての「おわり」とは、第一に、今の教会が直面している行き詰まりに等しき状況、つまり今やらなければ後がない状況としての「正念場(おわり)」であり、第二は、神が計画しておられる教会の完成のビジョンとしての「ゴール(おわり)」から考えること、そして第三に、開催地域である「尾張(おわり)」、それは各自の地域の現状から出発するという三重の意味を持っています。

 そして「はじめる」とは、第一に、日本の宣教の歴史を振り返り、日本の教会に根付いている教会の習慣や文化などを聖書から見直し、捨てるべきものを捨て、終わらせるものを終わらせることを「はじめる」機会とします。第二に、複雑になりつつある社会の変化に目を向けて、災害、環境破壊、少子高齢化、デジタル化、国際政情不安、多文化共生などの課題に教会がしっかりと向き合い、宣教の働きを新たに「はじめる」ことを意味します。そして第三に、このコロナ禍を神の摂理的な機会と受け止め、日本宣教の転換点となる新たな取り組みを「はじめる」時とする、三重の意味を持ちます。

 こうして「おわり」から「はじめる」ために、JCE7においては、日本の教会間協力による宣教を聖書的原則に基づいて、根本から深く考え直してまいります。そして、神が新しく始めようとしておられることへ共に参画していくために、教団・教派及び宣教団体の諸事情や性質、また相克を乗り越えるべく、お互いが胸襟を開いて語り合い、一つの具体的な方向性を共に見出す時としてまいります。

かつて桶狭間の戦いがその後の流れを変えた如く、今回の東海地域で開催されるJCE7において、日本の福音派のみならずキリスト教界の流れを大きく変えようとしておられる神がおられます。その神に互いに聴き、神のみこころを知り、神と共に踏み出す大切な時となることを願いながら、共にJCE7を作り上げてまいりましょう。

「僕と彼女と週末に」浜田省吾

「僕と彼女と週末に」浜田省吾
この星が何処へ 行こうとしてるのか もう誰にも わからない
権力(ちから)と権力(ちから)の シーソーゲームから
降りることさえできない
人は一瞬の刹那に生きる 子どもは夢見ることを知らない
君を守りたい 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か

昨日の絵の具で 破れたキャンバスに 明日を描く 愚かな人
売れるものなら どんなものでも売る それを支える 欲望
恐れを知らぬ 自惚れた人は 宇宙の力を 悪魔に変えた
君を守りたい ただ一人の 君を守りたい この手で
愛を信じたい 人の心の 愛を信じたい いつの日か・・・

Isaiah 48:17-18

17 This is what the LORD says—
your Redeemer, the Holy One of Israel:
“I am the LORD your God,
who teaches you what is best for you,
who directs you in the way you should go.
18 If only you had paid attention to my commands,
your peace would have been like a river,
your well-being like the waves of the sea.
Isaiah 48:17-18

17 イスラエルの聖なる方、
あなたを贖う主はこう言われる。
「わたしはあなたの神、主である。
わたしはあなたに益になることを教え、
あなたの歩むべき道にあなたを導く。
18 あなたがわたしの命令に耳を傾けてさえいれば、
あなたの平安は川のように、
正義は海の波のようになったであろうに。
イザヤ書48章17−18節

さあ天を見上げて

さあ天を見上げて
星を数えることが
できるなら それを数えてみよ 星の数を

さあ天を見上げて
星を数えることが
できるなら それを数えてみよ 星の数を

あなたの子孫はそのように
あなたの子孫はそのように
星の数のように

ソングライティング:のまちゃん牧師

主は良いお方 ギター賛美

作詞:長沢崇史/作曲:長沢崇史、長沢有莉
ギター賛美:のまちゃん牧師

わがたましい 主をたたえよ
聖なる御名を ほめたたえよ
主の良くしてくださったことを
何一つ忘れるな
主は良いお方 主は良いお方
恵みとあわれみのかんむりを持って
わたしの一生 良いもので満たす
主は良いお方 賛美をささげます

Crowder – Come As You Are (Music Video)

Come out of sadness
From wherever you’ve been
Come broken hearted
Let rescue begin
Come find your mercy
Oh sinner come kneel
Earth has no sorrow
That heaven can’t heal
Earth has no sorrow
That heaven can’t heal

So lay down your burdens
Lay down your shame
All who are broken
Lift up your face
Oh wanderer come home
You’re not too far
So lay down your hurt
Lay down your heart
Come as you are

There’s hope for the hopeless
And all those who’ve strayed
Come sit at the table
Come taste the grace
There’s rest for the weary
Rest that endures
Earth has no sorrow
That heaven can’t cure

So lay down your burdens
Lay down your shame
All who are broken
Lift up your face
Oh wanderer come home
You’re not too far
So lay down your hurt
Lay down your heart
Come as you are
Come as you are
Fall in his arms
Come as you are
There’s joy for the morning
Oh sinner be still
Earth has no sorrow
That heaven can’t heal
Earth has no sorrow
That heaven can’t heal

So lay down your burdens
Lay down your shame
All who are broken
Lift up your face
Oh wanderer come home
You’re not too far
So lay down your hurt
Lay down your heart
Come as you are
Come as you are
Come as you are

賛美デボーション2023-01-17

教会福音讃美歌をギターと歌で賛美するデボーション
210 主を待ち望む者は
395 たとえば私が
432 いつくしみ深き
40 父の神の真実
118 丘に立てる荒削りの
331 私たちのこの口は
471 あまつましみず
21 輝く日を仰ぐとき
482 昔主イエスの
403 主はガリラヤ湖の

この町で輝く教会を目指して 杉戸キリスト教会牧師 野町真理

「この町で輝く教会を目指して」
杉戸キリスト教会牧師 野町真理

2023年は、私たち杉戸キリスト教会にとって特別な年、70周年記念の年です。辻浦定俊先生&みつ子先生ご夫妻が42年、高氏博史先生&純子先生ご夫妻が12年、私たち夫婦が16年、そして今日に至ります。

杉戸キリスト教会も例に漏れず、日本のキリスト教会において、牧師と信徒が高齢化しています。青年や子どもたちが教会に来なくなっています。新型コロナウイルス感染症が拍車を掛け、このままでは7年後、牧師も信徒も半減するという予測があります。いわゆる2030年問題です。

私たち杉戸キリスト教会は、ローマ人への手紙から改めて福音を学んでいます。内村鑑三はその主著「ロマ書の研究」の中で、以下のように記しています。

『全世界を幾度も改造したる歴史を有し、なお将来も、しかする力を具備せる一書。この一書こそロマ書である。』

杉戸キリスト教会の今年のテーマは「この町で輝く教会を目指して」、標語聖句はローマ人への手紙1章16−17節です。

『私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。』

「義人は信仰によって生きる」というみことばは、「義人は祈りによって生きる」と言い換えることもできるでしょう。なぜなら信仰とは、祈りによってイエス・キリストにとどまって生きることですから。日本のキリスト教会でも、伸びているごく少数の教会は、的を射た祈りをしています。若者が多く集っているキリスト教会は、空を打つような拳闘をしていません。

みこころを求めつつ祈った後、祈りが答えられたかを毎回チェックする。
そのために、答えられたことがはっきりわかるよう具体的に祈って記録する。
そのように祈りを日々確認していく日常によって、
空を打つような拳闘に終止符を打ち、
祈りによって実を結ぶ教会、
祈りによってこの町で輝く教会とならせていただこうではありませんか。

収穫の主、私たちの主イエスは言われます。

『「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」』(マタイの福音書9章37−38節)