教会史における所属教会の位置

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父の日歓迎礼拝メッセージ「死に至るまで忠実なれ」

父の日歓迎礼拝メッセージ「死に至るまで忠実なれ」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録2章8−11節

死に至るまで忠実でありなさい。
そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。
黙示録2章10節

親子関係、結婚関係をはじめとする人間関係を忠実に生き抜く秘訣は、恵みの神との関係にあります。

1、恵みの神は、死に至るまで忠実であられる。

キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。・・・死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
ピリピ2章6-8節

2、恵みの神は、良き事を始め完成させてくださる。

あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
ピリピ1章6節

3、恵みの神は、永遠のいのちと朽ちない冠を死の向こうに備えていてくださる。

競技の選手は、この世のメダルや優勝杯を得ようと、あらゆる困難と戦い、ひたすらトレーニングに励みます。 しかし私たちは、神様から与えられる、決して朽ちない栄光を受けるために、そうするのです。
1コリント9章25節リビングバイブル

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ4章

主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ書4章10-11節

『風刺作家の目的が読者を感動させて真実を認めさせることにあるなら、ヨナ書の作者ほど見事に成功した風刺作家はいまにいたるまで存在しない。

この風刺作家は狂信、残酷、浅い神学を攻撃するだけでなく、憐れみと深い関心をあらゆる国家に示す神の姿を見事に描き、読者の積極的反応を呼び起こしている。

たいていの風刺作家は悪徳の姿を醜悪に描いて見せるが、善を美しく見せる力に不足している。「ヨナ書」を書いた人に力量的に劣る風刺作家なら、ヨナの態度に対する自分の怒りを作品にぶちまけることによって、作品の肯定面を曖昧にしてしまったであろう。

「ヨナ書」を書いた人は客観的で、おしゃれな筆致を捨てることなく、攻撃対象である悪行だけでなく、肯定的規範にも配慮すべく苦心しているのである。』

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、405-406頁より引用

礼拝メッセージ「痛みと病を負う神 Pain of God」

痛みと病を負う神 Pain of God

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聖書箇所:イザヤ53章4−6節

まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。イザヤ53章4節

イザヤが語る神、イエス・キリストが、「悲しみ」、「痛み」、そして「病」を知っておられる理由。

それはイエス・キリストが、被災地に実際に赴かれた結果、もはや支援者ではなく、被災者になられたからです。

その時私たちは思いました。イエスは罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
私たちは思ったのです。イエスの上に天罰が下ったのだと。

しかしイエス・キリストが受けられた苦難の真相は、今日のみことばに明確に啓示されています。

『まことに、彼(イエス・キリスト)は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。・・・しかし、彼(イエス・キリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼(イエス・キリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエス・キリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼(イエス・キリスト)に負わせた。』