礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9

礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙4章1ー16節

それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」 ローマ4章1-8節

今年も受難週を迎えました。春を迎えるために厳しい寒さを通らなければならないように、イースター(復活祭)を迎えるためには、厳しい受難週を通らなければなりません。

同様に、あなたが罪をおおわれた人たちの幸いに至るには、あなたが自分の罪深さと無力さをごまかさずに認め、自分で自分を救えないことを素直に認め、神に降伏することがどうしても必要です。

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、アブラハムやダビデのように、その信仰が義とみなされるのです。罪がおおわれるとは、神があなたの罪を完全に忘れてくださり、すべてなかったことにしてくださるという恵みです。

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ4章

主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ書4章10-11節

『風刺作家の目的が読者を感動させて真実を認めさせることにあるなら、ヨナ書の作者ほど見事に成功した風刺作家はいまにいたるまで存在しない。

この風刺作家は狂信、残酷、浅い神学を攻撃するだけでなく、憐れみと深い関心をあらゆる国家に示す神の姿を見事に描き、読者の積極的反応を呼び起こしている。

たいていの風刺作家は悪徳の姿を醜悪に描いて見せるが、善を美しく見せる力に不足している。「ヨナ書」を書いた人に力量的に劣る風刺作家なら、ヨナの態度に対する自分の怒りを作品にぶちまけることによって、作品の肯定面を曖昧にしてしまったであろう。

「ヨナ書」を書いた人は客観的で、おしゃれな筆致を捨てることなく、攻撃対象である悪行だけでなく、肯定的規範にも配慮すべく苦心しているのである。』

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、405-406頁より引用

惜しまないでいられようか

惜しまないでいられようか

日時:2011年 5月22日(日)第4主日礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:ヨナ章4章
    説教題:「惜しまないでいられようか」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児・小学生向け)午前9時〜(第一週は第一礼拝に合流)
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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