和解の務め音信24-3 南アフリカから

和解の務め音信24-3

和解の務め支援会(Reconciliation Ministry in South Africa)は、南アフリカで宣教師として奉仕している金煥宣教師夫妻を支援しています。金煥宣教師は日本同盟基督教団の委託派遣宣教師としては退職されましたが、引き続き南アフリカの地で宣教を続けています。和解の務め支援会を通して、続けて支援してくださいますよう、どうぞよろしくお願い致します。
和解の務め支援会代表 野町 真理
和解の務め支援会の、ゆうちょ銀行口座の番号と名前は以下の通りです。 
11350-15357961
ワカイノツトメシエンカイ
他金融機関からの振込の場合は、次の内容をご指定ください。
店名 一三八(読み イチサンハチ)
店番 138
預金種目 普通預金
口座番号 1535796
どうぞよろしくお願い致します。
http://gospel.sakura.ne.jp/wakai/

使徒信条 われは三位一体の神を信ず November 30, 2024

「使徒信条 われは三位一体の神を信ず」November 30, 2024

2000年の歴史を持つキリスト教会には、
使徒信条と呼ばれる信仰告白がある。
使徒信条は、「われは信ず」という表現で、
三位一体の神に対する信仰を以下のように告白する。

われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
われはそのひとり子、われらの主、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、
おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、
十字架につけられ、死にて葬られ、よみにくだり、
三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、
全能の父なる神の右に座したまえり。
かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを裁きたまわん。
われは聖霊を信ず。
聖なる公同の教会、聖徒の交わり、
罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。
アーメン

父なる神(天地の造り主、全能の父なる神)、
子なるイエス・キリスト(そのひとり子、われらの主、イエス・キリスト)、
そして聖霊なる神(御霊とも言われる)。
三人の神々が存在するのではなく、
父、御子、聖霊が、深い絆によって一体になっておられる唯一の神。

The Bibleの中には、三位一体という言葉は使われていない。
しかし、
The Bibleによって、三位一体の神が、ご自身をそのように啓示している。

罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命。
これがJESUSを信じる時に与えられる3点セット。

クリスマスカラー 赤と白 November 29, 2024

「クリスマスカラー 赤と白」November 29, 2024

クリスマスカラーとして、緑の次に思い浮かぶのは赤。
そして、The Bibleにおいて、赤・レッドは罪の色。
明るい赤・緋色・スカーレットも罪の色。
深い赤・紅・クリムゾンも罪の色。
その根拠となるのは、以下のみことば。

さあ、来たれ。論じ合おう。──主は言われる──
たとえ、あなたがたの罪が
緋(スカーレット)のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、
紅(クリムゾン)のように赤くても(レッドでも)、
羊の毛のようになる。
(旧約聖書イザヤ書1章18節)

The Bibleは、赤・レッドは罪の色だと明確に表現している。
罪を黒で表現する人も多いが、人種差別を生む可能性があるので注意が必要だ。
The Bibleの中に、黒は罪の色と表現されている箇所は一つもない。
だが、罪をもたらす暗闇の力、暗闇の支配は、確かに存在する。

ではなぜ赤・レッドは罪の色なのか?
罪は、赤い血を流すこと、流血と深く関係しているから。
赤・レッドは血の色。
罪は、他者のからだと心を刺して、赤い血を流す。
罪は、自分のからだと心を刺して、赤い血を流す。

JESUSは言われる。
さあ、来たれ。論じ合おう。
たとえ、あなたがたの罪が
緋のように赤くても、
雪のように白くなる。
たとえ、
紅のように赤くても、
羊の毛のようになる。

あなたの罪の身代わりに、
JESUSが十字架に磔にされた時、
JESUSの両手両足から、脇腹から、
JESUSの真っ赤な血潮が滴り落ちた。
それは、罪にまみれて真っ赤なあなたを、
雪のように白くするために流された赤い血。
羊の毛のように白くするために流された赤い血。

クリスマスカラーとして、緑、赤の次に思い浮かぶのは、白。
スノーホワイト、ウールホワイト。

クリスマスカラー緑と赤

クリスマスツリーの緑 November 28, 2024

「クリスマスツリーの緑」November 28, 2024

クリスマスカラーで最初に思い浮かぶ色は緑。
クリスマスツリーの緑、もみの木の緑。

その緑はエバーグリーン・常緑と呼ばれる。
クリスマスツリーの緑は、永遠のいのちを象徴している。

The Bibleは、
過ぎ去って行くこの世にあって、
永遠に変わらない神のことば。

草はしおれ、花は散る。
しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。
(旧約聖書イザヤ書40章8節)

The Bibleは、
あなたが永遠のいのちを持つために書かれた。

神は、実に、そのひとり子(JESUS)をお与えになったほどに
世(あなた)を愛された。
それは御子(JESUS)を信じる者が、一人として滅びることなく、
永遠のいのちを持つためである。
(新約聖書ヨハネの福音書3章16節)

聖書と祈り会2024-11-27 ゼカリヤ書を読む③ゼカリヤの福音

2024年11月27日の聖書と祈り会メッセージ。ゼカリヤ書を読む③ゼカリヤの福音。
聖書はゼカリヤ書3章1−10節。
聞くドラマ聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠。
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2qwAQGK

聖書と祈り会資料2024-11-27

メッセージの不思議 November 27, 2024

「メッセージの不思議」November 27, 2024

私が拙いメッセージを語ると、
ある人は生ける神に出会って洗礼を受ける決心をし、
ある人は神との深い交わりが与えられて賛美しながら帰り、
ある人は恵まれないといってつぶやきながら立ち去る。

まったく同じメッセージなのに、
どうしてそのような違いが生じるのか?

JESUSが種蒔きのたとえで語られている通り。
私たちの心の状態が違いを生む。

だからJESUSは言われる。
「聞く耳のある者は聞きなさい。」

種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
蒔かれる種とは神のことば。

ある種は道端に落ちた。
しかし踏み固められた道端のような硬い心では、
みことばが根を張る余地がなく、
やがて鳥に食べられてしまう。

別の種は土の薄い岩地に落ちた。
表面的にはみことばを受け入れるが、
自分が一番正しいという固い岩盤があるので、
深く根を張ることができず、
やがて枯れてしまう。

別の種は茨の中に落ちた。
茨とは金銭欲やこの世の思い煩い。
せっかく芽を出したのに、
茨が伸びてふさいでしまい、
実を結ぶには至らない。

しかし別の種は良い地に落ちた。
すると芽生え、育って実を結び、
三十倍、六十倍、百倍になった。
良い地とは、柔らかで素直な心。

JESUSが私たちの心を砕いて、
柔らかで素直な心を与えてください!
生ける神のみことばを慕い求める心、
へりくだって聞く耳、
ひざまずいて祈る心を与えてください!
神のことばが、しっかりと根を張り、
私たちの心が変えられ、
生活が変えられ、
生き方が変えられ、
三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶことができますように。

ガリラヤのナザレという町の一人の処女 November 26, 2024

「ガリラヤのナザレという町の一人の処女」November 26, 2024

さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、
ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、
名をマリアといった。
(新約聖書ルカの福音書1章26−27節)

受胎告知を受けてJESUSの母とされたマリアは、
「ガリラヤ」の「ナザレという町」の一人の処女だった。

ガリラヤとは、
ユダヤのエルサレムとは対照的な異邦人の地、
アウトサイダーの地である。

見捨てられている苦しみがあり、
闇の中を歩み、
死の陰の地に住んでいた者たちの地。
閉塞感に覆われた地。
それがガリラヤである。

さらにナザレという町は、
「ナザレから何か良いものが出るだろうか。」
と馬鹿にされていた田舎町である。

「ユダヤのエルサレムではなく、ガリラヤのナザレという町」
それは私に言わせれば、
「メトロのトーキョーではなく、フルトネのスギトという町」となる。

JESUSは、首都ではなく地方を顧みて、特別祝福してくださる。

今日も杉戸町、宮代町に住んでおられる方々、
杉戸町、宮代町に来られる方々の上に、
JESUSの祝福と守りが豊かにありますように。

杉戸キリスト教会牧師 野町真理