父の日歓迎礼拝メッセージ「死に至るまで忠実なれ」 Posted on 2011/06/19 投稿者: admin 0 父の日歓迎礼拝メッセージ「死に至るまで忠実なれ」(クリックで聴けます) 聖書箇所:ヨハネの黙示録2章8−11節 死に至るまで忠実でありなさい。 そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。 黙示録2章10節 親子関係、結婚関係をはじめとする人間関係を忠実に生き抜く秘訣は、恵みの神との関係にあります。 1、恵みの神は、死に至るまで忠実であられる。 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。・・・死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。 ピリピ2章6-8節 2、恵みの神は、良き事を始め完成させてくださる。 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。 ピリピ1章6節 3、恵みの神は、永遠のいのちと朽ちない冠を死の向こうに備えていてくださる。 競技の選手は、この世のメダルや優勝杯を得ようと、あらゆる困難と戦い、ひたすらトレーニングに励みます。 しかし私たちは、神様から与えられる、決して朽ちない栄光を受けるために、そうするのです。 1コリント9章25節リビングバイブル
父の日歓迎礼拝メッセージ「父の涙」 Posted on 2010/06/20 投稿者: admin 0 父の日歓迎礼拝メッセージ「父の涙」 聖書箇所:使徒の働き25章13-27節 私としては、彼は死に当たることは何一つしていないと思います。しかし、彼自身が皇帝に上訴しましたので、彼をそちらに送ることに決めました。使徒25章25節 パウロの生き様は、くっきりと主イエスの姿を描き出しています。ゴスペルシンガー岩渕まことさんが作詞作曲した歌の中に、「父の涙」という素晴らしい歌があります。父なる神とひとり子主イエスの姿を描き出しているその詩を、以下に引用します。 一、心にせまる父の悲しみ 愛するひとり子を十字架につけた 人の罪は燃える火のよう 愛を知らずに今日も過ぎてゆく 十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙 十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛 二、父が静かに見つめていたのは 愛するひとり子の傷ついた姿 人の罪をその身に背負い 父よ彼らを赦して欲しいと 十字架からあふれ流れる泉 それは父の涙 十字架からあふれ流れる泉 それはイエスの愛 iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら。
礼拝メッセージ「父を用いられる神」 Posted on 2009/06/21 投稿者: admin 0 礼拝メッセージ「父を用いられる神」 聖書箇所:ヘブル人への手紙12章1-13節 すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。ヘブル人への手紙12章11-12節 父というのは、山の稜線の急峻な岩肌に、しがみつくようにして立っている大きな木のようです。 稜線は山々における馬の背のような部分ですから、いつも風や雨の当たりが強く、しばしば落雷がある所です。しかしどこにも逃げ場はなく、まさに矢面です。そんな過酷な所に、父は立ち続けなければならないのです。 ですから父の一週間は、まるで懲らしめを受け続けるかのような毎日です。週末になる前に、「やってられない今日この頃!」と叫びたくもなるでしょう。 しかし上記のみことばは、そのような苦しみの中に置かれている父、そして私たちに対する、天の父からの語りかけです。 天の父なる神は、地上の父たちに平安な義の実を結ばせようとしておられます。天の父なる神は、地上の父たちを豊かに用いて、やがて矢面に立ち、明日の家族と社会を背負って立つ子どもたちを、将来に備えて育成されるのです。
08 Father’s Day 父の日歓迎礼拝メッセージ「神の親友」 Posted on 2008/06/15 投稿者: admin 0 礼拝メッセージ「神の親友」 聖書箇所:ヨハネ福音書15章1ー27節 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ福音書15:13-14 「What a friend we have in Jesus」という賛美歌は、日本では「いつくしみ深き(讃美歌312番)」や「罪とがを荷のう(聖歌607)」という名で親しまれています。ジョセフ・スクライブンという方が、深い悲しみの中で詞を書き、チャールズ・C・コンバースが作曲しました。この歌は、深い悲しみに打ちひしがれる時にも、心躍る喜びの時にも、歌うことの出来る曲です。以下、野町試訳。 『なんと素晴らしい友だろうか、イエス様あなたは!私たちのすべての罪や悲しみを、背負ってくださるのだから。なんと素晴らしい特権だろうか、祈りのうちに、神にすべての悩みを打ち明けることができるとは! ああ。なんとよく私たちは心を騒がせてしまい、なんとしばしば、味わう必要のない痛みを味わうのか。すべては、私たちが祈りのうちに、神にすべての悩みを打ち明けないことによるのだ。』 iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら。