勿来津波 with PENTAX K-7

勿来津波 津波よ なぜおまえは来たのか 大波よ なぜおまえは押し寄せたのか 静かで美しい海よ 豊かな海の幸をもたらす海よ なぜおまえは牙を剥いたのか なぜ愛する人を奪った なぜ大切なものを飲み込んだ   津波よ 来る勿れ … 続きを読む

被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。

被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。
 大切な方を亡くされたあなた。神はあなたと共におられます。
  泣いてるあなた。神はあなたと共におられます。
   インマヌエルー神は私たちとともに。
    インマヌエルーいつも共におられるイエス・キリストは、そう呼ばれています。
   インマヌエルー神は私たちとともに。
  途方にくれているあなた。神はあなたと共におられます。
 慰められることを拒んだあなた。神はあなたと共におられます。
被災地におられるあなた。神はあなたと共におられます。

その時

その時

巨大津波がジェット機のような早さで襲いかかったその時、
防波堤も防潮堤も、みんなみんな腰砕けになってしまった。
大切な不動産が、動いて壊れてしまった。
大切な車も、マッチ箱のように波間に漂った。
大切な船も、建物の上や陸地に運ばれ、取り残された。
何よりつらいのは、大切な愛する家族や友人たちと、離ればなれになってしまったこと。
生きていてほしい。生きていてほしい。
命だけあれば、それだけでいい。
神さま助けてください。
神さまあわれんでください。

主イエスは、逃げない

主イエスは、逃げない。
むしろ主イエスは、人々が救援を待っている危険な場に向かわれる。

主イエスは、天から降りて来られた。
人々の罪悪で放射能以上に汚染されたこの地上に。

主イエスは、あきらめない。
むしろ主イエスは、その時なすべき最善のことをなし続けられる。

主イエスは、天罰だと言って裁かない。
むしろ主イエスは、十字架の上で天罰を身に受けてくださる。

主イエスは、滅びない。
むしろ主イエスは、3日目に死人のうちからよみがえられ、今も生きておられる。

上を向いて歩こう

U2 魂の歌を求めて WALK ON: THE SPIRITUAL JOURNEY OF U2

「普通の社会で通用しないなら、そりゃあダメでしょ!」

ぜひお勧めの本です!

When you believe あなたが信じる時

When you believe

 何年か前、アカデミー最優秀主題歌賞に選ばれた、「When you believe」「あなたが信じる時」というゴスペルソングがあります。(スティーブン・シュワルツという人が作詞・作曲をし、マライヤ・キャリーとホイットニー・ヒューストンによって、デュエットで歌われた)

 この曲は、旧約聖書の出エジプト記を題材にしたアニメ映画「プリンス・オブ・エジプト」の主題歌でした。(この映画は若干脚色されていますが、最新のコンピュータグラフィックスを使って、聖書を生き生きと描いています。海が分かれるシーンや海の底を歩いて渡るシーンなども見ごたえがあります)

 さて、この「When you believe」「あなたが信じる時」という歌の歌詞を、ここで少し、皆さんに紹介したいのです。こんな内容の歌詞です(野町私訳)。

『幾日もの夜、私たちは祈りが聞かれるという確信を持てないけれども祈り続けてきた。私たちの心の中には、小さな希望の歌があった。今、私たちは、たくさんの恐ろしいことがあるのを知っている。でももう恐れない。そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしていたから。

あなたが信じる時、奇跡が起こる。希望はかすかなものであっても、それを消すことはできない。誰が知っているだろうか、どんな奇跡をあなたが成し遂げるかを。あなたが信じる時、必ずあなたは神の栄光に満ちた奇跡を見るはず。あなたが信じるなら、あなたは神の奇跡を見るはず。

この恐れの時、祈りが次々と空しく消えていく時。希望はまるで夏の鳥のよう、とても素早く空に飛び去ってしまう。でも今、私はここに立っている。私の心はとても満たされて、言葉にあらわせないほど。捜し求めていた信仰、口にしているこの言葉。私がこんなことを言うなんて、思いもしなかった。

あなたが信じる時、奇跡が起こる。希望はかすかなものであっても、それを消すことはできない。誰が知っているだろうか、どんな奇跡をあなたが成し遂げるかを。あなたが信じる時、必ずあなたは神の奇跡を見るはず。あなたが信じるなら、あなたは神の奇跡を見るはず。

あなたが祈り求めても、いつも奇跡が起こるわけじゃない。だから恐れと失望の中に落込んでいくことは簡単なこと。でも、あなたが信仰を通して現実を見るとき、あなたは雨の中で救いの道を見出す。そして「助けはとても近くにある」とその道を歩いているあなたは言うでしょう。』

 この中で、特にわたしの心に印象深く残っているのは、「そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしていた」という言葉です。これは短い言葉ですが、聖書が教えている信仰を、的確に表現している言葉ではないかと思います。この言葉が意味しているのは、つまりこういうことです。「私たちが心の中で感じているよりもはるかに確実に、私たちの祈りは主なる神に聞かれている」ということです。

 実際私たちキリスト者は、祈ってもすぐに応えられない経験をしばしば味わいます。また、まさに山のようにちょっとやそっとでは動かない、いや不可能だと思われる祈りの課題がたくさんあります。家族・親族や友人を覚えて祈る時、そんなふうに感じます。また、高い地位にある方たちや国々を覚えて祈る時、教会を覚えて祈る時、そんなふうに感じてしまいます。

 けれども、みこころにかなった祈りを主イエスに祈る時、この世界を包む主の祈りを日々祈る時、「そんなことができると気付くずっと前から、私たちは山々を動かしている」。ということが起っているのです。

 実は、ハイデルベルク信仰問答の中にも、「私たちが心の中で感じているよりもはるかに確実に、私たちの祈りは主なる神に聞かれている」という霊的真理が紹介されています。

問129:「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。

答:「アーメン」とは、それが真実であり、確実である、ということです。なぜなら、これらのこと(主の祈りの内容)を神に願い求めていると、わたしが心の中で感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。

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