Spring has come to Japan after March 11

Spring has come to Japan after March 11

埼玉県北葛飾郡杉戸町、古利根川の流れのほとりに根をおろしている早咲きのサクラが咲きました。3月11日以降の日本。それでも春は、やって来ました。

礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」

ノアの子孫たち

礼拝メッセージ「ノアの子孫たち The clans of Noah’s son」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記10章1節-32節

以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。創世記10章32節

大洪水が全地に襲いかかった後のことです。ノアの息子たち、セム、ハム、ヤペテそれぞれの家族に、新しい命が次々と誕生しました。それは、人間の罪や恥をおおってくださる神の恵みでした。

今、東北地方太平洋沿岸を中心とする被災地において、妊婦さんの存在や赤ちゃんの誕生が人々に計り知れない慰め、思いやり、そして生きる力を与えているように、ノア夫婦と3人の息子夫婦は、子どもたちや孫たちから元気や勇気をもらい、「また、再建しましょう!」と力を合わせ、再建が続けられました。

創世記10章には、そのようにして歩み続けたノアの子孫たちの歴史が記されています。2節からはヤペテの子孫、6節からはハムの子孫、21節からはセムの子孫が、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに記録されています。

しかし大震災の後、今私たちが注目すべきは、「何を指針として再建すべきか」です。ハムの子孫は神に反逆しつつ再建し、バベルを築くニムロデ、ペリシテ人、カナン人、ソドム、ゴモラを生み出しました。一方、セムの子孫は神に従って再建を試み、アブラハム、ダビデ、そしてイエス・キリストへとつながる再建となりました。

ノアの子孫たち The clans of Noah’s son

ノアの子孫たち

礼拝式のご案内

日時:2011年 3月20日(日)第3主日礼拝式
   ★第一礼拝・・・・・・・午前10時半~12時 
   ★第二礼拝・・・・・・・午後8時~9時
    聖書箇所:創世記10章1節-32節
    説教題:「ノアの子孫たち」
    説教:野町真理(日本同盟基督教団・杉戸キリスト教会牧師)

   ★スマイルキッズ(幼児から小学生向け)・第一週は第一に合流
   ★Jesus Junior(中高生から青年向け)・午後3時~

どなたでもお集いください。初めての方も大歓迎です。

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主イエスは、逃げない

主イエスは、逃げない。
むしろ主イエスは、人々が救援を待っている危険な場に向かわれる。

主イエスは、天から降りて来られた。
人々の罪悪で放射能以上に汚染されたこの地上に。

主イエスは、あきらめない。
むしろ主イエスは、その時なすべき最善のことをなし続けられる。

主イエスは、天罰だと言って裁かない。
むしろ主イエスは、十字架の上で天罰を身に受けてくださる。

主イエスは、滅びない。
むしろ主イエスは、3日目に死人のうちからよみがえられ、今も生きておられる。

聖歌347番 いかにおそるべき Be not dismayed whate’er betide

聖歌347番いかにおそるべき Be not dismayed whate’er betide ーのまちゃん牧師のギター弾き語り(クリックで聴けます)

被災地におられる皆さんのために、聖歌347番「いかにおそるべき Be not dismayed whate’er betide」を歌いました。
神さまの守りと支え、平安が豊かにありますように。

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礼拝メッセージ「ノアの息子たち The sons of Noah」

ノアの息子たち The sons of Noah

礼拝メッセージ「ノアの息子たち The sons of Noah」(クリックで聴けます)

聖書箇所:創世記9章18−29節

ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。創世記9章21-23節

巨大地震・津波・火災などで被災された方々の上に、大きな慰めと支え、何より救いがありますようにと祈ります。

一年に渡る大洪水の後、箱舟から降り、再び大地を踏みしめたノアは、緊張の糸が切れ、ぶどう酒に酔っぱらい、裸になって寝てしまいます。

レビ記20章17節のように、「裸を見る」という表現が「性的関係を持つ」ということなら、ノアの息子ハムは、酔って裸でいる父に性的いたずらをしたとの理解が可能です。酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知ったノアが厳しくハムをのろったことを覚えるなら、おそらくそうでしょう。

とにかくハムは、父の恥を覆うことをせず、かえって父をバカにした態度で、兄たちに父の恥を告げます。けれどもセムとヤペテは、父の裸を見ないように、うしろ向きに行って父に着物を掛けました。

どんな立派な人であっても、弱さや恥があり、失敗や過ちを犯してしまうことでしょう。しかし恵みの神は、私たちに義の衣をそっと掛けてくださいます。私たちの罪や恥を覆い、救ってくださるためです。