杉戸キリスト教会 洗礼準備&洗礼後クラス資料

杉戸キリスト教会 洗礼準備&洗礼後クラス資料

1、なぜ洗礼を受けたいですか?

2、イエス・キリストを信じ受け入れる時に与えられる「神の子どもとされる特権」

ヨハネ福音書1章1−18節より

★イエス様は、天地万物の造り主でありあなたの造り主(メーカー・デザイナー)。クリスマスに人となられた神。あなたの罪の身代わりに十字架で死なれ、
墓に葬られ、3日目によみがえられ、今も生きておられる救い主・キリスト。

★信じるとは、神と神の約束を信頼し、主イエスを救い主・キリストとして、
心の王座に受け入れること(飲食と同じ)。

★「神の子どもとされる特権」は、信じて受け入れる時に与えられる「最高のクリスマスプレゼント」。
(1)王の王、主の主である天の神を、私たちの父・お父さんと親しく呼べる特権

(2)神のものすべてを相続する特権(私のものは全部おまえのものだ。ルカ15章)

(3)やがて神に似た者に変えられる特権(蝶の子は蝶)

見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。黙示録3章20節

黙示録3章20節が約束していることは、クリスマスの家畜小屋のような私たちの心の中(暗い、汚い、臭い)に、聖なる神が住んでくださり、一緒においしく食事ができるほどに心の洗濯をしてくださるということ(明るい、きれい、いい香り)イエス様を信頼して心の扉を開き、心の王座に迎える祈りをされませんか?

3、洗礼・バプテスマとは何か?

洗礼は主イエスを信じ受け入れた人が、自分の意志で受けるものです。

(1)お葬式と誕生式 イエス・キリストの十字架の死、墓への葬り、3日目の復活

(2)誓約と入会式  神と誓約し、教会・神の家族につながることの大切さ

(3)任命と派遣式  祝福の基、世の光、地の塩、神の国の大使として任命され、そのような自覚を持って生活の場、置かれた場所に派遣される。

洗礼は、スタートであってゴールではありません。
教会・神の家族といっしょにゴールを目指して歩み始めるスタートラインです。
ゴールは、私たちがキリストのように変えられることです。

4、洗礼・バプテスマを受ける者への3つの指針

(1)使徒信条=天地万物を創造され、救いへと導く三位一体の神を告白する信仰 父なる神、御子なるイエス・キリスト、聖霊なる神(御霊)

(2)主の祈り=神の国とその義をまず第一に求める祈り ⇔ 罪人の自己中心な祈り

(3)十戒=前文がとても大切。先行する神の愛によって死から救われ、罪赦され、奴隷から自由へと解放された者に語られる神と隣人を愛する人生の指針  

5、人生を導く5つの目的(リック・ウォレン著)

あなたの人生をドライブしているものは何でしょうか?
聖書が教える5つの目的に導かれ、良い習慣(聖書に聞く祈りと願う祈り)を身に付けるなら、
世界で一人だけのあなたが、自分らしく生きることができます。

(1)先立つ神の愛に応えて神を愛する礼拝生活:あなたは神の喜びのために造られた

『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』
という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。

マタイ福音書22章37−40節

(2)交わり:あなたは神の家族となるために造られた

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。
人がわたしにとどまり、
わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。

わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。

ヨハネ福音書15章5節

(3)弟子訓練:あなたはキリストのようになるために造られた

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、

私たちの卑しいからだを、
ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

ピリピ人への手紙3章21節

(4)奉仕・隣人愛:あなたは神に仕えるために造られた

『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、

しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』

マタイ福音書25章40節

(5)世界に出て行く宣教:あなたは使命のために造られた

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。
「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。
そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、
彼らを教えなさい。
見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

マタイ福音書28章18−20節

6、収入を得るために必要な4つの預かりもの

(1)健康 (2)才能・能力 (3)職場・仕事 (4)やる気(どれか一つでも失うと収入停止)

マラキ書3章8−12節
 ➡あふれるばかりの祝福を注ぐかどうかをためしてみよ!収入の十分の一献金によって

7、質問など

洗礼志願書、洗礼式の時の誓いの内容、証しの準備、役員との面談、教団教憲・教規

礼拝メッセージ「洗礼とは何か」ローマ14

礼拝メッセージ「洗礼とは何か」ローマ14(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙6章1ー14節

1 それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。
2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。
3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。
4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。ローマ人への手紙6章1-5節

自分に都合のいい解釈をしたい人間は、恵みが増し加わるために罪の中にとどまるべきだと主張します。それに対してパウロは、絶対にそんなことはないと反論し、洗礼(バプテスマ)とは何かを語ります。

キリストの死にあずかるバプテスマによって、私たちはキリストとともに葬られたのだとパウロは語ります。それは私たちが、キリストとともに復活し、新しい歩みをするためです。

礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9

礼拝メッセージ「罪をおおわれた人たちの幸い」ローマ9(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙4章1ー16節

それでは、肉による私たちの父祖アブラハムの場合は、どうでしょうか。もしアブラハムが行いによって義と認められたのなら、彼は誇ることができます。しかし、神の御前では、そうではありません。聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。働く者の場合に、その報酬は恵みでなくて、当然支払うべきものとみなされます。何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。ダビデもまた、行いとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。主が罪を認めない人は幸いである。」 ローマ4章1-8節

今年も受難週を迎えました。春を迎えるために厳しい寒さを通らなければならないように、イースター(復活祭)を迎えるためには、厳しい受難週を通らなければなりません。

同様に、あなたが罪をおおわれた人たちの幸いに至るには、あなたが自分の罪深さと無力さをごまかさずに認め、自分で自分を救えないことを素直に認め、神に降伏することがどうしても必要です。

何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、アブラハムやダビデのように、その信仰が義とみなされるのです。罪がおおわれるとは、神があなたの罪を完全に忘れてくださり、すべてなかったことにしてくださるという恵みです。

礼拝メッセージ「悪者と共に葬られた神 A grave with the wicked」

悪者と共に葬られた神 A grave with the wicked

礼拝メッセージ「悪者と共に葬られた神 A grave with the wicked」(クリックで聴けます)

聖書箇所:イザヤ53章7−9節

彼(イエス・キリスト)の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。イザヤ53章9節

今年もいよいよ受難週に入りました。聖書に記されているように、無罪のイエス・キリストが、私たちが受けるべき天罰を身代わりに受け、十字架で死なれたのが金曜日でした。それで受難週の金曜日は、「良い金曜日 GOOD FRIDAY」と呼ばれています。

東日本大震災が起こったのは、受難節に入ったばかりの3月11日金曜日14時46分でした。

イエス・キリストが十字架の上で息を引き取られたのは、金曜日の15時すぎでした(マタイ福音書27章等参照)。あらゆる苦難の中に十字架が立っています。

預言者イザヤは、上記のみことばのように、救い主の墓は悪者どもとともに設けられることを預言しました。しかし福音書には、まだだれも葬られたことのない新しい墓にイエス・キリストは埋葬されたと記録されています(ヨハネ福音書19章等参照)。

実に信仰のスタートラインであるバプテスマ(洗礼)においてこそ、預言者イザヤが預言した神の言葉は出来事になるのです。

「私たち(悪者ども)は、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。」ローマ書6章4節

礼拝メッセージ「偶像のむなしさ」

礼拝メッセージ「偶像のむなしさ」

聖書箇所:出エジプト記20章1ー17節

あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。出エジプト20章4-6節

ある時私は、相手が浮気をしても怒らない人がいるのを知って大変驚きました。あなたの彼氏や彼女、あなたの伴侶が、あなた以外の人と親しくし、浮気をしていることを知ったら、あなたはどんな気持ちになるでしょうか?

その時あなたが本気で怒るとすれば、その反応こそが、あなたが相手を本気で愛しておられる証拠です。相手が浮気をしても怒らないということは、相手を愛していない証拠です。

結婚は人と人との契約ですが、十戒は主なる神とあなたとの契約です。結婚の誓いと同じように、十戒は誓いの言葉です。結婚の際に、「あなたは自由に浮気をしてもいいです」などと誓う人はいません。「どんな時にも、変わらない愛をもって、生涯あなただけを愛します」とお互いが誓うのです。

主なる神は本当にあなたを愛しておられるので、あなたが他の神々(偶像)と浮気をすれば、ねたみ、本気で怒られるのです。なぜなら浮気とは、相手を憎み、相手を裏切る行為だからです。

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