礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

礼拝メッセージ「隣人のものを欲しがってはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人の家を欲しがってはならない。出エジプト記20章17節

「人間の心の中には神の形をした空洞があり、神以外では満たすことができない。」(パスカル)

お金、おいしい食物、やりがいのある仕事、地位や名声、知恵や学問、趣味、新製品、恋愛、セックス、心を癒してくれるペット、パチンコ、タバコ、酒、ドラッグ。

実に様々なものを、むさぼるように欲しがって生きている。それが私たち人間ではないでしょうか。しかし、それらはすべて、こわれた水ためです。どんどん流れ出てしまうため、決して心の中を満たすことができないのです。

何が原因で隣人のものまで欲しがってしまうのでしょうか。それは私たちが、湧き水の泉である神を捨ててしまったことにあります。いのちの水の源である神を、私たちは捨ててしまいました。だから何を手にしても満足できないのです。

神は決して、私たちを捨てることがありませんが、私たちが、神を捨ててしまったのです。けれども、イエス様があなたに代わって十字架で捨てられ、復活されました。神によって満ち足りて生きる道が備えられたのです。むさぼるようにこの神を慕い求めて生きる。それがあなたの生きる道です。

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礼拝メッセージ「偽証してはならない」

礼拝メッセージ「偽証してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。出エジプト記20章16節

この国の2007年を象徴する漢字として選ばれたのは、「偽」でした。これまでの「偽」を水に流し、これからも「偽」に生き続けるなら、そのうちに「滅」とか「亡」という漢字が選ばれる年を迎えることになるでしょう。

聖書の中には「アーメン」という言葉が使われています。その意味は、「偽」ではなくて「真」です。
聖書の神は、アーメンなる神、うそ偽りのない真実な神、約束したことを必ず果たしてくださる神です。

アーメンなる神は、「偽」なる者を「愛」し、「愛」をもって「真」を語られます。ですから、もし私たちが自分の「偽」を素直に認め、神の前に「罪」を言い表し、赦しを求めるなら、神はすべての悪から私たちをきよめてくださるという約束があります。

『しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。』ヨハネの手紙第一1:7-9より

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礼拝メッセージ「盗んではならない」

礼拝メッセージ「盗んではならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

盗んではならない。出エジプト記20章15節

収入を得るためには、以下のものが必要不可欠です。

健康:仕事があり、能力もあり、働く意欲があっても、病気や事故等で健康が損なわれると、収入を得ることができません。

仕事:健康で能力があり、働く意欲があっても、雇ってくれる職場がなければ、収入を得ることができません。職場があっても仕事がなければだめです。

能力:健康で、働く意欲があり、仕事が与えられたとしても、仕事をする能力がなければ、収入を得ることはできません。

意欲:健康が与えられ、仕事が与えられ、仕事をする能力があっても、働きたいという意欲がなければ、収入を得ることはできません。

これらすべては、天の神から贈り物です。実に収入を得ることができるのは、この神のおかげなのです。ですから、収入の十分の一を、感謝を込めて天の神に献げないなら、神のものを盗むことになります。

天の神は、『十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。…わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。』(マラキ3:10)と言われます。

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礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

礼拝メッセージ「姦淫してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

姦淫してはならない。出エジプト記20章14節

姦淫について、主イエスは以下のように言われます。

「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」マタイ福音書5章27-30節

情欲をいだいて女または男を見ることは、すでに姦淫の罪だと主イエスは言われます。自分の欲望を満たすための道具・モノとして人間を見るということは、人格やいのちを踏みにじって奴隷とする、恐ろしい罪です。そのような姦淫の罪は、相手とその家族を不幸に落とし入れ、あなたのからだ全体をゲヘナ、つまり地獄、永遠の滅びに至らせる恐ろしい罪であると、主イエス様は警告しておられます。

主イエスは、姦淫の罪を犯している私たちを救い、神と隣人を愛する自由に生かすために、私たちの身代わりに十字架で死なれました。主イエスは、夕に葬られましたが、三日目の朝に復活されました。

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礼拝メッセージ「殺してはならない」

礼拝メッセージ「殺してはならない」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

殺してはならない。出エジプト記20章13節

ここに陶器があるとしましょう。もしあなたが、その陶器を造ったのであれば、気に入らなければ壊す権利を、あなたは持っています。けれども、他の人が造った陶器ならば、勝手に壊す権利を、あなたは持っていません。

もしあなたが、他の人の造り主であるなら、その人を殺す権利があるでしょう。しかしすべての人は造り主なる神の作品なので、あなたには、神の作品を勝手に殺す権利などないのです。

聖書は、神を陶器師に、あなたを陶器にたとえています。私たち人間はすべて、陶器師である神の最高傑作です。ですから、あなたは偶然の産物ではありませんし、失敗作でもありません。神はあなたに、いのちと使命を与え、使命が達成された時には地上のいのちを取られるお方です。

人を殺すということは、神の作品を壊すということです。人を殺すということは、神の作品である相手の存在価値、あるいは自分自身の存在価値を認めないということです。それは、傲慢にも自分が造り主の立場、神の立場に立つ越権行為です。

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礼拝メッセージ「父と母を敬え」

礼拝メッセージ「父と母を敬え」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

あなたの父と母を敬え。出エジプト記20章12節

十戒の前半には、私たちを奴隷の家から救い出して下さった神との関わり方が語られています。後半には、隣人との関わり方が語られています。十戒を通して、神が私たちに教えておられること。それは、親子関係に始まる人間関係の土台は、十戒の前半に語られている、神との関係だということです。

神は、あなたを神と隣人を愛する自由の中に生かすために、十字架であなたの身代わりに死なれ、葬られました。しかし神は、3日目によみがえられ、今も生きておられます。

十字架の縦棒は縦の関係、神と私たちの関係を表わしています。そして十字架の横棒は横の関係、人と人との関係を表わしています。神との関係が人との関係の土台であり、神との関係をしっかり持っていくなら、豊かな人間関係を持つことができるのです。十戒の前半で語られているような神との関係を持たなければ、後半で語られるような人との関係を持つことはできないのです。

「あなたの父と母を敬え」という命令は、「もし天の父なる神の愛に根差すならば、あなたは将来必ず、父と母を敬うことのできる者に変えられる。」という約束です。神の愛に根差すならば、どんな難しい親子関係においても、父と母を敬う自由、父と母を愛する自由に生きることができるのです。

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礼拝メッセージ「安息日」

礼拝メッセージ「安息日」

聖書箇所:出エジプト記20章1-17節

安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。出エジプト記20章8節

創世記の冒頭には「夕があり、朝があった。」ということばが繰り返し使われ、日ごとに恵みの2ビートを奏でています。恵みの2ビートは、7日目には休符となり、一週間というリズムを刻みます。

普通私たちが一日の始まりと考えるのは朝です。しかし、旧約聖書の感覚では、夕方が一日の始まりです。夕方から夜にかけて、人間は眠りにつきます。働きを止めて休むのです。新しい朝を迎え、私たちが目を覚ます時、すべてが整えられ、神のご計画が進んでいることに気づきます。創造主なる神は、人間が何もしない間に、すべてのことを備え、ご自身の計画を進めておられるのです。

「夕があり、朝があった。」という恵みのリズムは、次のような響きを持っています。「あなたの神様は小さすぎるよ。あなたが何かをする前に、まず神様が問題の只中にいて、働いておられるよ。全知全能の神様は、必ずすべての問題を解決へと導いていて下さる。そして神様は、あなたに出来るあなたのなすべきことを備えて下さっている。あなたの小さな働きを、神様は大きく用いて下さるんだ。」

7日毎にすべての営みをストップし、天を見上げる。そして主を待ち望む。そのようにして神の恵みに浸るなら、上からの良きもので満たされて、なすべき仕事に立ち向かっていくことができます。

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