病気になったら

病気になったら

病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないよといって めそめそしよう

恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙をこぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
自分の弱さと思いあがりを知るチャンスを

病気になったら おもいっきり甘えよう
あれが食べたいと言い
こうしてほしいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう
遠慮も気づかいもいらない

正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
人の情けとまごころに触れるチャンスを

病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えるのがいかに尊いことか

忘れていた感謝の心を取りもどし
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
この瞬間に自分が存在しているという神秘
いのちの不思議に感動するチャンスを

病気になったら すてきな友達をつくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち
義理のことばも 儀礼の品もいらない

黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
神様がみんなを結んでくれるチャンスを

病気になったら 安心して祈ろう
天にむかって思いのすべてをぶちまけ
どうか助けてくださいと必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう

このわたしを愛して生み慈しんで育て
いつかご自分のもとへ呼んでくださるお方に
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親である神に出会えるチャンスを

そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままをこえて自由になり

感動と感謝によって大きくなり
友達を増やして豊かになり
信じ続けて強くなり
祈りのうちに神の子になるだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき

晴佐久昌英 カトリック司祭

閉塞感を突き破るもの ブレイクスルーフェイス

Hello World! with PENTAX K-7

最近のデジタルカメラの進歩には目を見張るものがありますが、私はPENTAXのデジタルカメラを愛用しています。

私たちの不信仰を超えて、昨年秋、結婚11年目に子どもを神さまから預かりました。神のみことばは人間の不信仰を突き破って、時が来ると必ず出来事になり、閉塞感を突き破るのです。ハレルヤ!

以下に記すのは、閉塞感を突き破るブレイクスルーフェイスです。死の影と閉塞感に覆われたこの国とこの世界に、神は一条の光を与えてくださいます。人生をあきらめてはいけません!

『ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。 私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。ルカ福音書1:20』

 ルカ福音書1章には、ザカリヤという祭司と彼の妻エリサベツが登場する。エリサベツは不妊の女であったが、後に全能の神によって身ごもり、バプテスマのヨハネの母となった。ザカリヤ夫婦に子どもが与えられる経緯を通して、全能の神がどのようなお方かを知ることが出来る。

 ザカリヤは不信仰であった故に、神の言葉が出来事になるまでものが言えなくなった。しかし神の約束の言葉は、人間の不信仰を超えて、その時が来れば実現し、現実の出来事となった。

 もし厳密な意味で、私たちが信じたとおりにしかならないのなら、全能の神の素晴らしいご計画は、計画倒れになるであろう。そして、この世界のすべてを再創造するという神の壮大なご計画は凍結し、私たちは罪の中で滅んでいくだけとなってしまうであろう。

 しかし全能の神のことばは、人間の不信仰を超えて、時が来れば必ず出来事になることを、聖書は力強く証しし続けている。「神のことば」を「出来事」と訳すことが出来る理由がここにある。

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」

中野教会

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ルカ福音書11章1-13節
今年の関東宣教区講壇交換は、中野教会で奉仕させていただきました。感謝。

礼拝メッセージ「暗やみから光に」

礼拝メッセージ「暗やみから光に」

聖書箇所:使徒の働き26章1-23節

わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』使徒26章17-18節

人間の堕落によって、この世界は光から暗やみに滑り落ちました。神の愛からサタンの支配に滑り落ちてしまったのです。滑り落ちた先は、創世記冒頭に記されている、あの天地創造前の風景に似ています。

『地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。』創世記1章2節(新改訳第3版)

突破口をなかなか見つけられず、暗く重苦しい閉塞感に覆われているこの地は、茫漠として何もなく、やみが大水の上にあります。しかしそこには、まさしく神の霊がおられ、神の霊は私たちのために休むことなく動いておられるのです。

やがて神は仰せられます。「光があれ。」と。すると光が訪れるのです。光とは昼であり、やみとは夜です。光の訪れとは、夜明け・サンライズの時なのです。信仰をもって東を見つめるなら、やがて昇ってくる光の軌跡を、夜明け前の最暗黒の中にも見ることができるでしょう。

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礼拝メッセージ「聖霊による伝道」

礼拝メッセージ「聖霊による伝道」

聖書箇所:使徒の働き8章26ー40節

御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい」と言われた。そこでピリポが走って行くと、預言者イザヤの書を読んでいるのが聞こえたので、「あなたは、読んでいることが、わかりますか」と言った。使徒の働き8章29-30節

『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって。』(ゼカリヤ4章6節)と語られているように、教会の働きは、聖なる神の霊に導かれたキリスト者一人一人の働きです。

教会の働きが権力や能力によって進められようとするなら、そこから教会は誤った道にそれ、いのちの輝きと塩気を速やかに失います。

危機の時代の中で、教会が教会であるためには、静まって主の前にひれ伏し、祈りつつ心を開いて聖書のみことばに耳を傾け、聖なる神の霊に聞き従うことがどうしても必要です。

聖霊は、謙遜に道先案内をしてくださる最高の導き手であり、最高のコーチです。聖霊は、先導してくださいますが大切な働きを私たちに託してくださり、私たちを用いて神の働きを進めてくださるのです。

あなたもピリポのように、日常生活において聖霊のナビゲーションに素直に聞き従うならば、求めている方との出会いが与えられ、魂の救いという大切な働きのために、神に用いていただけます。

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

礼拝メッセージ「邪悪な生活からの救い」

聖書箇所:使徒の働き3章17-26節

神は、まずそのしもべを立てて、あなたがたにお遣わしになりました。それは、この方があなたがたを祝福して、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださるためなのです。」使徒の働き3章26節

生放送や生演奏等をライブと言います。ライブとは、生きているなまの状態であり、躍動するいのちです。緊張感の中でいきいきと輝き、元気はつらつの状態。それがライブです。

大変興味深いことに、英語においてライブ(LIVE)を反対から綴ると、悪を意味する言葉(EVIL)になります。ライブ(LIVE)をひっくり返したものが悪(EVIL)だとすると、「悪とはいのちを奪い、元気を奪うものである」と定義できます。

「あなたがたひとりひとりが、いのちや元気を奪う邪悪な生活をしている」と聖書は告発します。しかし続けて聖書は、「驚くばかりの恵みによって、人の悪が、人を生かし元気づけることのできるライブに変えられる」と福音を宣べ伝えています。

あなたから有害な毒のようなものをすべて取り除き、あなたをいきいきと生かす。その時、人々に元気を与え、人々を生かすことのできるライブな人としてあなたが生かされる。それが、ひとりひとりをその邪悪な生活から立ち返らせてくださる神の祝福です。