聖書と祈り会2021-05-12 ルカの福音書36 愛に生きるために必要なこと その2

2021年5月12日の聖書と祈り会メッセージ。ルカの福音書36 愛に生きるために必要なこと その2。聖書箇所はルカの福音書11章1ー13節。
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聖書と祈り会資料2021-05-12

天にいます私たちの父よ

天にいます私たちの父よ

杉戸キリスト教会地図2016

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」

中野教会

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ルカ福音書11章1-13節
今年の関東宣教区講壇交換は、中野教会で奉仕させていただきました。感謝。

講壇交換礼拝メッセージ「キリストの弟子の祈り」

講壇交換礼拝メッセージ「キリストの弟子の祈り」

日本同盟基督教団・関東宣教区講壇交換メッセージ(2007年10月14日赤羽聖書教会にて)

聖書箇所:ルカ福音書11章1ー13節

説教題:「キリストの弟子の祈り」

主題:キリストの弟子が的を射た祈りをする秘訣は、キリストの御言葉に聴く祈りにある。

説教の要約:

 やみの中で的を射ようとする時、もし的を照らし出す光がなければ、どんなに努力をして的を射ようとしても、人は的を外すことしかできないでしょう。同様に、人はどんなに熱心であっても、的を指し示す証人がいなければ、的外れなことしか、罪を犯すことしかできないのです。使徒パウロもそうであったように、もし的を指し示す証人がいない(ハマルテュロス)のなら、どんなに熱心であっても、熱心にハマルティア(罪・的外れ)を犯すことしか、熱心に神の教会(主イエス)を迫害することしかできないのです。

 しかし主イエス・キリストは、真の証人として、私たちの所に降りて来て下さいました。そして、やみに覆われたこの地において、まことの光として、啓示の御言葉を与えて下さいました。そして、弟子たちのリクエストに答えて、祈る時にはこう言いなさいと「主の祈り」を教えて下さいました。「主の祈り」をひっくり返すと、以下のような、非常に恐ろしい、悪魔的な祈りになります。

 「私の名前があがめられますように。

  私を中心とした私の国が来ますように。

  私が心の中に思い描き、願っていることが、実現しますように。 

  私は、自分の力と知恵によって、今日も糧を得よう。

  だれでも私に罪を犯すものがあるなら、決してその者を赦さないで、報復をしよう。

  わたしは自分の力で、試みと悪から自分を救い出そう。

  国と力と栄え、世界に満ちるものはすべて、わたしのものだ。」

 私はこれを「罪人の的外れな祈り」と呼んでいます。絶対にアーメンと言ってはならない祈りです。主の祈りは、その一つ一つの祈願が、このような悪へと誘う悪魔を退け、悪に打ち勝つための祈りになっています。実に主の祈りには、福音の豊かさのすべてが含まれています。主の祈りは、世界を変える祈り、終末の時代に主イエスの再臨を待ち望みつつ、福音宣教に急ぐ祈りです。ですから教会では、まず何よりも主の祈りを共に味わい、主の祈りを自分たちの祈りとしていくことを学び続ける必要があると私は考えています。

ルカ福音書の文脈を見ると、主イエスは、まず何を祈ったら良いのかを教えて下さり、そして次に、その祈りをどのように祈り求めたら良いのかを教えて下さっています。主の足もとに座って、静かに御言葉に耳を傾けたベタニヤのマリアのように、何を祈ったら良いのか、どのように祈ったら良いのかを、改めて主に教えて頂きたいと願います。

礼拝メッセージ「悪に打ち勝つ」

礼拝メッセージ「悪に打ち勝つ」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

私たちを試みに会わせないで、悪からお救い下さい。マタイ福音書6章13節

主の祈りそのもの、その一つ一つの祈願が、以下のような悪へと誘う悪魔を退け、悪に打ち勝つための祈りになっています。

1、神の御名ではなく、私の名前があがめられること
2、神の御国ではなく、私の国が来ること
3、みこころではなく、私の願いが成就すること
4、「私たちの」でなく「私の」ことだけを求めること
5、赦しではなく、報復を願う憎しみに生きること
6、神により頼まず、私の力と知恵により頼むこと
7、国と力と栄えを神から奪い、私のものとすること

『あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』1コリント10章13節

『私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。』ヘブル4章15-16節

礼拝メッセージ「和解の福音」

礼拝メッセージ「和解の福音」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。マタイ18章33節

王様から6000億円を借りて、返すことができずにいた人がいました。その人は王様の前に土下座してあわれみを求めました。王様は、彼の借金のすべてを赦されました。その後、王様に赦された人は、100万円を貸していた仲間に会いましたが、すぐ返さないからといって怒り、牢屋に入れてしまいました。それを聞いた王様は怒り、赦されたのに仲間を赦さなかった人を牢屋に入れてしまいました。

大きな大きな罪を赦された人が、なぜ仲間の小さな罪を赦すことができなかったのか。その理由を考えてみましょう。

自己中心だから、自分は正しいとしか思えず、人の罪が大きく感じられ、赦すことができない。

ただあわれみによって赦されたということを理解してないから、赦すことができない。

大切なことは、神のあわれみの大きさを知り、ただあわれみによって赦されたことを心にしっかりと刻むことです。神様のあわれみの大きさを知るということは、神様に対する自分の罪の大きさを知るということです。

礼拝メッセージ「生活必需品」

礼拝メッセージ「生活必需品」

聖書箇所:ルカ福音書11:1-13

そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。私たちの日ごとの糧を毎日お与えください。ルカ福音書11章2-3節

豊かさは神の祝福です。豊かさそのものは、神からの恵みであって罪ではありません。 しかしもし豊かさを神からの恵みとして受け止めることが出来ず、感謝もなく自己中心に、自分さえよければと生きているならば、それは罪です。

食物や豊かさは神の恵みです。このことを知らなければ、どんなにお腹が満たされても、決して満ち足りることはありません。感謝もなく、さらに貪欲になり、健康ブーム等に踊らされるだけです。

自分の健康ばかり気遣い、自分のいのちのことで何を食べようか何を飲もうかと心配することしかできません。同じ地球上で、1分間に17人(うち12人が子ども)、1日に2万5千人、1年間では1000万人もの人々が、飢えで死んでいるという現実を知ろうともせず、自己中心に生き続けることしかできません。

この祈りは、すべてのものを神からの恵みとして受け止め、共に生きるための祈りです。「私の」ことだけを考える自己中心な罪人の生き方から、「私たちの」ことを考え、共に食事をする生活へと変えられる祈りです。