人生の分岐点

人生の分岐点

写真は東武鉄道東武動物公園駅から下り方面に伸びる線路です。右側は日光線、左側は伊勢崎線です。

日光線は、杉戸高野台、幸手、南栗橋、栗橋、新古河、柳生、板倉東洋大前、藤岡、静和、新太平下、栃木、そして新栃木へと向かいます。新栃木からは宇都宮線も出ています。下今市からは鬼怒川線も出ています。

伊勢崎線は、和戸、久喜、鷲宮、花崎、加須、南羽生、羽生、川俣、茂林寺前、そして館林へと向かいます。館林からは小泉線と佐野線も出ています。太田からは桐生線も出ています。

tobu railway map

人生にも、鉄道路線と同じように、至る所に分岐点があります。

どこの幼稚園・保育園に行くか。どこの小学校に行くか。どこの中学校に行くか。どこの高校に行くか。どこの大学、短大、専門学校に行くか。どこに就職するのか。誰と結婚するのか。どこに住むのか。転職するのかしないのか。退職後はどうするのか。などなど。

けれども、人生において最も大切な分岐点は、「どのような信仰の道を歩むのか」ということではないでしょうか。それにおいて死の向こうの永遠を過ごす終着駅が変わってしまうからです。

私は20歳の時、キリスト信仰の道、キリスト教会へと導かれ、もうアラフォー世代になりました。信仰の分岐点でこの道へと導かれていなければ、私は今も死へと急ぎ、永遠の滅びに向かって暴走していたことでしょう。今あるはただ主イエス・キリストの恵みです。感謝。

杉戸キリスト教会牧師 野町真理

YELL(エール)/ いきものがかり

のまちゃん牧師のギター弾き語りです。

とても励まされる歌です。「永遠など無いと気づいたときから」という箇所は、「この地上の人生において、永遠など無いと気づいたときから」ということだと受け止めつつ。

もともと音楽を聴くのは好きでしたが、イエス・キリストの愛に出会う前は、自分で楽器を弾こうとまでは思いませんでした。

けれども、イエス・キリストに出会ってから、アルバイトしたお金でギターを買い込み、練習し始めました。自分で楽器を奏でて表現したい喜びや感謝が与えられたからです。

杉戸キリスト教会 2011年度方針

杉戸キリスト教会 2011年度方針(教会総会資料2010年11月より)

★ビジョン


『そして、彼を外に連れ出して仰せられた。
「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」
さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』創世記15章5-6節

 1、星の数ほど老若男女が満ちあふれる教会、行列のできる教会
 2、日々みことばに聴く祈りをし、主の祈りに沿って熱心に願い求める教会
 3、天から聖霊を受け続けることにより、与える幸いに生きる教会
 4、熱い祈りによって信仰、希望、愛、そして賛美が満ちあふれる教会
 5、人と緑を生かしてオアシスを再創造する教会
 6、魂を救い、人を育てることによって神の国を建て上げ、世界を変える教会
 7、日本とアジアと世界に仕える教会(JAWS21:地域、宣教区、国内、国外)

★2011年度の取り組み

 1、各個人が日々聴く祈りをし、目的宣言文に沿った「目的志向の人生」を目指す

 2、私たち杉戸キリスト教会の目的宣言文を共に作成し、
   「目的志向の教会」を目指す

★5つの目的に基づいた教会の働き

 1、礼 拝ーあなたは神の喜びとしてデザインされた
 
 2、交わりーあなたは神の家族としてデザインされた
 
 3、成 長ーあなたはキリストのようにデザインされた
 
 4、奉 仕ーあなたは神に仕えるためにデザインされた
 
 5、宣 教ーあなたは使命(魂の救いと人育て)のためにデザインされた

★目的志向の人生と教会を目指して

 参照聖書箇所:ルカ福音書10章38節-11章13節

ある時主イエスが祈っておられました。「天と地がつながっているような祈りだ。私もあんなふうに祈りたい。」そんな憧れを弟子たちに抱かせるお姿でした。ですから、「主イエス様。祈りを教えてください。」そう弟子の一人が尋ね求め、素直に聴く祈りをしました。その時主イエスが「祈る時にはこう祈るんだよ。」と教えてくださったのが主の祈りです。

主の祈りをひっくり返すと、以下のような大変恐ろしい祈りになります。主の祈りを自分の祈りとし、「目的志向の人生」を日々選び取るために、ぜひ覚えてください。そしてこの祈りに絶対にアーメン(それが私の心からの願いです)と言わないでください。無意識に祈ることがあっても、意識的には祈らないでください。悪魔的な祈りで、これ以上的外れで罪深い祈りはありませんから。これは、善悪の知識の木の実を食べた者の恐ろしい祈りですから。

自分の名前があがめられ、ほめられますように。

自分を中心とした自分の思い通りになる国が来ますように。

私の願い、考え、計画が、その通りになりますように。

私が今日もがんばって、日ごとの糧を得よう。(神など必要ない)

誰でも私に罪を犯す者があるなら、絶対に赦さないで、必ず報復しよう。

私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝つことができ、

 自分で自分を悪から救い出すことができる。(救い主など必要ない)

国と、力と、栄え、世界に満ちるすべてのものは、私(俺)のものだ。

これは「罪人の自己中心な祈り」です。正直にあなたの心の中をのぞいて見てください。心密かに願っている本音がこのような内容と方向性であるなら、あなたも聖書の言う「罪人」です。行き着く先は死と永遠の滅びです。しかし主の祈りの行き着く先は、喜びと感謝と永遠のいのちです。どちらに向かって生きるのか、あなた自身が日々選び取らなければなりません。

以前の私は、主の祈りをひっくりかえした内容をいつも願い求めていました。けれども、死と永遠の滅びに向かって暴走していた私のために、十字架で命を捨ててくださり、よみがえった主イエスによって、主の祈りの指し示す内容を目指して、喜んで生きるように変えられたのです。「まず向きを確認し、次にその方向性で、聖霊を与えてくださる天の父にあつかましいほど熱心に祈り続けなさい!」そう主イエスは教えておられます。

用いられれば用いられるほど、目に見える結果が出せれば出せるほど、すべての栄光を神にお返しすることが難しくなります。自分に栄光を帰したいという誘惑、神を十字架につけて殺し、自分が神になりたいという誘惑がますます強くなるからです。

ですから電波時計のように、毎日聖書に耳を傾けて聴く祈りをし、主の祈りがコンパスのように指し示している向きに軌道修正しながら生きる。そうすれば、造られ、救われ、生かされ、杉戸キリスト教会に神の家族として呼び集められている本来の目的に導かれた、目的志向の人生を生きることができます。

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」

中野教会

中野教会にて関東宣教区講壇交換メッセージ「目的志向の人生」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ルカ福音書11章1-13節
今年の関東宣教区講壇交換は、中野教会で奉仕させていただきました。感謝。

古河教会にて講壇交換メッセージ「目的志向の人生」

古河教会

古河教会にて講壇交換メッセージ「目的志向の人生」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ルカ福音書11章1-13節

古河教会の長谷川望牧師と講壇交換をしました。感謝。

iTunesのようなポッドキャストの受信ソフトにこのバナーをドラッグ&ドロップすることで、番組を登録できます。詳しくはこちら

2010年9月26日 古河教会 講壇交換メッセージ要約

「目的志向の人生」 杉戸キリスト教会牧師 野町真理
 聖書箇所:ルカ福音書11章1ー13節

私の名前は真理と書いて「しんり」と言います。女性でも、牧師の息子でも、クリスチャンホームでもありません。20歳まで聖書を読むことも教会に行くこともありませんでした。20歳の時、クリスチャン留学生に出会い、「塩狩峠」(三浦綾子著)に出会い、そしてイエス・キリストに出会い、私の人生の向きが大きく変えられました。

その後、大学進学のため高知県から愛知県豊橋に移り住み、そこで森川昌芳牧師に出会い、豊橋ホサナキリスト教会で大変お世話になりました。森川牧師から主任牧師のバトンも受けたのですが、ちいさなロバのような私には荷が重過ぎて、4年前に杉戸キリスト教会に転任することになりました。尊敬する森川先生が牧会されていた古河教会に、楽しみにして参りました。

さて、イエス・キリストに出会って、私の何が一番違ったのか、今日はそのことをルカ福音書11章からお話させていただきます。

ある時イエス様が祈っておられました。「天と地がつながっているような祈りだ。確かに祈りが通じている。私もあんなふうに祈りたい。」弟子たちにそんな憧れを抱かせるお姿でした。

ですから、「主イエス様。祈る時には何をどのように祈ったいいのですか?祈りを教えてください。」そう弟子の一人が尋ね、聴く祈りをしました。その時「祈る時にはこう祈るんだよ。」と教えられたのが主の祈りです。

主の祈りをひっくり返すと、以下のような大変恐ろしい祈りになります。主の祈りを自分の祈りとして毎日祈るために、目的志向の人生を選び取るために、ぜひメモしていただけたら感謝です。

最初に申し上げます。この祈りに絶対にアーメン(それが私の心からの願いです)と言わないでください。無意識に祈ることがあっても、絶対に意識的には祈らないでください。非常に悪魔的な祈りですから。これ以上、的外れで罪深い祈りはありませんから。

自分の名前があがめられ、ほめられますように。
自分を中心とした自分の思い通りになる国が来ますように。
私の願い、考え、計画が、その通りになりますように。
私が今日もがんばって、日ごとの糧を得よう。(神など必要ない)
誰でも私に罪を犯す者があるなら、絶対に赦さないで、必ず報復しよう。
私は自分の力であらゆる誘惑に打ち勝つことができ、
自分で自分を悪から救い出すことができる。(救い主など必要ない)
国と、力と、栄え、世界に満ちるすべてのものは、私(俺)のものだ。

私はこれを、「罪人の自己中心な祈り」と名付けました。正直にあなたの心の中をのぞいて見てください。心密かにいつも願っていること、いつも考えていることがこのような内容と方向性であるなら、あなたも聖書の言う「罪人」です。行き着く先は、死と永遠の滅びです。しかし主の祈りの行き着く先は、喜びと感謝と永遠のいのちです。どちらに向かって生きるのか、あなた自身が日々選び取らなければなりません。

以前の私は、主の祈りをひっくりかえした内容をいつも願い求めていました。けれども、死と永遠の滅びに向かって暴走していた私のために、十字架で命を捨ててくださり、よみがえった主イエスによって、主の祈りの指し示す内容を目指して、喜んで生きるように変えられたのです。

熱心に祈る前に、いつもまず向きを確認する必要があります。「まず向きを確認し、次にその方向性で、聖霊を与えてくださる天の父にあつかましいほど熱心に祈り続けなさい。」そう主イエスは教えておられます。

用いられれば用いられるほど、目に見える結果が出せれば出せるほど、すべての栄光を神にお返しすることが難しくなります。自分に栄光を帰したいという誘惑、神を十字架につけて殺し、自分が神になりたいという誘惑がますます強くなるからです。

ですから電波時計のように、毎日聖書に耳を傾けて聴く祈りをし、主の祈りの向きに軌道修正しながら生きる。そうすれば、造られ、救われ、生かされている本来の目的に導かれた、目的志向の人生を生きることができます。