一難去ってまた一難 November 8, 2025

「一難去ってまた一難」November 8, 2025

その子は育って乳離れした。アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した。サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムに産んだ子が、イサクをからかっているのを見た。それで、アブラハムに言った。「この女奴隷とその子を追い出してください。この女奴隷の子は、私の子イサクとともに跡取りになるべきではないのですから。」このことで、アブラハムは非常に苦しんだ。それが自分の子に関わることだったからである。神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」創世記21章8ー13節

聖書の神を信じていても、いなくても、人生は「一難去ってまた一難」です。いずれの人生にも、「一難去らないうちにまた一難」という厳しい状況も起こり得ます。けれども、聖書の神を信じている人生と、信じていない人生には、明確な違いがあります。

聖書の神、アブラハムの神を信じている人生には、私たちの苦しみをご覧になり、その時必要なことを語りかけてくださる神の優しい導きがあり、そこが陽のあたる場所、メインストリートになります。アブラハムの神を信じていない人生では、それに気づくことも体験することもできず、その結果、自助努力と自己責任の果てに、行き止まりの路地裏になります。

礼拝メッセージ「望みの神」ローマ39

礼拝メッセージ「望みの神」ローマ39(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙15章7ー13節

7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」13 どうか、 望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。ローマ人への手紙15章7−13節

杉戸キリスト教会 Sugito Christ Church

クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

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クリスマス礼拝メッセージ「希望の訪れ」

聖書箇所:ルカ福音書2章1-21節

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」ルカ福音書2章10-12節

今日本にないものは何でしょうか。それは希望です。健康問題、生活問題、家庭問題などで、生きる希望、将来に対する希望が持てないので、1998年以降、平均すると毎日80人以上の人々が、この国のどこかで、自らいのちを絶っています。

希望がない所には暗雲が広がります。光さえ暗くなる、閉塞感という名の、気が滅入ってしまう黒雲。それが今、この国を広く覆っています。

けれども、黒雲の向こう側には、澄み切った青空があり、太陽が輝いています。そして黒雲のこちら側で、一人で苦しんでいるあなたの傍らには、共に苦しんでいてくださる希望の神がおられます。どんなに望みが絶たれ、神に見捨てられたとしか思えないような時にも、そこに希望の神がおられます。

そのような希望の神が、肉体をもってこちら側に降誕されたのが、世界で最初のクリスマスでした。希望の訪れのしるしは、「飼葉おけに寝ておられるみどりご」でした。望みは光よりも早く将来を先取りし、やがて暗雲を跡形もなく消し去ります。

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