敬老の日歓迎礼拝メッセージ「偽りのない愛」ローマ32

敬老の日歓迎礼拝メッセージ「偽りのない愛」ローマ32(クリックで聴けます)

聖書箇所:ローマ人への手紙12章9ー16節

9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。16 互いに一つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者だなどと思ってはいけません。ローマ12章9−16節

恵みによる和解

恵みによる和解

2010 Christmas Eve

『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』エペソ人への手紙2章8-9節

イエス・キリストはインマヌエル(「神は私たちと共におられる」という意味)と呼ばれています。(マタイの福音書1章23節参照)

2010 Christmas Eve

この方は、すべてのものを造られた神であられますが、クリスマスに一人のユダヤ人として生まれ、肉体を持った人間として、私たちの間に住んで下さいました。 「神は愛であり、あなたを愛している」ということ、また神が決して私たちを見捨てず、共に生きておられることは、このイエス・キリストによって最高に明らかにされました。

神を神としないで、神なしで自己中心に生きること、つまり、自分を神として生きることを聖書では罪といいます。また、神の喜ばれないことをすること、口に出すこと、心に思い巡らすことも罪と言えます。

しかし、わたしたちが神に背を向け、自分は悪いとも思わず、神なしで生きていけると思い違いをしていた時に、イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って、身代わりに十字架で死んで下さいました。

『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』 ローマ人への手紙5章8節

SILVER CROSS

『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。』イザヤ書53章4-6節

とても自分の力では払うことの出来ない罪の負債をすべて、イエス・キリストが代りに支払ってくれたのです!そしてイエス・キリストは3日目によみがえり、今も私たちと共に生きておられます。

after 3.11

『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。』コリント人への手紙第一15章1ー6節

イエス・キリストは世の終りまで、いつも私たちと共にいて下さるお方です。

『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』マタイの福音書28章20節

イエス・キリストは、永遠のいのちと豊かな愛の関係の中に、いつでもあなたを招いておられます。それは、あなたに、いのちをかけても惜しくない使命、人生の目的を与えてくださるためなのです。

『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』マタイの福音書16章26節

あなたがもし、イエス・キリストを心に迎え、キリストと共に生きるなら、あなたに永遠のいのちが与えられ、生き生きとしたいのちが回復します。

桜並木 with PENTAX K-7

『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川(聖霊)が流れ出るようになる。』ヨハネの福音書7章37-38節

あなたのすべての罪が赦され、和解によって神との関係が回復します。

『主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』詩篇103篇3-5節

杉戸キリスト教会前のツツジ

あなたのすべてがきよめられ、新しく造られた者とされます。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』 コリント人への手紙第二5章17節

Welcome to this beautiful world

神をもう一度「お父さん」と呼ぶことの出来る神の子どもとされ、愛を受けることが出来ます。

『しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 』ヨハネの福音書1章12節

そして、神の子どもとして父なる神を信頼し、キリストに似たものに変えられ続ける生涯に入れられます。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』コリント人への手紙第二3章18節

古利根の夏

人を愛し、人を赦すことが出来る者に、将来必ず変えられます。心からのやすらぎを持つことができ、生きる力が与えられます。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』マタイの福音書11章28-30節

人生の様々な問題や苦難を乗り越えることが出来る力と知恵と愛が与えられます。

朝顔

喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣くことの出来る人生を生きることが出来ます。
他者の心・気持ちを理解する感受性が豊かにされるからです。

朝露

全世界の祝福の基として、他者のために共に生きることが出来ます。

The Great Wall

いつまでも残る、信仰と希望と愛に生きることが出来ます。

希望を撮る

すべての栄光を主イエス・キリストの三位一体の神に帰することが出来ます。


これが、本当の意味で、人生の勝利者、成功者になるということです。

PURPOSE DRIVEN JOURNEY

人間としての存在価値、生きる目的・意味の回復がここにあります。

恐れるな

恐れるな

しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。
わたしは、最初であり、最後であり、
生きている者である。わたしは死んだが、見よ、
いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
黙示録1章17-18節

地下鉄の駅で次の電車を待っていると、電光掲示板に「電車が来ます」というメッセージが点滅し始めます。そのうちに暗いトンネルの向こうから「ゴーーーーッ」という音が聞こえてきます。そして突然、ヘッドライトのまぶしい輝きとともに、電車がプラットホームに勢いよく滑り込んできます。

黙示録に書き記された未来の時は、ちょうどそのように今に向かって近づいています。あなたも静かに聖書に耳を当てると、確かにその響きを聞き取ることができるでしょう。

聖書には、「恐れるな・恐れないで・恐れることはありません」という基調メッセージが力強く響いています。

まるで地下トンネルのような暗さがこの地上を覆い、疲れた人々の顔から希望や元気が失われている現代。そんな時であっても、もしあなたが静まって聖書に耳を傾けるなら、あなたの疲れをいやし、あなたに希望を与え、あなたに生きる力を与える神からの良い知らせを、必ず聞き取ることができるでしょう。

uiyyeyyeunaith.jpg

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」

礼拝メッセージ「惜しまないでいられようか」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨナ4章

主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。ヨナ書4章10-11節

『風刺作家の目的が読者を感動させて真実を認めさせることにあるなら、ヨナ書の作者ほど見事に成功した風刺作家はいまにいたるまで存在しない。

この風刺作家は狂信、残酷、浅い神学を攻撃するだけでなく、憐れみと深い関心をあらゆる国家に示す神の姿を見事に描き、読者の積極的反応を呼び起こしている。

たいていの風刺作家は悪徳の姿を醜悪に描いて見せるが、善を美しく見せる力に不足している。「ヨナ書」を書いた人に力量的に劣る風刺作家なら、ヨナの態度に対する自分の怒りを作品にぶちまけることによって、作品の肯定面を曖昧にしてしまったであろう。

「ヨナ書」を書いた人は客観的で、おしゃれな筆致を捨てることなく、攻撃対象である悪行だけでなく、肯定的規範にも配慮すべく苦心しているのである。』

リーランド・ライケン『聖書の文学』すぐ書房、
1990年、405-406頁より引用

Because He Lives 主イエスが生きておられるから

Because He Lives ~ William and Gloria Gaither ~

日本語訳歌詞(1番)
 神は人を 愛されて     そのひとり子を この世におくり
 私たちの 罪のために    十字架につけて くださった
 主は今  生きておられる  我が内に    おられる
 すべては 主の御手にあり  明日も生きよう 主がおられる

英語の歌詞と試訳

God sent His son, they called Him Jesus. He came to love, heal, and forgive.
He lived and died to buy my pardon, An empty grave is there to prove my Savior lives.

神はひとり子を遣わされ、その方はイエスと呼ばれた。愛するため、いやすため、そして赦すために、彼は来られた。彼は生きて死なれた。私の恩赦を買うために。そして空っぽになった墓は、私の救い主が、今も生きておられることを証明している。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

How sweet to hold a newborn baby, And feel the pride and joy he gives.
But greater still the calm assurance, This child can face uncertain days because He lives.

新しく生まれた赤ちゃんをだっこすることは、なんと嬉しいことだろうか。彼が与えてくれるプライドと喜びを、私は味わっている。しかしそれよりも素晴らしい静かな心と穏やかな確信。主イエスが生きておられるから、この子も不確かな日々に向かって生きていける。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone.
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives.

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。 主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

And then one day I’ll cross the river, I’ll fight life’s final war with pain.
And then as death gives way to victory, I’ll see the lights of glory and I’ll know He lives.

ある日私は、川を向こう岸に向かって横切ることになり、痛みを伴う人生最後の戦いを戦う。そして死が勝利への道を与えるその時、主の栄光を見て、主イエスが生きておられることを知るだろう。

Because He lives, I can face tomorrow. Because He lives, All fear is gone!
Because I know He holds the future, And life is worth the living just because He lives!

主イエスが生きておられるから、私は明日に立ち向かえる。主が生きておられるから、すべての恐れは逃げ去る。主は生きておられ未来を御手の中に握っておられるから、人生は生きるに値する。

2011年のイースター歓迎礼拝のために 杉戸キリスト教会牧師 野町真理

希望を撮る with PENTAX K-7

杉戸キリスト教会の斜め前にある橋本そば屋さんの桜の木が、優しい希望の花を咲かせていました!