「信仰継承と霊的戦い」June 11, 2025

「信仰継承と霊的戦い」June 11, 2025

詩篇44篇には、信仰継承と霊的戦いが歌われている。
信仰共同体の中で、過去の記憶を次世代に語るなら、
恵みの記憶を共有した若者たちが真剣に祈り始める。

神よ 私たちはこの耳で聞きました。
先祖たちが語ってくれました。
あなたが彼らの時代 昔になさったみわざを。
あなたは 御手をもって異邦の民を追い払い
そこに先祖たちを植えられました。
もろもろの国民にわざわいを下し
そこに先祖たちを送り込まれました。
自分の剣によって 彼らは地を得たのではなく
自分の腕が 彼らを救ったのでもありません。
ただあなたの右の手 あなたの御腕
あなたの御顔の光が そうしたのです。
あなたが彼らを愛されたからです。

神よ あなたこそ私の王です。
ヤコブの勝利を命じてください。
あなたによって 私たちは敵を押し返し
御名によって 向かい立つ者どもを踏みつけます。
私の弓に 私は頼りません。
私の剣も 私を救いません。
しかし あなたは私たちを敵から救い
私たちを憎む者どもを辱められます。
神にあって 私たちはいつも誇ります。
あなたの御名を とこしえにほめたたえます。 セラ

それなのに あなたは
私たちを退け 卑しめられました。
あなたはもはや
私たちの軍勢とともに出陣なさいません。
あなたは私たちを敵から退かせ
私たちを憎む者どもは思うままに略奪しました。
あなたは私たちを 餌食となる羊のようにし
国々の間に散らされました。
ご自分の民を安く売り渡し
その代価で何の利益も得ませんでした。
あなたは私たちを 隣人のそしりの的とし
周りの者の嘲りとし 笑いぐさとされます。
私たちを国々の間で物笑いの種とし
もろもろの民の間で笑いものとされるのです。
私の前には絶えず辱めがあり
恥が私の顔をおおってしまいました。
それは そしる者とののしる者の声のゆえ
敵と 復讐する者のゆえでした。
これらすべてが私たちを襲いました。
しかし 私たちはあなたを忘れず
あなたの契約を無にしませんでした。
私たちの心はたじろがず
私たちの歩みはあなたの道からそれませんでした。
あなたは ジャッカルの住みかで私たちを砕き
死の陰で私たちをおおわれたのです。
もし 私たちが自分たちの神の御名を忘れ
ほかの神に向かって手を伸べ広げたなら
神はそれを探り出されないでしょうか。
神こそ 心の秘密を知っておられるからです。
あなたのために 私たちは休みなく殺され
屠られる羊と見なされています。

起きてください。
主よ なぜ眠っておられるのですか。
目を覚ましてください。
いつまでも拒まないでください。
なぜ 御顔を隠されるのですか。
私たちの苦しみと虐げをお忘れになるのですか。
私たちのたましいは ちりに伏し
私たちの腹は 地についています。
立ち上がって 私たちをお助けください。
御恵みのゆえに 私たちを贖い出してください。

聖書と祈り会2025-05-14 イスラエルの家の見張り

2025年5月14日の聖書と祈り会メッセージ。イスラエルの家の見張り。
聖書はエゼキエル書3章1−27節。ともに聞く聖書はこちら⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠http://graceandmercy.or.jp⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠
資料はこちら⁠https://flic.kr/p/2r4v2Ef

エゼキエル3

杉戸キリスト教会では、水曜14時からと20時から、聖書と祈り会があります。
今はエゼキエル書に耳を傾けながら祈っています。

「私の信仰の歩みと杉戸キリスト教会」 マクドエル・デービッド

「私の信仰の歩みと杉戸キリスト教会」マクドエル・デービッド(2023/08/13)

杉戸キリスト教会の皆様、教会の70周記念おめでとうございます!今日まで、神様がこの教会を守り導き、そして、用いたことを心から感謝して、これからも、教会が主の再臨まで忠実にあり続けるように祈っています。ここに、この教会が私の信仰の歩みに大きな影響と励ましを与えたことについて証いたします。

2012年の4月から、私は杉戸町の隣にある宮代町でALT(英語の補教師)として勤め始めました。以前にも、私は2年間日本で暮らしました。アメリカでクリスチャンホームに育ちいつも教会に行きましたが、日本では一回も教会の礼拝に行くことも、求めることも考えなかったです。しかし、ちょうどイースター前の日曜日、町役場への道に迷い、杉戸キリスト教会を見つけて、道案内を願いました。野町真理先生が道を案内してくださって、その後、礼拝に誘いました。イースター礼拝へは、参加することが恥ずかしくて、行きませんでしたが、次の主日から、礼拝に参加しました。

あまり日本語を理解できなかった私を、どれほど教会は歓迎してくださったかを覚えています。礼拝の後、愛餐会があり、いつもとてもおいしいうどんを食べられ、ほぼ最初に礼拝に参加した時から、午後の青年会に誘われて、皆さんと一緒に英語と日本語の賛美を練習するようになりました。不思議と、求められていなかったですが、それから、ほとんど毎週礼拝に参加して、どんどん教会の皆さんを知るようになりました。愛餐会の交わりや、青年会の参加から、皆さんの信仰生活が見えるようになり、教会の愛と信頼の関係も見えるようになりました。残念ながら、説教をあまり理解できなかった日が最初は多かったですが、皆さんの交わりはとても印象深いものでした。自分の弱さ、信仰の試練について話す人が多かったですので、自分の悩みや不安も先生と教会の兄姉たちと話せるようになりました。

また、アメリカ人であっても、少しずつ教会は私を奉仕と委員会に加えて、教会イベントに参加したり、日曜学校の教師の奉仕や礼拝の賛美チームにも加えられたりして、あっという間に教会のメンバーになれたように感じました。杉戸キリスト教会の礼拝と交わりによって、私は神様の家族に入っていると感じるようになりました。教会籍がなくても、私は多くの教会のイベントに参加するようになり、数か月後、日曜日は朝9時から夜9時までに教会で過ごすようになりました。

また、聖書をもっと読んで、やっと聖書全書を読んで神様の愛のメッセージを理解できました。もちろん、アメリカの教会でも、神様について学びましたが、自分の信仰に自信がなく、本当に信じているのかと疑い、不安ばかりでした。しかし、私の信仰の成長のために神様は杉戸キリスト教会を与えてくださいました。クリスマス会で、きよしこの夜を「きよしの夜」と言い間違えて紹介しても、日曜日のCSの話があまりうまく説明できなくても、いつも励ましてくださり、奉仕の感謝と喜びを一緒に分かち合ってくださいました。もっと神様のために働きたかった時、教会は建物を開き、週3回英会話を行える場所になりました。少しずつ、私の信仰が強められ、もっと神様のために働きたくなり、もっと神様を知りたいと、野町先生と役員会のメンバーと相談して、神学校を調べ始めました。

また、その時、教会員であった前原将太先生と栄姉が私の成長を見て、結婚相手を紹介してくださいました。教会が結婚式をしてくださり、私と妻をメンバーとして歓迎しました。教会も、私たちも神様の喜びと感謝を感じました。そして、2014年に神様から神学校に行く確信を得た時、杉戸キリスト教会が私を派遣すると承認し、いつも祈りによって支えてくださいました。東京基督教大学に入学した2016年には、神学生として受け入れてくださいました。説教中に緊張と疲れで講壇から倒れても、教会は支えて、祈りました。それを通して、神様の愛をはっきり感じました。

現在、私は杉戸キリスト教会から別の場所に派遣されています。しかし、私がまだ神様を求めていなかった時に、神様が私のために杉戸キリスト教会に導き、信仰を守り育てってくださったことをいつも覚えて、感謝を捧げます。また、それは私だけのためではなく、この教会を通して、70年の間、多くの兄弟姉妹を励まして、慰めて、救いに導きました。杉戸キリスト教会によって、私は神様がどれほど私を愛して、認めて、守ってくださり、どれほど神様は私のために良い将来を備えてくださったかを体験しました。神様の良い計画は、私たちがまだそうとは気づかないところから、すでに始まっていて、続いていきます。杉戸キリスト教会は、私のためにそのように用いられました。

そして、神様は今も、御国のために杉戸キリスト教会を用いています。これからも、教会と主を愛する私たちも用いられるよう、期待して願っています。主の御恵と愛と御霊が皆さまの上にありますように。「どうか、私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行うことのできる方に、教会において、またキリスト・イエスにあって、栄光が、世々限りなく、とこしえまでもありますように。アーメン。」エペソ3章20-21節

聖書と祈り会2023-06-28 使徒の働き55 証し

2023年6月28日の聖書と祈り会メッセージ。使徒の働き55 証し 。聖書は使徒の働き21章37節〜22章16節。
聞くドラマ聖書はこちらhttps://graceandmercy.or.jp/app/
資料はこちらhttps://flic.kr/p/2oL3LGg

杉戸キリスト教会では、水曜14時からと20時から、聖書と祈り会を行います。マスクをしてお集いください。祈ってほしいことなどがありましたら、祈りのリクエストもお寄せください。義人は祈りによって生きます。

証し 野町真理

証し
野町 真理(のまちしんり)

「野町君、罪を持っちょったら天国に行けんがでー。けんどイエス様は野町君のために身代わりに十字架に架かって死んでくれたが。もし野町君がイエス様を信じると天国に行けるがやきー。」

20歳の時、フィリピンから留学生が来て、土佐弁で私に福音を語ってくれました。神に頼るのは弱い人間のすることだと聞き流していました。けれども、三浦綾子の「塩狩峠」を読んだ時、自分から聖書を読み始めました。

聖書はまるで本当の自分を映し出す鏡のように、心の中の醜さ、弱さを見せてくれました。神を神とせず、自分は正しいとして人を見下し、裁き、結局自分のことしか考えていない自己中心な自分に絶望しました。しかし神からのラブレターと呼ばれている聖書にはこう書かれてあったのです。

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」( 旧約聖書イザヤ書43章4節)

すべてお見通しなのに、私を高価で尊いと愛しておられること。イエス様を十字架につけて殺したのは私であることを示されました。その時、十字架につけられ、3日目によみがえって今も生きておられるイエス様を、心に受け入れる祈りをしました。神は、いのちを与えてくださるほどに私を愛しておられる。そのことを知ってから、私の人生は180度変えられました。目に映るもの全てが輝いて見えました。

釈義から説教へ

釈義 使徒14章8−18節

説教「教会の働きとしての証し」