全地に創造主の御名が力強く満ちている May 6, 2025

「全地に創造主の御名が力強く満ちている」May 6, 2025

詩篇8篇は、ダビデの賛歌。
ダビデは、全地に創造主の御名が力強く満ちていることを覚え、
創造主を高らかに賛美する。
天も、月も、星も、創造主の作品。
空の鳥も、海の魚も、動物も、人間も、
進化したわけではなく造られた被造物。
そして人間に託された使命は、全被造物をケアすること。

主よ 私たちの主よ
あなたの御名は全地にわたり
なんと力に満ちていることでしょう。
あなたのご威光は天でたたえられています。
幼子たち 乳飲み子たちの口を通して
あなたは御力を打ち立てられました。
あなたに敵対する者に応えるため
復讐する敵を鎮めるために。
あなたの指のわざである あなたの天
あなたが整えられた月や星を見るに
人とは何ものなのでしょう。
あなたが心に留められるとは。
人の子とはいったい何ものなのでしょう。
あなたが顧みてくださるとは。
あなたは 人を御使いより
わずかに欠けがあるものとし
これに栄光と誉れの冠を
かぶらせてくださいました。
あなたの御手のわざを人に治めさせ
万物を彼の足の下に置かれました。
羊も牛もすべて また野の獣も
空の鳥 海の魚 海路を通うものも。
主よ 私たちの主よ
あなたの御名は全地にわたり
なんと力に満ちていることでしょう。

ベースボールの祈り January 7, 2025

「ベースボールの祈り」January 7, 2025

The Bibleに耳を傾けると、
スピリチャルなベースボールの試合があり、
選手である私たちに対して、応援の声が聞こえてくる。

祈り始めると、1累にランナーを送り出すことができる。
続けて祈ると、2累にランナーを進めることができる。
さらに祈ると、ランナーを3塁に立たせることができる。
粘り強く祈り続けるなら、ランナーをホームベースに戻すことも可能だ。

祈りはインスタントに答えられない。
どこかであきらめてしまったら、せっかくの労苦が無駄になってしまう。

だから祈りが応えられるまで、チームでつないで祈ることが必要だ。
弱くて不信仰な私たちは、すぐ祈ることを止めてしまう。
けれども、七転び八起き。思い出した時に祈りを再開すればいい。
祈り続けるなら必ず祈りの手応えがある。そしたら夢は正夢!

祈りに味を占めたら、もう勝利は遠くない。
受洗者が与えられるという形で目に見える結果が出る時、
私たちは祈りにおいて、勝利への道を走り続ける。

野球監督のミッションは、選手たちを整えて輝かせること。
牧師のミッションは、聖徒たちを整えて輝かせること。

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、 夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
(新約聖書 ルカの福音書18章1ー8節)

神から逃げた人

11月は4回シリーズでヨナ書からメッセージします。ぜひお集いください。

神から逃げた人

杉戸キリスト教会地図2016

あらゆる国の人々を

あらゆる国の人々を

杉戸キリスト教会地図2016

アドベント第一主日聖餐礼拝メッセージ「決勝点を目指して」

アドベント第一主日聖餐礼拝メッセージ「決勝点を目指して」(クリックで聴けます)

聖書箇所:1コリント9章19−27節
2013年12月 1日、杉戸キリスト教会にて
メッセンジャー:野町真理(のまちしんり) 杉戸キリスト教会牧師

主題:決勝点がどこかわからないような走り方をしない秘訣は、
決勝点・ゴールをしっかりと見据えることにある

★怠惰や誘惑や高慢に打ち勝って、いい先生・いい人生の先輩であり続けるためには、志(目的・使命)がどうしても必要。
 ただなんとなくではだめ。目的もなくではだめ。ゴール設定をせずにではだめ。
 決勝点がどこかわからないような走り方をしていてはだめ。決勝点を目指す必要がある。
 何が見たくて何のために?報いは?報酬は?何を指針・方針として?どんな使命感を持って?

22 すべての人に、すべてのものとなりました。
  それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
23 私はすべてのことを、福音のためにしています。
  それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
24 競技場で走る人たちは、みな走っても、
  賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。
  ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。
25 また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。
  彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、
  私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。
  空を打つような拳闘もしてはいません。
27 私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。
  それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、
  自分自身が失格者になるようなことのないためです。
コリント人への手紙第一9章22−27節

礼拝メッセージ「人生バイブル」

礼拝メッセージ「人生バイブル」(クリックで聴けます)

聖書箇所:出エジプト記3章7ー12節

7 主は仰せられた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを確かに見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。8 わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためだ。9 見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。10 今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」11 モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」12 神は仰せられた。「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである。わたしがあなたを遣わすのだ。あなたが民をエジプトから導き出すとき、あなたがたは、この山で、神に仕えなければならない。」出エジプト記3章7−12節