召天者合同記念礼拝メッセージ「白無垢の人々」

召天者合同記念礼拝メッセージ「白無垢の人々」(クリックで聴けます)

聖書箇所:ヨハネの黙示録7章9ー17節

長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。・・・黙示録7章13-16節

外国に旅行・滞在するためにはパスポート(旅券)が必要です。パスポートがなければその国に入ることもできません。

同じように、この地上の旅を終え、永遠の世界に旅立って天国に入るためには、天国のパスポートが必要になります。

痛みや苦しみから解かれ、すでに天国に入っている白無垢の人々に目を向けると、どうすれば天国のパスポートを持つことができるのか、どうすれば先に召された方々と天国で再会することができるのかを知ることができます。

「彼らはその衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」私の罪のために罪のない小羊イエスが十字架で血を流してくださったと信じる時、天国のパスポート・白無垢の衣は、あなたにも発券されます。

恵みによる和解

恵みによる和解

2010 Christmas Eve

『あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。』エペソ人への手紙2章8-9節

イエス・キリストはインマヌエル(「神は私たちと共におられる」という意味)と呼ばれています。(マタイの福音書1章23節参照)

2010 Christmas Eve

この方は、すべてのものを造られた神であられますが、クリスマスに一人のユダヤ人として生まれ、肉体を持った人間として、私たちの間に住んで下さいました。 「神は愛であり、あなたを愛している」ということ、また神が決して私たちを見捨てず、共に生きておられることは、このイエス・キリストによって最高に明らかにされました。

神を神としないで、神なしで自己中心に生きること、つまり、自分を神として生きることを聖書では罪といいます。また、神の喜ばれないことをすること、口に出すこと、心に思い巡らすことも罪と言えます。

しかし、わたしたちが神に背を向け、自分は悪いとも思わず、神なしで生きていけると思い違いをしていた時に、イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って、身代わりに十字架で死んで下さいました。

『しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。』 ローマ人への手紙5章8節

SILVER CROSS

『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。』イザヤ書53章4-6節

とても自分の力では払うことの出来ない罪の負債をすべて、イエス・キリストが代りに支払ってくれたのです!そしてイエス・キリストは3日目によみがえり、今も私たちと共に生きておられます。

after 3.11

『兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。』コリント人への手紙第一15章1ー6節

イエス・キリストは世の終りまで、いつも私たちと共にいて下さるお方です。

『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』マタイの福音書28章20節

イエス・キリストは、永遠のいのちと豊かな愛の関係の中に、いつでもあなたを招いておられます。それは、あなたに、いのちをかけても惜しくない使命、人生の目的を与えてくださるためなのです。

『人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。』マタイの福音書16章26節

あなたがもし、イエス・キリストを心に迎え、キリストと共に生きるなら、あなたに永遠のいのちが与えられ、生き生きとしたいのちが回復します。

桜並木 with PENTAX K-7

『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川(聖霊)が流れ出るようになる。』ヨハネの福音書7章37-38節

あなたのすべての罪が赦され、和解によって神との関係が回復します。

『主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。』詩篇103篇3-5節

杉戸キリスト教会前のツツジ

あなたのすべてがきよめられ、新しく造られた者とされます。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』 コリント人への手紙第二5章17節

Welcome to this beautiful world

神をもう一度「お父さん」と呼ぶことの出来る神の子どもとされ、愛を受けることが出来ます。

『しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 』ヨハネの福音書1章12節

そして、神の子どもとして父なる神を信頼し、キリストに似たものに変えられ続ける生涯に入れられます。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。』コリント人への手紙第二3章18節

古利根の夏

人を愛し、人を赦すことが出来る者に、将来必ず変えられます。心からのやすらぎを持つことができ、生きる力が与えられます。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。』マタイの福音書11章28-30節

人生の様々な問題や苦難を乗り越えることが出来る力と知恵と愛が与えられます。

朝顔

喜ぶものと共に喜び、泣くものと共に泣くことの出来る人生を生きることが出来ます。
他者の心・気持ちを理解する感受性が豊かにされるからです。

朝露

全世界の祝福の基として、他者のために共に生きることが出来ます。

The Great Wall

いつまでも残る、信仰と希望と愛に生きることが出来ます。

希望を撮る

すべての栄光を主イエス・キリストの三位一体の神に帰することが出来ます。


これが、本当の意味で、人生の勝利者、成功者になるということです。

PURPOSE DRIVEN JOURNEY

人間としての存在価値、生きる目的・意味の回復がここにあります。

THE OBEDIENCE OF THE SON OF GOD

That Jesus Christ is very God is shown in His way into the far country in which He the Lord became a servant.

For in the majesty of the true God it happened that the eternal Son of the eternal Father became obedient by offering and humbling Himself to be the brother of man, to take His place with the transgressor, to judge him by judging Himself and dying in his place.

But God the Father raised Him from the dead, and in so doing recognised and gave effect to His death and passion as a satisfaction made for us, as our conversion to God, and therefore as our redemption from death to life.

basis of creation

If by the Son or the Word of God we understand concretely Jesus, the Christ, and therefore very God and very man, as He existed in the counsel of God from all eternity and before creation, we can see how far it was not only appropriate and worthy but necessary that God should be the Creator.

If this was God’s eternal counsel in the freedom of His love, the counsel actualised in the manger of Bethlehem, the cross of Calvary and the tomb of Joseph of Arimathea, it was not merely possible but essential for God to be the Creater.

The fact that God has regard to His Son -the Son of Man, the Word made flesh- is the true and genuine basis of creation.

To be sure there was no other necessity than that of His own free love.

But a genuine necessity is constituted by the fact from all eternity He willed so to love the world, and did so love it, that He gave His only begotten Son(Jn. 3:16) .