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イエス・キリストの十字架と復活に関する証言は、「イエス・キリストの福音」の中心メッセージです。

それは、「十字架につけられたイエス様は、よみがえられたお方であり、 よみがえられたイエス様は、十字架につけられたお方である」 という証言です。

ほとんどの人は、「イエス・キリストは十字架に磔にされて殺された方である」と知っています。

けれどもキリスト教会がこの2000年間、全世界に向かって証言し続けていることは、 「十字架につけられたイエス様は、よみがえられたお方であり、 よみがえられたイエス様は、十字架につけられたお方である」 という証言なのです。

ここで、イエス様が「三日目に死人の内よりよみがえり」という言葉が指し示していることは、 イエス・キリストがよみがえられた時、実は私たちもキリストとともによみがえったという事実です。

イエス様を信じることによるこの新生は、 洗礼(バプテスマ)において、最もよく刻み付けられるもう一つのことです。

キリスト者とは、 この証言を信じる信仰によって、イエス様とともに十字架につけられ、葬られ、 イエス様とともに新しい永遠のいのちの中に新生した者なのです。

キリスト教信仰とキリスト教会は、 「この証言が真実かどうか」によって立ちも倒れもします。

この証言について、以下の3つの立場が考えられます。

1、何らかの作り話による!(例:弟子たちによるフィクションでは?)
2、何らかの誤解による!(例:イエス様は死んでなかったのに、死んだと誤解された?)
3、それは歴史的事実・真実である!(十字架につけられたイエス様は、本当によみがえられた!)

順番に、その内容を検討したいと思います。

1、何らかの作り話による(例:弟子たちによるフィクションでは?)

弟子たちの生き様の変化を見ると、この仮説の可能性は消えていきます。

「あなたのために死ねます」と言っていたイエス様の弟子たちは、 イエス様が十字架につけられるために捕らえられた時、 みなクモの子を散らすように逃げてしまいました。

そして、自分たちが従っていたイエス様が十字架で処刑され、葬られた後、 彼らは意気消沈していました。

けれどもその後、弟子たちは復活され、生きておられるイエス様に出会うのです。

そしてその後、弟子たちは人が変わったように、 命がけでキリストがよみがえられたことを証言していったのです。

ある人は実際にイエス様は復活されたわけではなく、 弟子たちの心の中に復活されたのだと考えます。

けれども、 もしイエス・キリストが、本当にからだをもってよみがえらなかったのなら、 かつてキリストを裏切った弟子たちが、 どうしていのちをかけてキリストに従うことが出来たでしょうか?

2、何らかの誤解による

例:イエス様は死んでなかったのに、 死んだと誤解された?

イエス様が十字架につけられた時の記録を見ると、この仮説の可能性も消えていきます。

普通の人が十字架刑にされた場合、 数日間苦しみ続けながら、気が狂ったようになって死んでいくそうです。

けれども、イエス様が2人の犯罪人とともに十字架に釘付けられたのは金曜日でした。 ユダヤ人にとって、土曜日は安息日といわれる大いなる日でした。 この安息日に関する宗教的理由から、 ユダヤ人たちはその日のうちに、イエスの死体を取りのけることを願いました 。

そのため処刑を執行していたローマ兵たちは、十字架につけられた者たちのすねを折り、 死刑囚たちの息の根を止めようとしました。 (すねが折られると息が出来なくなって、死期を早めることができるのです)

けれどもローマ兵たちがイエス様のすねを折ろうとした時、 イエス様が既に死んでいたのが確認できたので、イエス様のすねは折られなかったのです。

ローマ兵の一人は槍でイエス様のわき腹を突き刺しました。 その時、血と水が分離されて出てきたことも記録されています。 このことも、イエス様が既に死んでいたことを示す医学的根拠だそうです。

イエス・キリストは文字どうり、十字架につけられ、死にて葬られたお方なのです。

3、それは歴史的事実・真実である!

十字架につけられたイエス様は、本当によみがえられた!

聖書を読めば読むほど、また歴史を調べれば調べるほど、 「十字架につけられたイエス様は、本当によみがえられたお方である」 ということがわかります。

十字架につけられたイエス様は、本当によみがえられた! この証言は、何らかの作り話でもなければ、 何らかの誤解でもありません。 それは歴史的事実、真実なのです!

「三日目に死人の内よりよみがえり」とあるように、 金曜日に十字架で死なれ、葬られたイエス様は、 三日目、日曜日の朝、 死人の内よりよみがえられたのです。

このことを覚えて、ユダヤ人キリスト者でさえも、 週の最初の日、日曜日に集まって、イエス・キリストを礼拝することを始めました。

それから2000年間、キリスト者は時代を超えて日曜日を「主の日」と呼んでいます。 そして全世界のキリスト者は、毎週日曜日ごとに教会堂に集い、 今も生きておられる主イエス様を礼拝することから、一週間を始めています。

「イエス・キリストの福音」は、死の問題にも解決を持っています。 イエス様は死に勝利されて、今も生きておられる。 そのことの故に、死の向こうにも、確かな希望があるのです。

イエス様は、やみの中に輝き続けている世の光です。

「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。 ここにはおられません。よみがえられたのです。… (ルカの福音書24章5−6節)

(野町)


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Last-modified: 2019-05-16 (木) 15:50:04