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あなたはパッションをご覧になられたでしょうか?パッションは娯楽映画ではありません。けれども、メル・ギブソンのパッション(情熱)が溢れている映画であることは間違いありません。お勧めの映画です。

ぜひ感想などをお聞かせ下さい。

人の弱さ

やっさん? (2004-09-20 (月) 10:15:17)

この映画でイエスをメシアとして崇めようとしていた人たちが、去り弟子達も遠くから眺めているだけで自分が弟子であることを名乗ろうとしないような人間的の弱さを示していました。日常生活でも権力を持っている人にはこびへつらい、自分に良くしてもらもらおうと必死ですが、その人が権力を失ったように見えた時、去ってゆきます。この映画でもイエスを崇めていた人たちもイエスが力を失ったように見えた時、去ってゆきました。しかし、イエスが神であることを疑っていた人たちもイエスの死によって、自分の弱さに気がついたように描かれていました。良い映画でした。VHS英語版を買い一人で見ましたが、夜中に一人で泣いていました。

  • VHS英語版が出たんですね。DVDが出たらぜひ購入しようと思っています。人間の弱さと神の強さということを改めて覚えます。 -- のまちゃん? 2004-09-20 (月) 20:19:02
  • DVDは今年の12月23日発売だそうです! -- のまちゃん? 2004-10-09 (土) 21:03:56

今日の映画に見る救世主

野町真理? (2004-07-01 (木) 16:13:06)

パッションという映画を見て私が感じたこと。それは、罪人を救うために十字架にかかるということは、勇敢な心、体力、精神力、霊力、そして何よりも愛と情熱(パッション)が必要なのだということでした。

 今日の映画では、様々な救世主の姿が描かれています。最近では、マトリックスのネオが記憶に新しい存在でしょうか。マトリックスに描かれている救世主ネオは、超人的な力を持ち、自分のいのちを犠牲にして人々を救わんと闘います。そのような姿にも、わずかながら本物の救世主の影を見ることが出来る。そう私は思っています。

 けれども、映画パッションに描かれているナザレのイエスは、本物の救世主(メシア、キリスト)、影ではなく本物の救い主なのだということを改めて覚えています。ゲツセマネの園で、まず祈りにおいて勝利された主イエスは、武力によってではなく愛の力によって、救いの道を切り開いて下さったからです。

シーン回想

雷の後、イザヤ53章5節の御言葉

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

ゲツセマネの園でもだえ苦しみながら祈られる主イエス(ここから始まる12時間)

 アラム語で「アドナイ!アッバ!」

 サタンのことば

 サタン・蛇の頭を踏み砕く主イエス。まず祈りにおいて勝利された主イエス。

ユダに銀貨が入った袋が投げ渡される−スローモーション

捕えられる主イエス

 剣を取る者はみな剣で滅びます。

 逃げていく弟子たち

ユダヤ人指導者たちの悪意ある茶番議会

3度主を裏切ったことを告白するペテロ

イスカリオテ・ユダを自殺へと追い詰めるサタン

ポンテオ・ピラトの前で

 真理とは何だ?私にとっての真理とは…

ヘロデの前で

再びピラトの前で

 イエスを死刑にすることを求め続ける人々の声。

 「父よ!心は整っています。」−鞭打たれ血みどろになる主イエス

 血潮をタオルで拭うマリアたち−回想

 それでもイエスではなくバラバを釈放せよ!

 イエスを十字架につけることを求め続ける人々の声。

 水で手を洗うピラト−弟子たちの足を洗われた主イエス

ビア・ドロローサ

 十字架を背負ってカルバリの丘に向かわれる主イエス

 群集の中から主イエスの苦しむ姿を冷笑しながら見つめるサタンの姿

 むりやり十字架を背負わされるクレネ人シモン

 共に十字架を背負うという歩み

 変えられるクレネ人シモン

 躓き倒れる主イエスに走り寄る母マリヤ−幼い主イエスが躓き倒れたシーンの回想と共に

 すべてが新しくなるための苦しみ

十字架刑

 両手両足に打ち込まれていく釘。したたり落ちる血。

 父よ!彼らを赦して下さい。彼らは何をしているのかわからないのです!

 エリ!エリ!ラマサバクタニ!(わが神!わが神!なぜわたしをお見捨てになったのですか!)

 完了した!

天から落ちてくる父なる神の涙

主イエスをじっと見つめ続ける母マリア「イエシュア!」

嘆き叫ぶサタンの姿

復活された主イエスの力強い横顔と歩み。そして釘のあと。

使徒ヨハネがヨハネの福音書やヨハネの手紙などを書くことが出来た理由

 映画「パッション」の受難ストーリは、ヨハネ福音書をベースにして映像化されています。

 映画の中で使徒ヨハネは、イエス様の受難の姿を、最後までマリアと共にそば近くで見つめ続けます。受難の主をそば近くにいて見つめ続けたということが、ヨハネの福音書やヨハネの手紙などを書き記すことが出来た理由だと覚えさせられました。

Jesus


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Last-modified: 2019-05-16 (木) 15:57:24