不協和音

Sat, 12 Feb 2005 12:52:42 JST (4635d)

創世記

 エデンの園の中央には、特別な2本の木がありました。

 いのちの木と、善悪の知識の木です。

 神様は、「園のどの木からでも、 実を思いのまま食べていいよ。いのちの木からも食べていいよ」とおっしゃいました。

 けれども、たった一つだけ、禁断の木の実がありました。

 それは、善悪の知識の木の実でした。

 神様は、「善悪の知識の木からは取って食べてはならない。もしその実を取って食べるなら、あなたは必ず死ぬから。」と警告されたのです。

 けれども私たち人間は、悪魔の誘惑に負けて、この禁断の善悪の知識の木の実を食べてしまいました。

 そして、その時から、不協和音が全地に響き渡るようになったのです。

 聖書では、善悪の知識の木の実を食べたことが罪の始まりであると語っています。

 善悪の知識の木とは、善悪を判断するものさし・基準を意味していました。

 善悪の知識の木の実を食べないということは、何が善で何が悪かを判断する基準が神にある生き方をするということでした。

 しかし、善悪の知識の木の実を食べるということは、自分勝手な善悪の基準・ものさしを持って生きることを意味していました。

 つまりそれは、神を基準とする生き方をやめて、自らを基準とする生き方、つまり、自らを神として生きる生き方を選んだということでした。

 神を神としないで、自らを神として生きること。それを聖書では罪と言っているのです。

 むなしさ、孤独、不安、いらだち、絶望、死。それらすべてのものを、私たちは罪を犯すことによって、自らの人生の中にもたらしてしまったのです。

 いまでも世界中で、その不協和音は鳴り続けています。