日本的思惟とはー土居健郎著『「甘え」の構造』からの考察

Wed, 27 May 2009 09:33:45 JST (3070d)

日本的思惟とは

土居健郎はその著書『「甘え」の構造』において、日本的なもの、つまり日本的思惟を一言で表現するキーワードは「甘え」という言葉であることを論じている。

 土居によると、日本的思惟の特徴は非論理的な甘えの心理である。そこでは自己と他者との境界を消し去り、情緒的に自他一致の状態をかもしだすということが生じる。甘えの世界ではすべての他者性が消失し、同一化、あるいは摂取が行われる。甘えは相手との一体感、連続性を求めるのである。

それゆえに日本人の求める神は非常に母性的な包む神である。天皇信仰と祖先崇拝はいずれも甘えの葛藤の彼岸にある者を神と呼んでいる。そして、天照大神も女神なのである。ここに日本人の神観の本質がある。天皇制は、「異教」の本質としての「民族や学問や《人格性》や徳などの神格化(Apotheose)」を最も典型的に表明するものであるとのバルトの理解は非常に鋭い。

 日本政府による、教育勅語、日の丸、君が代を用いた、天皇を神格化し、天皇に絶対献身するための教育が、この日本的思惟を著しく強めるために用いられたことも見逃すことのできない事実である。それは教育と情報操作という両輪によって行われた国家レベルのマインドコントロールであったといっても過言ではないと思われる。これによって、「日本のため(国のため)にしたかどうか」という絶対的な価値判断基準が個人の中に根付いていったと考えられる。

 『日本基督教団より大東亜共栄圏にある基督教徒に送る書翰』によって提示されている問題は、第一戒、最も大切な戒めの問題である。この「神を神としない」、「基督を主としない」という罪の根によって、日本の基督教会が天皇教会へと変質し、傲慢・虚偽・怠惰を身にまとっている姿がここに明らかにされている。