責任転嫁

Thu, 01 Mar 2007 13:10:47 JST (3675d)

創世記

責任転嫁」 という言葉があります。

この言葉は、「罪過や責任などを他のものになすりつけること」を意味します。

責任が嫁に転じられると書くので、もともとは嫁と姑の関係からつくられた言葉だと思います。 責任をなすりつけられた嫁が、怒ってつくった言葉でしょうか?^・^ でも、これがなかなか、自分にも深く染み付いている行動パターンだとつくずく思います。

誰かから自分の気づかなかった点を指摘されたり、 あるいは、自分の過ちを指摘された時、 反射的に自分を守ろうとして、責任を他のものになすりつけてしまう…。 自分ではなく、誰か他の人のせいや、まわりの環境のせいにしてしまう…。 そして素直に自分の過失や罪を認めようとしない…。

創世記3章の記事は、そのような自分の中の醜さ、本当の自分を映し出す鏡のようです。

神様が食べてはならないと命じていた善悪の知識の木の実。 それを蛇(すなわち悪魔)にそそのかされたとはいえ、エバとアダムは食べてしまいました。

それは、明らかにエバとアダムが、それぞれ自分の責任において犯した過ちでした。

まず神様は、夫であるアダムにその罪の責任を問われます。 (家庭において、すべての責任は妻にではなく夫にあると聖書は教えています)

しかし、そのとき夫アダムは、こう神様に言い返すのです。

「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」創世記3章12節

一見すると、「この女が」と言っているので、夫アダムが妻エバに責任をなすりつけているのかと思います。

けれどもよくよく見ると、「あなたが私のそばに置かれたこの女が…」とアダムは言っています。

つまり、アダムは、「神様、あなたが悪いんですよ!こんな女を私のそばに置かれたあなたが!」と主張していることに気付きます。

なんとアダムは、自分の責任をぜんぶ神様になすりつけようとしたのです。

これが、私自身の姿であり、すべての人間の姿でもあると私は思います。

エバも似たように、蛇に責任をなすりつけますし、 アダムという名前は、人間を意味する言葉なのですから。

あなたは、どう思われますか???