聖霊によりてやどり、おとめマリアより生まれ

Sat, 12 Feb 2005 12:52:35 JST (4635d)

私たち日本人が無意識に使ってしまう表現に、「子どもをつくる」という表現があります。 けれども決して、子どもは両親によってつくられるわけではありません。

世の中には、子どもを切に願っていても与えられない方がたくさんいます。 子どもは親がつくろうと思ってつくれるものではないのです。

このことを真剣に理解しないと、子どもをまるで自分の所有物のように思ってしまったり、 「あなたは望んでいなかったのに、避妊に失敗して、中絶もしなかったから生れてきたのよ!」 というような言葉を、平気で自分の子どもに浴びせ掛ける、鬼のような親になりかねません!

天地の造り主であり、全能の父なる神様だけが、子どもをつくることができます。 そして、生れてくるということは、決して偶然でも、両親の意思によることでもありません。 すべての人は、私たちの天の父なる神様が望まれた故に、愛されるために生れてくるのです。

いのちはもちろんですが、性を与えてくださったのも、私たちの天のお父さんなのです。 そして、私たちの天の父は、性を以下の2つの目的のために与えてくださいました。 それは、「結婚関係の中で喜び楽しむため」、そして「子どもを預ける手段」です。

性はいのちと深く関わっていて、全人格的なものです。 性を結婚関係以外で用いることは、罪であると聖書ははっきり語っています。

なぜなら、不倫、婚前交渉、援助交際、フリーセックスは、 自分と自分の家族だけでなく、相手とその家族までも確実に不幸にするからです。

結婚関係以外での性を用いることは、信頼を破壊する道であり、無責任な生き方しか出来ない道です。

真の神であり真の人であったイエス様は、 おとめマリアより、肉体を持った人間の赤ちゃんとして生まれて下さいました。

男性の介入(人間の業)によらず、ただ聖霊なる神様の業によって、 イエス様は処女マリヤの胎に、肉体を持ってやどり、生まれて下さったのです。

それが2000年程前、世界で最初のクリスマスに、 ベツレヘムという小さな町の家畜小屋の中で起こった驚くべき出来事でした。

それは私たちを罪と欲望の奴隷から解き放って、 本当の幸せの中に、完全な罪の赦しの中に生かすためでした。

「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」 (使徒の働き16章31節)

(野町)