教会と国家−水草修治

Sat, 26 Sep 2009 08:47:00 JST (2796d)

目次

2006年4月18日訂正版 (第一章と第二章が訂正されました)

2009年9月 改定 (第一章と第二章が改定されました)

はしがき

 「祈りと聖書と教会生活という福音的クリスチャンの普通の信仰生活の延長線上に無理なく『教会と国家』が見えてくる、そんな本が必要だなあ。」というのが本書執筆の動機である。「教会と国家」問題について書かれた学問的にすぐれた書物や研究は数多い。けれども、筆者には「普通の信仰生活」からシフト・チェンジしないと理解できないという感じがあった。そこで、本書は各章ごとに最初に聖書の解き明かしによってクリスチャンとしての視点を確認し、その視点から「教会と国家」についての歴史的事例を少々提示することにした。

 第一章と二章は国家と教会に関する聖書の基本的教えである。第三章は、教会が過去の自らの歴史を扱う上で避けて通ることのできない、戦前・戦中の教会と現代の教会との関係を理解するための聖書の教えである。第四章は、この問題を実際的に考え行動するときにかならず直面する「自由」と人権の問題にかんして聖書と思想史の観点から説明している。筆者の小さな経験では、福音的クリスチャンが「教会と国家」の問題にかかわるときに混乱を感じるのが、この「自由」の問題である。

序 戦時下のCS教案

 戦時下の日本のプロテスタント教会では、二月十一日の紀元節(今でいう「建国記念の日」)を前にした主の日、次のような教会学校教案が用いられたことがあった。

「紀元節(有難いお国) [金言] 義は国を高くし罪は民を辱しむ。(箴言十四・三四) [目的] 1.紀元節を目前に控へ、祝ひの意味を判らせる。 2.正義の上に立って居る祖国を知らしめて童心にも、日本の子供としての自重と、神の御護りによってこそ、強くて栄えることの出来ることを知らしめる。 [指針]   皇紀二千六百二年の紀元節を迎へ、今日、展開されて居る大東亜戦争の使命を思ふ時、光輝ある世界の指導者としての日本の前途は、武器をもって戦ふより、遥に至難な業であることを痛感するものであるが、手を鋤につけた以上、万難を突破して完遂せねばならぬ唯一の道でもある。  翻って子供を見る時、小さい双肩に、重い地球が負はされて居る様にさへ感ずる。今こそ、揺るぎない盤石の上にその土台を据えねばならない時で、吾等に負はされて居る尊い神の使命である。祈って力を与へられたい。 [教授上の注意]  大和の橿原神宮の御写真か絵及びその時代の風俗を表はす絵、金鵄勲章の絵か写真などを用意して見せてやり度い。時間があれば勲章を作らせてもよい。(後略)」

 これは「皇紀二千六百二年(西暦一九四二年、昭和十七年)二月号」の『教師の友』(日本基督教団日曜学校局)に記されたものである。真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発したのが前年の十二月八日のことである。あの時代がいかに異常な時代であり、国家神道がキリスト教会をもいかに深くまでむしばんでいたかということが伝わってくる。この教案がどの程度そのまま用いられたかは定かではないが、少なくとも教会学校教師たちはこれに基づいて子どもたちに神社参拝を奨励し、日本の子どもとしての戦意高揚がはかられたのである。当時は、教会の礼拝堂のなかにまで神棚を設置することが強要され、牧師の説教は官憲にチェックされるというきわめて異常な状況であった。

 ちなみに、紀元節というのは、天照大神の子孫である神武天皇が、九州の高千穂の峰に高天ケ原から降臨した後、東へ東へと攻め上って大和の橿原で初代天皇として即位した日を2月11日として記念する祭りであった。敗戦後、紀元節は一九四八年(昭和二三年)軍国主義天皇制の象徴であるこの祝日は廃止されたが、一九六六年(昭和四一年)多くの反対を押しきって「建国記念の日」として復活させられた。

 「私は政治には関心ありません」という青年クリスチャンもいるだろう。「クリスチャンとして神の御前に歩むということと、国家の問題とは関係ない。」と思ってきた人もいるだろう。「宗教家が政治のことを口にするのは好ましくない。弓削の道鏡のようになりかねない。」と眉をひそめるご年配もいらっしゃるかもしれない。しかし、この教会学校の教案の一ページを見れば、クリスチャンとして神の御前に忠実に歩むということは、国家の問題をから目をそらしてはありえないということを誰しも認めないではいられないのではないだろうか。

 使徒信条に「(主は)ポンテオ・ピラトの下に苦しみを受け」とある。あえてローマ総督ピラトの下で主キリストが苦しみを受けられたと告白されるこの一句は、主のみからだなる教会とこの世の権威との問題ある関係を暗示している。教会と国家の問題ある関係は、聖書全巻と主の再臨の日までの歴史を貫く問題の一つなのである。教会がこの世界に生きて行く上で、国家の問題は避けて通ることができないのである。

 本書の意図。この種の書物は一般的にいって、靖国問題を焦点とする民族主義勢力の動きに警戒して書かれてきたものであろう。本書にももちろんそうした意図があるのは事実であるし、取り扱う事例にも過去の日本の国家主義の問題とその時代の教会を扱ったものが多い。実際、靖国問題への聖書的視点の確認ということに、この本が少しでも役に立てばと願っている。しかし、筆者としては特に、敬虔な態度で聖書に親しみ隣人の救いのために日夜祈っている、普通のクリスチャンの兄弟姉妹にこの本が読んで頂けることを願っている。国家の問題というのは、信仰生活と別物ではないことがわかっていただけ、このためにも祈りの手を上げていただけるようになることを期待するからである。

 主は、再臨が近づく「産みの苦しみ」の時代に「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がる」と予告された。民族主義・国家主義が勃興するときキリスト者として教会としてかつてのように道を過ってはならない。サタンがどのように国家を操ろうとしているのか、策略を見抜くことが必要である。また、再臨直前には自ら神と称する「不法の人」が統治する獣の世界的全体主義国家が出現するとも聖書は言う。時代がへだたり地域は異なっても、全体主義の構図は変わらないことを聖書は語っている。だから聖書の光で、過去の特に明治以降の日本の近代史における国家と教会の問題を照らし出すなら、私たちは主の再臨によき備えができると思う。

 本書は「聖書から見た『教会と国家』」を副題とした。筆者はあくまで聖書の視点にこだわり、教会と国家の問題を理解しようとした。現代人にとって常識である啓蒙主義的な自由の理念をも、あえて聖書の視点から見直すことを企てた。すべてが移り変わるなかにあって、ただ聖書のみが変わることのない神のことばと信じるからである。

「また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。」黙示録十三章一節

一九九七年二月 筆者

第一章 上に立つ権威の務め

 国家とはいったい何か。何のために国家は存在しているのか。

1.国家の権威(ローマ書13:1−7)

(1)近代の二つの世俗的国家観

 近代の世俗の神を抜きとした国家観には、主権は人民に由来するとする人民主権説と、主権は国家にあるとする国家主権説とがある。前者はルソー(1712-78) の説、後者はヘーゲル(1770-1831) らの説である。大日本帝国憲法は国家主権説に立つが、そのなかでも憲法解釈上で天皇の位置付けにおいて絶対君主制の立場と、立憲君主制の立場という幅がある。この幅は、帝国憲法第一条に重点を置いて解釈する天皇主権説と、第四条に重点を置く「天皇機関説」の違いとして現われた。国家主義強まる世相において、後者を主張した美濃部博士が不敬として非難されたことは周知のとおりである。  帝国憲法 「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 「第四条 天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ此ノ憲法ノ条規ニ依リテ之ヲ行フ」

 他方、日本国憲法は人民主権説に立つ。 日本国憲法 「序文 ここに主権が国民に存することを宣言し・・・」 「第一条 天皇は日本国の象徴であり日本国民の統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

(2)聖書の国家観

 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば、支配者からほめられます。それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。」 (ローマ13:1−6)

a.神が「上に立つ権威」を立てた

 ローマ書13章で「上に立つ権威」と呼ばれているのは、文脈上、剣を帯びた権威であり、税を徴収している権威である(ローマ13:4、6)。つまり、当時、ローマ書が執筆された時代でいうならば、「上に立つ権威」とはローマ皇帝を頂点とするこの世の支配機構のことである。当時ローマ皇帝はもちろんキリスト教徒ではなかったし、帝国はキリスト教を国教としていたわけでもなかった。むしろローマ神話の神々を祀っていたのが、当時の帝国であった。それにもかかわらず、聖書はこの世で「上に立つ権威」は、神によって立てられたものであるというのである。父なる神は、いっさいの権威を、今、すべて御子キリストに委ねられているのであるから、キリストがこの世の「上に立つ権威」を立てていると言ってもよい(マタイ28:18、エペソ1:20,21)。キリストの主権には広義の普遍的主権と、狭義の教会的主権がある。

 人民主権でも、国家主権でもない。全宇宙の絶対的主権者はキリストである。

「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者のなかからよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上 に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。」(エペソ1:20,21)

 そして、キリストは教会には霊的領域における派生的主権を(マタイ16:18;18:18)、国家には国民の福祉と悪の抑制を目的として世俗的領域における派生的主権を(ロマ13:1-7)、それぞれ依託された。

b.国家(剣の権能)の始まり

 ローマ書がいうように神が上に立つ権威を立てたというのは、どのような意味なのか。「神が立てたのだから王は絶対的なのだ」という理解ならば、17世紀イギリス絶対王政時代の「王権神授説」である。だが異なる解釈も可能である。「神が立てたのだから、王が神に従っているならば人民は王を尊重する義務があるが、王が明白に神に背いている場合は人民はこれを廃位させることも許されているのだ」と。このように解釈したピューリタンたちはそれで革命を起こした。

 ナチスに支配された時代、ドイツでは国家は「創造の秩序」に属する神聖なものであるとされ、国家のために家庭も職場も教会もあるとされた。日本においても戦前は、教育勅語にいうように天皇制国家にあってすべては天皇を中心とする国体のためにあるとされた。国家あっての国民であり、国家あっての家庭であり、国家あっての信仰生活であるという考え方である。

 「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ 明治二十三年十月三十日   御名御璽」

   創世記によれば、国家は創造の秩序に属してはいない。創世記1,2章によれば、創造の秩序は、神礼拝と家庭と仕事の三者である。剣の権能としての国家の起源はノアの洪水後の創世記9章に見ることができる。

「 わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。 人の血を流す者は、 人によって、血を流される。 神は人を神のかたちに お造りになったから。」創世記9:5,6

 そもそも剣の権能としての国家は堕落以前には不要であった。国家は人類が堕落して好き放題する傾向が生じてしまったゆえに、立てられた必要悪の制度なのである。国家というものは、確かに神が立てたしもべであるゆえに、これを重んじるべきである。けれども、国家主義者が夢想するように、それ自体が目的とされ、道徳の淵源とされるようなものではなく、神礼拝と家庭と仕事という民の生活が安全に行なわれるという目的のために仕える手段(道具)にすぎないのである。

c.委託された主権

  しかし、ローマ書の書かれた時代には、皇帝や総督たちは聖書など読むことはなかった。それどころか古代の王は多くは異教の神々に仕える祭司王であったり、自ら神と名乗る現人神であるばあいもあった。それでも、彼らはキリストから派生的主権を委託され、事実そのように働いていると御言葉は主張するのである。キリストを認めないこの世の権威が、キリストが与えられた務めを果たしているというのは、主の摂理的支配によるといえよう。しかし、国家権力者も罪人である以上、それは完全ではないし、許しがたい暴走をすることもある。そういうとき、国家権力は神が委託した主権を正しく行使していないことになる。その場合、神はその権力者に託した主権を取り上げてしまわれる。

 キリストが霊的主権を教会に、この世の主権を国家に委託されたという委託主権説は、必ずしも国家主権説や人民主権説と矛盾しない。絶対君主制、立憲君主制、共和制、民主制はもちろん、無神論的な共産制においてさえ、その主権者の自覚の有無にかかわらず、彼らは神のしもべである。実際ローマ書が書かれた時、「上に立つ権威」として君臨していたのは、あの皇帝ネロであった。このような立場であるからこそ、教会はいずれの時代にも、いずれの地域にも福音を伝え、したたかに生きてくることが出来たと言えよう。

(3)現代日本の世俗領域における権威の序列

 では、我々は現代の日本における世俗的領域における権威の序列をどのようなものとしてとらえるべきであろう。

 まず憲法と「国民の総意」の関係について。日本国憲法序文に「ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」とある。また、日本国憲法の公布者である天皇の序として「日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを云々」とある。「新日本建設の礎」といわれているのは、いうまでもなく新憲法のことである。したがって、新憲法と「国民の総意」との権威における両者の上下関係は、「国民の総意」が憲法の上に位置すると言える。それは、憲法改正が「国民の総意」に基づいて可能であることからも明らかである(憲法代九十六条参照)。歴史的経緯からいえば国民の代表からなる憲法制定会議によって憲法が定められたのではなかったにしても、形式論として憲法は「国民の総意」に基づいたとされる。

 日本国憲法はGHQからの押し付け憲法であると主張し、自主憲法制定をすべきであるという勢力がある。実際、日本国憲法がGHQの用意した原文が英語の憲法草案の翻訳ものであるということは広く知られた事実である。しかし、彼らは日本国憲法の最大特徴の一つである第九条戦争放棄条項が、日本の首相幣原喜重郎の発案であることを知らないのだろうか。また、この憲法が発布されたとき、日本国民はこれを喜んで支持したという事実を知らないのだろうか。いや、知っているが知らないふりをしているか、過小評価しているように思われる。

 一九四六年一月二十四日正午、幣原首相はマッカーサー元帥を訪ね、約二時間半会談をした。この会談の内容について、マッカーサーは一九五一年五月五日の米国上院軍事・外交合同委員会聴聞会で証言をしている。少し長くなるが引用しておこう。

「日本の首相幣原氏が私の所にやって来て、言ったのです。『私は長い間熟慮して、この問題の唯一の解決は、戦争をなくすことだという確信に至りました』と。彼は言いました。『私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談にきました。なぜならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし、私は今起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです。』と。  それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それは取られ得る最高に建設的な考え方の一つだと思う、と言いました。世界があなたをあざ笑うことは十分にありうることです。ご存知のように、今は栄光をさげすむ時代、皮肉な時代なので、彼らはその考えを受け入れようとはしないでしょう。その考えはあざけりの的となることでしょう。その考えを押し通すにはたいへんな道徳的スタミナを要することでしょう。そして最終的には彼らは現状を守ることはできないでしょう。こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。そしてその憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。」

 この会談については、日本側からの証言もある。幣原首相の友人枢密顧問官大平駒槌は「(幣原首相は)かねて考えた世界中が戦争をしなくなるには、戦争を放棄するという事以外にはないと考える、と話し出した。ところが、マッカーサーは急に立ち上がって両手で手を握り、涙をいっぱいためて、そのとおりだ、と言い出したので、幣原はちょっとびっくりしたらしい。」と回想している。

 幣原首相は外相時代、平和外交の旗手であった。ところがその後、日本は中国において「自衛」と称して侵略を続け日米開戦にまで暴走してしまった。その苦い経験に基づいて、明瞭な戦争放棄が必要と考えたのだろう。また国体護持のためには、これ以外道はないと考えたという観測もある。他方、軍人マッカーサーは太平洋戦争の残酷さを経験し、かつ核兵器の登場という事態を見て戦争の廃止以外には人類を滅亡から救う道はないと思い至ったのである。彼が日本を武装解除することの都合から芝居を打ったのではないことは後年、彼が米国上院で戦争廃絶を強く訴えたことからわかる。

 新憲法最大の特徴の一つである憲法第九条戦争放棄条項はメイド・イン・ジャパンである。この事実は知っておく意味がある。

 さて、立憲主義とは、<憲法は国のために民を縛るものではなく、民のために国を縛るものだ>ということを意味している。立憲主義は、歴史的には13世紀英国でジョン王の悪政に抗し、諸侯が団結して王に認めさせたマグナ・カルタ(大憲章)に始まる。日本国憲法第99条にも、憲法が国家公務員を縛るものだということが明記されている。

「第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

 為政者をしばる法という思想は一応マグナカルタに始まるが、原型は古代オリエントの時代からあった。例えば、申命記17章18から20節には、王が律法の下に置かれていることが明言される。あるいは、異教国家であってもダニエル6:8以下には一旦制定された法は、たとい王であっても変更できないことについて「メディヤやペルシャの法律のように」と言われている。それはさておき・・・。

 次に、天皇と憲法と「国民の総意」の位置である。

「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。」

 したがって、「国民の総意」の下に憲法があり、憲法によって天皇の地位は定められているのであるのであるから、上から「国民の総意」−憲法−天皇という順になる。

 次に、天皇ともろもろの国家機関の関係について。

天皇は憲法の定める国事行為を内閣の助言と承認を経てのみ行えるが、国政には権能を持っていない(第四条)。

 したがって、天皇は国家機関のうち国事に携わり、立法・司法・行政という国政に携わる他の国家機関と役割を分担しているといえる。

 こういうわけで、現在の我が国の世俗領域における権威の序列は上から、「国民の総意」−憲法−国家機関となる。こうして見ると、国民主権の我が国においては、まさに国民が一番上の権威であるように思われる。

 しかし、国民主権というのはある程度フィクションである。というのは、国家機関は合法的に個々の国民に強制力をもって、国民としての義務を与えることができるし、義務に背けば処罰することもできる。どうしてこのような「逆転」が起こりうるのか。単なる国家権力の横暴ということではなく、合法的にこのようなことがなされうるのはなぜかを言っているのである。ここには、「国民の総意」が具体的にどのようにして行使されるのかという手続きがある。個々の国民の主権は、具体的には合法的方法によって選ばれた国民の代表によって立てられた者たちに依託され、彼らが「国民の総意」を国の政治に反映することになっている。したがって、国民の代表者たる国家機関に背く個々の国民は、「国民の総意」に背くことになる。こういうわけで、現実的に日本の世俗領域における権威の序列を上位から示すと、次のようになる。

1. 国民の総意

2. 憲法

3. 国家機関(天皇を含む)

4. 個々の国民

 したがって、日本国憲法の下においては、我々は国民として二重の位置を占めていることになる。すなわち、最上位の権威である「国民の総意」に参与しているという立場と、個々の国民として国家機関の下位における立場の両方である。したがって、我々は自分自身が「上に立つ権威」であることにともなう責任と、権威の下に置かれている者としての責任との両面を認識し実践しなければならない。

 以上のように説明すると、なんだか難しいことのようだが、実際にはそうでもない。このことを理解するには審判のいるスポーツ・ゲームたとえばバスケット・ボールのことを考えるとよい。みなでゲームをしようとするとき、参加者の総意に基づいてゲームのルールを立てる。そして、ルールにしたがって審判を立て、審判はルールにしたがってゲームが進むように、参加者を導き反則は取り締まる。参加者一人一人は審判にしたがう義務がある。こうしてゲームを進めるうち、どうしてもゲーム進行がうまくいかない場合は、参加者全員の意向が反映するように注意しながらルールを修正するということもありうる。この話で、ゲームの参加者は国民に当たり、ルールは憲法にあたり、審判は国家機関に当たるわけである。

 参加者は基本的には審判の権威の下にあるので審判に従わねばならない。が、どうしても納得いかないときには、審判の上の権威であるルールに照らして審判に抗議をする。つまり、審判がルールにしたがっていないではないかというわけだ。審判がルールにしたがっていて、なお納得いかないというならば、ルール自体を修正しようということになるだろう。ルールの修正には、参加者全員の総意が必要がある。このような意味で、国民は原則として国家機関の下にあるので国家機関に従うべきである。もし国家機関が憲法に従っていないならば、憲法に照らして国家に抗議をすることができる。さらに、憲法自体が問題であるということになれば、「国民の総意」としてこれを修正するということになるわけである。このように国民である私たちには、「国民の総意」にかかわる上に立つ主権者としての立場と、個々の国民として上にある権威に従う者としての立場があるわけである。

2.「上に立つ権威」の務めの限界

 次に使徒パウロは上に立つ権威の二つの基本的務めについて述べる。一つ目は剣の務めである。「それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。彼らは無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神にしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。」(四節)剣の務めとは、この世界に悪者がはびこるのを抑制するための警察や裁判所の働きである。国境警備という範囲での自衛ということも、この剣の務めの範囲に含まれるであろう。

 もしこの世が政府も法律もない自然状態であれば人間はどうなるだろうか。ルソーは人間について楽観的な見方をしていたので、自然状態のとき人間は共感の情をもって助け合っていたと考えた。そして、自然法と呼ぶ成文化されていないが人間の心に刻まれた法が支配していたと考えたのである。一方、ホッブズ(1588-1679) は、人間を自然状態に放置すれば、自己保存、自分の欲望のままにふるまう<万人の万人に対する闘争>のような状態になってしまうと考えた。ホッブズの考え方では、自然法は支配していなかったということになる。

 聖書のいうところはルソーやホッブズのように一面的ではない。聖書は、律法を知らない異邦人であっても「律法の命じる行いが彼らの心に書かれている」と語っている(ローマニ:十五)。いわゆる自然法にあたるものといってよいだろう。けれども、心に書かれている律法の行いを実行できずに、「彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。」(同)というのである。良心の律法はあるにはあるけれども、これを実行できないで良心に呵責を感じながら生活をしているのが異邦人の状態であるというのである。そして、人間の良心は罪を重ねるうちにだんだんマヒして腐っているとも聖書は鋭く人間の現実をえぐりだす。

 そういうわけで、人間は、良心に呵責をおぼえながらも、みな例外なく堕落して自己中心の罪人になってしまっているから、一面、ホッブズのいうように<万人の万人に対する闘争>のようなものなのである。たとえば敗戦直後の焼け跡に警察も機能していない時代には、******が好き勝手を行なったように。警察や法律や裁判所がまったくなければ、この世には悪が蔓延して地獄のようなありさまになってしまう。しかし、一面、警察や法律や裁判所が造られて人々が支持するのは、人間のうちに正義への求めが残されているということでもある。もし人間がいっさい正義への求めなど感じないまでに悪魔的に良心も腐敗しきっているならば、警察も法律もいらないということになろう。このようなわけで、神は「上に立つ権威」に対して第一に悪を抑制するという務めをお与えになった。

 神が「上に立つ権威」にお与えになった務めの二つ目は徴税である(6、7節)。税金を集めるのはなんのためかといえば、富の再配分のためである。政府がなく税金という制度がなければ、金持ちはいよいよ富んで、貧しい者はいよいよ貧しくなり、貧富の差は甚だしくなる一方であろう。そこで、神は「上に立つ権威」に、金持ちからはたくさん集め、貧しい者からは少し集めて、これを公的に使用することにより、不平等を抑制することを計画されたのである。

 こういうわけで、「上に立つ権威」に神がお与えになった務めとは、基本的に二つである。一つは警察・司法をもって悪を抑制し社会の秩序を維持すること。もう一つは、社会の不平等・不公平が行き過ぎないように抑制することである。

 注目すべき点は、国家という権威に託されている務めは、外的・物質的なことがらに限られているということである。言い換えると国家の権威は国民の心のこと、思想や宗教についてまでくちばしをつっこんではいけないのである。

 さて、こうした観点から『使徒の働き』に登場するガリオというローマからアカヤに派遣された総督について評価してみよう。

十八章十二節から十七節

「ところが、ガリオがアカヤの地方総督であったとき、ユダヤ人たちはこぞってパウロに反抗し、彼を法廷に引いて行って、『この人は、律法にそむいて神を拝むことを、人々に説き勧めています。』と訴えた。パウロが口を開こうとすると、ガリオはユダヤ人に向かってこう言った。『ユダヤ人の諸君。不正事件や悪質な犯罪のことであれば、私は当然、あなたがたの訴えを取り上げもしようが、あなたがたの、ことばや名称や律法に関する問題であるなら、自分たちで始末をつけるのがよかろう。私はそのようなことの裁判官にはなりたくない。』こうして、彼らを法廷から追い出した。そこで、みなの者は、会堂管理者ソステネを捕え、法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、そのようなことは少しも気にしなかった。」

 ローマ帝国が地中海世界を統一していた状況のなかで、ユダヤ人たちは世界中に散らばって生活をし、それぞれの地域に会堂を造り伝道していた。当時ローマ帝国はユダヤ教に対しては寛容で、保護政策を取っていた。キリスト教が始まった当初、ユダヤ教の一種であるとローマ帝国にはみなされていたので、キリスト教も自由に伝道することができたのある。

 そのことがユダヤ教当局には気にいらなかった。そこで、ガリオがローマからの総督としてアカヤに派遣されていたときに、ユダヤ人たちは使徒パウロをガリオの法廷に連れてきた。ガリオという人物は、あの有名なストア派の哲学者セネカの兄にあたる。セネカはローマ皇帝の側近である。ガリオが紀元51年から53年にかけてアカヤの総督を務めたことが、デルフォイの石碑文に記録されている。

 さて、ユダヤ人たちがどうしてガリオの所にやってきたかというと、彼らは権力者の力によってパウロによるキリスト教伝道を禁止してもらおうという算段でやってきたわけである。ガリオは中央から派遣されてきている高官であるから、ガリオがキリスト教伝道禁止すれば、この地方だけではなくローマ帝国全体でキリスト教伝道を禁止に追い込めるだろうと考えたわけである。ユダヤ教当局として相当考えたうえでの訴えである。つまり、政治権力によってユダヤ教の有利を図ろうとしたわけだ。彼らは訴えた。

「この人は、律法に背いて神を拝むことを、人々に説き勧めています。」(13節)

 ところが、ガリオはこの訴えを却下した。宗教の教義に関しては、世俗の権力としては関知しない。教義上の議論ならば、君たちの間でやってくれということであった。そこで皆の者たちは、キリスト教に改宗した会堂管理者ソステネを捕らえて法廷の前で打ちたたいた。ガリオは、連中のことなど知るものかというわけで、「そのようなことは少しも気にしなかった。」とある。

 さて、私たちはこの問題に対してガリオが取った態度をどのように評価すべきであろうか。前半について見ると、ガリオの取った態度は正しかった。ガリオは宗教の教義の問題に立ち入ろうとはしなかった。そうしたことは、この世の権力者に与えられた職務範囲外であるとして、却下した。しかし、最後のところでは、ガリオの取った態度はまちがっていた。ガリオは、ソステネに対してリンチ的な暴行を働いた人々を、その暴行ゆえにさばくべきであった。

 宗教問題について、その教義についてこの世の権力が云々したり、礼拝について云々することは職務権限の外にある。しかし、オウム真理教のような宗教団体が暴行や殺人を働き、国家の転覆を計画するといった非合法活動をしたとことについては、この世の権力がさばくべき範囲にある。国は宗教の教義内容や礼拝のことがらを云々してはならないし、教義内容を検閲するような法律を法制化しようと企てるべきではない。破壊的団体については、国は刑法や民法を整備することによってこれを取り締まり処罰すべきなのである。

 国家について神の言葉がもとめるのは、神のしもべとして、積極的には悪を抑制し国民の平等・公正を図ることであり、消極的には「カイザルのもの」に満足し「神のもの」までもむさぼろうとすることがないようにということである。したがって、我々が国民主権主義のこの国において自ら「上に立つ権威」として、選挙や立候補や審査などを通して統治に参加する場合、このような統治を実現することを目指して、参与しなければならない。

 他方、国家機関という「上に立つ権威」の下に置かれている個々の国民としては、キリスト者は、「上に立つ権威」への服従と敬意とが基本的態度として求められる。ただし、国家が霊的領域への越権行為に出て信仰の良心にもとることがらを命じるばあいには、命令への不服従をもってキリストへの服従を表現するのである。

第二章 政教癒着と神のさばき

1.王の異教との癒着

1列王記12:25−33

「ヤロブアムはエフライムの山地にシェケムを再建し、そこに住んだ。さらに、彼はそこから出て、ペヌエルを再建した。ヤロブアムは心に思った。『今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。』  そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。『もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。』それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」

 古代イスラエル王国は紀元前一○五三年に始まり、初代の王はサウル、次にダビデ王が立つ。ダビデは都をエルサレムに定め、その息子ソロモンはエルサレムに神殿を建てた。エルサレムはイスラエルの信仰生活の中心となった。神の民イスラエルは、エルサレム神殿に定期的に参詣していたのであった。

 ところが、ソロモン王の死後、紀元前九三三年、王国は南北に分裂することになった。南北朝時代の始まりである。ソロモンの息子レハブアムは南ユダ王国の王となり、北イスラエル王国の王はヤロブアムとなる。南ユダ王国の都はエルサレム、北イスラエル王国は都をシェケムに定めた。

 ところが、北イスラエルの王ヤロブアムは自分の始めた王国の安全保障について不安があった。北イスラエル王国の国民は、南ユダ王国の都エルサレムへと神殿で祭りがあるごとに出かけてしまう。過越しの祭りや大贖罪の日などことあるごとに敬虔な民はエルサレムへと出かけてしまう。ヤロブアムはいずれ民心は自分を離れてユダの王のほうにいってしまい、自分は殺されてしまうのではないかと恐れた(26、27節)。

 国家の権威者というものは、先に学んだように、聖書によれば神が立てた神のしもべである。たとえ彼がまことの神を知らなくても、神はかれをしもべとして用いられる。その目的は、剣と徴税という世俗的な業務によって国民生活に悪と不平等を抑制し、秩序と安定とを与えることである。国家の統治者がいなければ、この世はまったく、暴力と金力を握る者が力にものを言わせて跳梁ばっこする弱肉強食社会になってしまうので、神は国家を立ててこれを防いでいるのである。しかし、神が国家の権威に対して与えておられるる仕事はあくまでも世俗的な、外側の業務に限られている。外側の業務に励んでいるかぎり、国家の権力は神のしもべとして有益な働きをしていることになる。

 ところが、権力者はしばしばその分を踏み越えてしまう。自分がいつまでもその権力の座に座り続けたいと思うようになるからである。それは公的には国体の維持とか、安全保障の必要とか呼ばれる。そのために、国民の思想・宗教までも支配しようとするようになる。

 ヤロブアムは腹心の部下たちと相談して、まず出エジプト伝承にも登場した金の子牛神話に基づいて偶像(出エジプト32章)を造り、建国神話を捏造したのである。イスラエルの民をエジプトから救出し、この地に導いたのは、実はこの子牛の神々であったという建国神話である(28節)。ついで、北イスラエル国家宗教の中心となる神社をベテルとダンに建立し、ここに先の二体の偶像を安置し民に礼拝させる(29、30節)。さらに、「高き所」と呼ばれた偶像礼拝施設をベテルとダンに設置し、さらに国家宗教普及のため祭司たちまで任命した(31節)。そして、祭日を八月十五日と定めたのである(32−33節)。

 バビロンの王ネブカデネザルがドラの平野に巨大な金の偶像を立てて支配下に収めた諸民諸国諸国語の者たちに拝ませたのも、類似した行為であるが、やや趣を異にする点がある。それは、ヤロブアムが統制しようとしたのは自国民であったのに対して、ネブカデネザルはこの金の巨像崇拝によって他民族・他国民をも統制しようとしたという点である(ダニエル3:1−7)。

 近代史を見れば、フランス大革命の指導者は理性の女神を教会に持ち込んで礼拝させたという事例がある。また、スターリン、毛沢東、金日成、ポルポトたちが行った共産主義による思想統制も、そして、戦前の天皇制における国家神道政策も、そしてミニチュア版としてのオウム真理教でも同じことである。思想的に右翼的であるか左翼的であるかということは問わず、権力者が永久政権を望み全体主義に陥るとき、どの時代どの地域でも同じ現象が起こるのである。

 明治以来、先の敗戦に至るまでの国家神道政策について少し見ておこう。明治維新が起こった時、時の権力者たちにとって、徳川時代の幕藩体制でバラバラの民をどのようにして一つの日本国民として束ねることができるだろうかという課題を抱えていた。欧米列強が世界を植民地化している状況の中で、日本が植民地化されず独立をたもつためには、どうしても日本国民を精神的に纏め上げなければならないと彼らは考えたのである。

 伊藤博文は欧米列強の研究の結果、キリスト教がそれぞれの国を精神的にまとめあげている装置であるという理解をした。そこで伊藤は日本ではキリスト教に代わるものとして、古くからある神社神道と皇室神道を結びつけて国家神道を造りあげた。全国にてんでバラバラにある神社を格づけをして、その頂点に天皇家の氏神である伊勢神宮がくるヒエラルキーを造った。また天皇が一般庶民にはあまり知られてもいなかったので、その宣伝にも努めた。国民は、国民学校にはいると修学旅行でお伊勢参りに連れていかれた。さらに、国家神道普及のために宣教士を任命し、神祇官と教部省という役所(後の文部省)によって国家神道を普及させようとはかった。国家宗教の祭司の任命である。そして二月十一日を神武天皇即位の日、すなわち紀元節として建国の記念をしたのである。

 明治政府の政策はヤロブアムの国家宗教政策と不気味なほどに附合しているではないか。その動機は体制の維持あるいは国家の安全保障である。国家神道による国民の思想的・宗教的統制は先の戦時下にもっとも甚だしいものとなった。本書の冒頭に取りあげた教会学校教案は、そうした時代、教会が国家権力の圧力に屈してしまったという、残念な証拠である。

2.王の真の神礼拝への侵害と神のさばき

 第二歴代26章三節―二十節

「ウジヤは十六歳で王となり、エルサレムで五十二年間、王であった。彼の母の名はエコルヤといい、エルサレムの出であった。彼はすべて父アマツヤが行なったとおりに、主の目にかなうことを行なった。彼は神を認めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。彼は出陣してペリシテ人と戦ったとき、ガテの城壁、ヤブネの城壁、アシュドデの城壁を打ちこわし、アシュドデの中の、ペリシテ人たちの間に、町々を築いた。神は彼を助けて、ペリシテ人、グル・バアルに住むアラビヤ人、メウニム人に立ち向かわせた。アモン人はウジヤのもとにみつぎものを納めた。こうして、彼の名はエジプトの入口にまで届いた。その勢力が並みはずれて強くなったからである。ウジヤはエルサレムの隅の門、谷の門および曲がりかどの上にやぐらを建て、これを強固にし、荒野にやぐらを建て、多くの水ためを掘った。彼は低地にも平野にも多くの家畜を持っていたからである。山地や果樹園には農夫やぶどう作りがいた。彼が農業を好んだからである。さらに、ウジヤは戦闘部隊をかかえていたが、彼らは、書記エイエルとつかさマアセヤによって登録された人数にしたがって各隊に分かれ、王の隊長のひとり、ハナヌヤの指揮下にいくさに出る者たちであった勇士である一族のかしらたちの数はみなで二千六百人であった。その指揮下には三十万七千五百人の軍勢があり、王を助けて敵に当たる強力な戦闘部隊であった。ウジヤは、彼ら全軍のために、盾、槍、かぶと、よろい、弓および石投げの石を用意した。さらに、彼はエルサレムで、巧みに考案された兵器を作り、矢や大石を打ち出すために、やぐらの上や、城壁のかどにある塔の上にこれを据えた。こうして、彼の名は遠くにまで鳴り響いた。彼がすばらしいしかたで、助けを得て強くなったからである。  しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は彼の神、主に対して不信の罪を犯した。彼は香の壇の上で香をたこうとして主の神殿にはいった。すると彼のあとから、祭司アザルヤが、主に仕える八十人の有力な祭司たちとともにはいって来た。彼らはウジヤ王の前に立ちふさがって、彼に言った。『ウジヤよ。主に香をたくのはあなたのすることではありません。香をたくのは、聖別された祭司たち、アロンの子らのすることです。聖所から出てください。あなたは不信の罪を犯したのです。あなたには神である主の誉れは与えられません。』ウジヤは激しく怒って、手に香炉を取って香をたこうとした。彼が祭司たちに対して激しい怒りをいだいたとき、その祭司たちの前、主の神殿の中、香の壇のかたわらで、突然、彼の額にらい病が現われた。祭司のかしらアザルヤと祭司たち全員が彼のほうを見ると、なんと、彼の額はらい病に冒されていた。そこで彼らは急いで彼をそこから連れ出した。彼も自分から急いで出て行った。主が彼を打たれたからである。」

 先のヤロブアムやネブカデネザルの場合は、偶像崇拝教による思想・宗教統制を図ったものであった。彼らの場合、神はある程度なすがままに放置していらっしゃるように見える。しかし、主御自身に対する礼拝に関することがらに権力者がその分を越えて介入してくると、主はただちにこれを打たれた。その例は、たとえばイスラエル王国の初代の王サウルが、預言者サムエルが捧げるべき犠牲を、自分の手が捧げてしまったときに、彼から王権が取り去られると告げられたことである(1サムエル13:8-15) 。

 同様の裁きが、南ユダ王国の王ウジヤにも下っている。2歴代誌26章という一章のうちに彼の業績と神の裁きがひとまとめに書かれていて、問題としてわかりやすいのでこれを取りあげたい。ウジヤの前半生は4節の喜ばしいことばで要約される。「彼は神を求めることを教えたゼカリヤの存命中は、神を求めた。彼が主を求めていた間、神は彼を栄えさせた。」ウジヤはよき助言者として預言者ゼカリヤをそばに置いていた間は、謙遜に王としての職務を行なっていた。ウジヤ王の前半生の具体的業績が6節から記される。6節から8節および11節から15節には軍事・外交におけるウジヤの成功が記されている。9、10節は彼の産業特に農業の振興政策について述べられる。ウジヤの前半生は栄光に満ちている。それは彼が、神からの助言者をそばに置き、常に謙遜に耳を傾けていたからだった。

 ところが、ウジヤ王の後半生(16節以下)には、残念なことが記されている。「しかし、彼が強くなると、彼の心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。」成功が彼を高慢にしてしまったのだ。ゼカリヤの死後、ウジヤ王によき助言をする者はもはやいなかった。「高慢は滅びに先立つ」というソロモンの箴言のとおりになってしまった。

 ウジヤは神が王には許しておられない香の壇の上で香を焚くという祭司の務めを犯してしまった。神様が王に許していらしたのは、世俗的な業務だけだった。つまり王の職務は軍事や民生や産業の振興だけだった。それなのに、ウジヤはやることなすことなんでも成功したものだから、おれには神の御前で祭司の務めをすることも許されて当然であると思いあがったのだった。

 筆者が想像するに、ウジヤが軍事においても農業振興政策においても成功を収めた時、国民がみな主に感謝を捧げるために神殿の祭司たちの所にでかけることが、気に食わなかったのではないだろうか。「戦争を勝利に導き、国民生活を豊かにしてやったのは余であるのに、なぜ彼らは祭司どもの所に行くのか。」と不満だったのではないだろうか。ゼカリヤが助言者としていたときならば、「王様、神が王様をお用いになって、一切のよきことをなさったのではありませんか。されば、民が主なる神に感謝をささげに行くのは当然でございます。ゆめゆめ高ぶってはなりませぬぞ。」とでも諌めたであろうが、今はその助言者もいなかった。ウジヤの生涯の結末は悲惨だった。ウジヤはらい病に打たれて、生涯いやされることはなかったのである。

 王が民の思想統制のため偶像宗教を利用することは悪しき業である。ましてや、主ご自身への礼拝・信仰のことがらに王が介入して来るならば、主はただちにこれを撃たれるのである。ユダの王たちが外的な意味で神礼拝が正しく行なわれることを保護することは良いこととされたが、祭祀権を犯して礼拝の内容・教義について介入することは、決して許されなかったのである。

 文化人類学者によれば、古代世界の王たちはことごとく祭司王として成立したということである。それは王というものが果たすべき役割が単に武力的なボスではなく、神々からの民への託宣を受けたり、民の願いを神々に取り次ぐものであったからである。農耕民であれば、雨乞いをしたり、種まきの時期を神託として受けたりするというようなことが、古代の王たる者の務めであった。邪馬台国の女王卑弥呼が鬼道をなしたと『魏志』の倭人伝にあるのもそういうわけである。エジプトのパロは太陽神ラーの息子をもって自称していたし、メソポタミアの王たちもローマ皇帝も大祭司を名乗っていた。日本の古代天皇が天照大神の血統にある現人神であり、祭司王を名乗っていたということは、決して特異なことではない。日本において特異なことがあるとすれば、明治になったときに、平安時代以来、事実上、王権は貴族や武士に奪われて(後醍醐天皇の時代を除いて)祭祀権のみをもつ神主となっていた天皇が、再び王権をも要求して近代世界に祭司王として出現したというアナクロニズムである。

 ただし、しばしば誤解されているように大日本帝国憲法第三条「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」というのは、天皇を神格化した表現ではなく、立憲君主主義の憲法における君主は政治権力行使が許されないかわりに、政治的責任は問われないとするいわゆる無答責の定めを意味する慣用的表現にすぎない。ベルギー憲法第六十三条には「国王の一身は、侵すことはできない。」とあり、スウェーデン憲法第三条には「国王の身体は神聖である。」とある。天皇の神格化はむしろ天孫降臨、神武東征神話と天皇万世一系説とそれを表現する神道儀礼によってなされたといえよう。

 R.J.ラッシュドゥーニーが『聖書的歴史哲学』で指摘するように、王は祭司でもあるという古代世界の常識のなかで、ただ聖書だけが祭祀権と王権を峻別する伝統を持っていることは注目すべき事実である。もちろん、古代イスラエルは政教一致の社会であり、イスラエルという国家自体が教会であったので、祭祀圏と王権の峻別とは近代の政教分離とは意味がちがう。王権が完全に世俗化し、神のことなどまったく念頭にない近代とはちがって、王は生涯律法を身近に置いて読むことが求められた(申命記十七:一八−二十)。しかし、祭祀に王が立ち入ることは神によって堅く戒められたのである。

 新約の時代になり、異教世界に福音が伝えられ教会が形成されるようになると、この世の権威は真の神を知らぬという状況になる。この場合には、一層、「政教分離」原則がしっかり守られることが必要であろう。国家権力は、世俗的・外的業務という分を越えて、キリスト教における教えと礼拝のことがらに介入してはならない。もしそうするならば、国家権力自身に滅びを招く。また逆に教会が権力にすりよって、権力者に託された剣を教会の勢力拡張のために利用しようとするならば、これまた悲惨な結果を招く。そのことは、宗教改革時代から三十年戦争の集結に至るまでの、ヨーロッパの度重なる悲惨な宗教戦争がよく物語っている。教会に託された剣はただ御言葉のみである。教会は国家の越権行為に警告を発する必要はあるが、教会が国家の剣をもって自らを利せんとするのは自ら戒めるべきである。

 この観点からすれば、先の戦時下において当局が国家神道の下にキリスト教を位置付け、キリスト教会の中に神棚を設置させ、教会学校教案で神社参拝を奨励させ、憲兵が礼拝説教中に監視するようになったとき、大日本帝国の命脈はすでに尽きていたといってよい。思い違いをしてはいけない。神はあなどられるようなお方ではない。

3.政教癒着の霊的背景(黙示録十三章)

 どうして国家権力はしばしば宗教に介入したり癒着したりするのであろうか。その霊的な背景について新約聖書は啓示している。主イエスが荒野で四十日にわたって悪魔の試みを受けられたとき、悪魔は次のように誘惑した。

「この国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」(ルカ4:6、7)

 権力者が永久政権を夢見たり、領土拡張を夢見る時には、悪魔が誘惑をしかけて来るのである。実際、多くの権力者たちはしばしば拝み屋を相談役としてかかえていたり、あるいは自ら占いなどのオカルトに凝っていたりするものである。権力者は自分の魂を神々に売り渡すことによって、権力を維持することを望むのである。それらは「神々」を名乗っているが聖書によれば実は悪魔・悪霊どもなのである。

 こうした権力と悪魔との関係について、さらに詳細に啓示しているのは黙示録十三章である。

「また私は見た。海から一匹の獣が上ってきた。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。」(黙示録13:1)

 海から上ってきた第一の獣というのは、ダニエル書第七章との比較対照からローマ帝国ないしローマ帝国の流れを汲むある全体主義的国家ないしその指導者であると目されるのであるが、その獣の背後には竜がいると言われている。竜がこの第一の獣に力と権威を与えるのである。竜とは黙示録の文脈上、悪魔、サタンのことである(黙示録12:9)。この第一の獣と呼ばれる権力者は悪魔に魂を売り渡してこれを拝み、その見返りとして地上の権力と栄光を得たのである。

 黙示録十三章にはもう一匹の獣が登場する。「また、私は見た。もう一匹の獣が地から上ってきた。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。」第二の獣の姿は一見小羊キリストのようでありながら、その語る教えは竜つまり悪魔のものである。第二の獣は、第一の獣の国家権力を拝ませるのを己の仕事としている。つまり、第二の獣とは全体主義国家に仕える御用宗教団体またはその指導者のことである。

 ある権力者が抱くべきではない野望を抱くとき、神々の名を名乗る悪魔にその魂を売り渡し、悪魔から力を得る。そして権力者は、その野望を達成するために御用宗教を用いて、民を思想・宗教統制するのである。この黙示録第十三章における悪魔と国家権力と御用宗教との構図は、厳密な意味では主イエスの再臨直前に出現するといわれる世界的な全体主義国家において実現するのであろうが、その予兆として幾度も歴史のなかに繰り返されてきた。戦前の全体主義国家となっていた日本においても、まさにこうした状況が現出していた。悪魔は、天皇を頂点とする国家権力を自在に操った。その時代の御用宗教とは国家神道であり、この国家神道の軍門にくだった当時の日本のキリスト教会もまた第二の獣の仕事の一端を担うものとなり果ててしまっていたのであった。

4.西欧史における「教会と国家」概観

 初代キリスト教会の時代から、コンスタンティヌスがミラノ勅令(312年)でキリスト教を公認する以前の時代、ローマ帝国ではローマの伝統的な神々をあがめていた。また、ローマは共和制の伝統があったので当初西方では皇帝は神格化されることはなかったが、オリエントの影響を受けて、アウグストゥス没後から皇帝崇拝が始まっていた。皇帝は神々のひとりに数えられ礼拝されたのである。また、皇帝は大祭司とされていた。この時代、ローマ伝統の神々と皇帝像を拝もうとしないキリスト教会は帝国から激しい迫害を受けたという面では苦難の時代であったが、自らが政教癒着という事態に巻き込まれるという危険からは守られていた。

 キリスト教は、312年ミラノ勅令で公認され、やがて4世紀末テオドシウス帝の時代に国教化される。皇帝は教会を帝国を支配するための道具として用いた。そのため、司教の叙任は皇帝に属していたのである。世俗君主が教会の司教叙任権をもつという体制は、この後、中世1122年のヴォルムス協約まで続く。中世になり、司教の荘園が大きくなって世俗的な利益が伴うようになると、司教の堕落がはなはだしくなったので、グレゴリウス7世は司教の叙任権を教会に取り戻そうとたので、叙任権闘争が生じた。この協約において、神聖ローマ帝国内で世俗権力と教会が争った聖職者の叙任権の問題(叙任権闘争)を解決し、「司教の叙任権は教会にあり、皇帝は司教の財産権を与える」と取り決めた。

 やがて16世紀に宗教改革が起こった。ルター派、改革派ともに政治権力の保護を求めつつなされた改革であったが、わずかにアナバプテストのみが政教分離を主張して迫害された。

17世紀正統主義時代は、カトリック、プロテスタントを問わず自らの教義の完備を目指して神学的営みがなされた。時代は、絶対王政の時代であり、それぞれの国王は国教主義に立って、己が国民を纏め上げて、他国と覇権を争った。そのため三十年戦争をはじめとする悲惨なカトリックとプロテスタントの宗教戦争が頻発した。その結末は1647年のウェストファリア条約である。この条約でプロテスタント特に改革派の権利が認められ、帝国議会や裁判所におけるカトリックとプロテスタントの同権が定められ、またカトリックの皇帝が紛争を調停する立場にあるわけではないことが確定した。これが記念すべき近代国家の政教分離原則の始まりである。国家権力の本質は剣であるから、教会が国家と癒着するとき、教会は戦争に協力することになってしまう。

5.我が国の近代史への適用

(1)我が国の戦前・戦中の宗教政策

 明治以来、政府が行なってきた宗教政策は、ヤロブアムのしわざだった。政治権力に神が許された分を踏み越えて、国家神道によって国民の心までも支配しようとした。明治政府は国の祭祀である神社神道と、いわゆる「宗教」(教派神道、仏教、キリスト教)に区分して統制した。宗教団体に対する管理が徹底したのは、昭和十四年に成立した宗教団体法によった。「国が直営する神社神道における参拝は国民としての儀礼であって宗教ではない」という詭弁が用いられ、他方、宗教としての教派神道、仏教、キリスト教は国家神道の下に統制されて位置付けられた。教派神道十三派はそのまま認可され、仏教五十六派は二十八派に統合の上で認可され、キリスト教は日本天主公教と日本基督教団の二つに統合された上で認可された。さらに国家神道の下に各宗教があるということを具体的に表明させるために、各宗教教派の最高責任者たちは神社参拝をさせている。当時の日本基督教団統理富田満もまた伊勢神宮に参拝したのである。

 日本が大陸や東南アジア諸国に手を伸ばしたとき、さらにその罪はネブカデネザルの罪となった。朝鮮半島では、ちょうどネブカデネザルがダニエルたちにシャデラク、メシャク、アベデネゴという別の名を付けさせたように、創氏改名という暴挙をやってのけた。かの民族の文化そのものをも否定したのである。そして、ネブカデネザルがドラの平野に金の像を立てさせ強制参拝させたように、天皇はアジア各地に神社を立てさせこれを拝ませることによって、諸民族の思想統制を図ったのである。

 しかし、そうした脅かしに屈しないキリスト者たちが朝鮮にいた。そこで、一九三八年(昭和十三年)日本基督教会の統理富田満は特高警察とともにピョンヤンの教会を訪れ、百二十人の長老教会の代表者に説得を試みた。結果、翌年九月に朝鮮耶蘇教長老教会第二十七会総会で神社参拝は信仰に反しないという決議が警官の監視下でなされたのである。しかし、最後までこの脅迫に屈しなかったキリスト教会、キリスト者があったので、二百余の教会は廃止され、多くのキリスト者は地下にもぐり、二千人以上が投獄され五十人に及ぶ人々が殉教したのである。さらに軍部は一九四五年八月十八日に、朝鮮の教会指導者や信徒指導者を集めて集団処刑をする命令をくだしていたという。こうした弾圧は台湾、中国、東南アジア諸国にもそれぞれ程度のちがいはあっても広く及んでいる。

 悲しむべきことに、当時、日本の教会はまさに第一の獣に仕える第二の獣に成り下がって、小羊のような姿をしながら、その唇からは竜のことばを発していたのであった。そして、ついにその罪深い仕業にたいする裁きが、先の戦争で下ったのである。(日本同盟基督教団靖国問題特別委員会『もっと知りたい、Q&A「宣教百周年・悔い改めの宣言」解説』参照)

 神は忍耐深いお方である。しかし、国家が宗教を利用して全体主義化し、教会までもこれに迎合してその御先棒を担ぎ、その民族が暴走し、周辺諸国までも悲惨のなかに引きずり込んでしまうとき、ついには鉄槌をくだされるのである。誤解を招かぬためにつけ加えるが、神の鉄槌として用いられたアメリカが戦争において行なったこと、東京大空襲や二つの原爆投下などがみな正義であったなどと筆者は言おうとしているのではない。神はイスラエルが罪に陥るとアッシリヤやバビロンのような異民族をもってこれに懲らしめをお与えになり、悔い改めを迫られた。その時その鉄槌として用いられた異民族が正義の民であったというわけではないのと同様である。

(2)戦後の政教分離問題の動き

 詳細は他の著者の書に譲って、きわめて簡潔に戦後の政教分離問題と靖国問題の解説をしておきたい。戦後、先の過ちへの反省に立って国家と神道を分離するために、日本国憲法が定められた。第二十条にこうある。

「1.信教の自由は、何人に対してもこれを保証する。いかなる宗教団体も、国から特権を 受け、または政治上の権力を行使してはならない。  2.何人も、宗教上の行為、祝典、儀式または行事に参加することを強制されない。  3.国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」

 もちろん憲法は啓示された神のことばではない。また、後の章で見るように日本国憲法の第二十条の思想史的背景には、キリスト者の信仰の戦いとともに啓蒙主義人権思想がないまぜになっている。けれども、この政教分離原則自体は神の御旨にかなうものであるから、たいせつにすべきものである。

 ところが、一九六一年日本遺族会が、国会へ靖国神社国家護持を請願する。一九六六年には紀元節二月十一日が「建国記念の日」と改称して復活する。一九六九年、自民党によって靖国神社国家護持法案が国会に提出された。「多くの兵士たちが天皇陛下のために戦死するなら、お国が靖国神社に君を神として祭ってあげよう。」という約束を握って戦地に赴いた。ところが、敗戦後政教分離原則によって、政府は靖国神社にタッチすることができなくなった。戦没者遺族からすれば、お国は約束を反古にしたということになる。戦没者遺族たちの国家に対する恨みと悲しみと、遺族会を支持層とする政治家たちの思惑から靖国神社法案はでたのである。しかし、多くの反対のなかで一九七三年まで靖国法案は五回提出され、五回廃案になった。

 一九七五年、三木首相が靖国神社を私的に参拝する。以後、毎年首相の靖国参拝が行なわれる。そこで靖国神社国家護持を願う人たちは、今度は首相による靖国神社公式参拝へと当面の目標を変えたのである。

 一九八二年に自民党憲法調査会が明らかにした改憲案(分科会報告書)では、政教分離原則を定めた上述の憲法第二十条について「趣旨の妥当性、重要性の点で全員の意見が一致」したとしつつも「靖国神社国家護持については、違憲の疑いなく実現できるように方途を探るべきという違憲が過半数」とされている。なんという矛盾であろうか。調査会の人々は第二十条の趣旨も重要性もなにもわかっていないか、わかっていないふりをしていると言わざるをえない。第二十条の趣旨とは、まさしく国家が神道と癒着し我が国が再び軍国主義への道に進むことを予防することである。ところで靖国神社とは天皇のために死んだ軍人だけを祭る靖国神社である。これを国家が護持するならば、政教分離原則の趣旨を根本から否定することになるのは明白なことではないか。

 一九八五年八月十五日、中曽根首相が初めて靖国神社を公式に参拝した。しかし、外国からの反発を受け、その後首相の公式参拝はされていない。

 一九八九年一月七日、昭和天皇の死去にともない大喪の礼が行なわれ、十一月二一日平成天皇即位式、同二十二、二十三日には大嘗祭が挙行された。大嘗祭は天皇が神となる儀式ともいわれ、政教分離原則違反であるとの批判も受け、現在も各地で裁判が進行中である。

 こうした状況のなかで、一九九一年一月十日、政教分離問題に関して画期的な判決が確定した。仙台高等裁判所における岩手靖国意見訴訟である。この判決は形式上、原告敗訴であったが、判決理由の文面に「首相の靖国神社公式参拝は憲法の政教分離原則に反する」という内容がもりこまれたことによって、実質的に勝訴判決であった。

 二○○一年、問題になっているのは「新しい歴史教科書」と首相の靖国神社公式参拝である。この中学生向きの歴史教科書には、天孫降臨神話、神武東征神話が盛り込まれ、昭和天皇の徳がたたえられている。

 聖書を知る私たちとしては、祖国が二度とあのような罪と悲惨を繰り返し、神の裁きを受けないために、どうしても国家が神道と再び癒着することを許すわけにはいかない。戦没者遺族の悲しみに深い同情をよせつつ、同じような戦争遺族を作り出さないためにも政教癒着を許してはならないのである。このことにつき、「愛をもって真理を語る」ことがキリスト者に託された務めの一つである。

 ところが、2005年10月28日政府自民党は「新憲法草案」なるものを発表した。その第二十条第三項には次のようにある。

「3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」

 かつて神社参拝は宗教でなく国民儀礼であるという詭弁がまかり通った時代があった。このたびは「神社参拝は宗教でなく社会儀礼または習俗的行為」だという。もしこの条項が実際に改憲に盛り込まれるならば、天皇、首相をはじめ公務員の靖国神社参拝が合憲とされるばかりか、公立学校の遠足や修学旅行に靖国参拝が含まれることまでも合憲とされることになる。そうなれば、まさに戦前・戦中と同じ神社非宗教説にもとづく国家神道政策と同じことである。二十条の改憲は決して許してはならない。

第三章 教会の連帯的責任について

「私たちの先祖は罪を犯しました。彼らはもういません。彼らの咎を私たちが背負いました。」哀歌5章7節

 戦前の教会が犯した罪について学ぶとき、私たち現代のキリスト者はどのような態度でこれに臨むべきだろうか。第三章では現代の教会の実践の出発点として、この問題を扱いたい。

1.現代の教会が過去の教会と連帯責任意識を持つことをめぐる逆説

    「戦前の教会が犯した罪が、どうしてその当時まだ生れてもおらず、あるいは、生れていてもキリスト者でなかった私たちの責任として問われうるであろうか。そのような問い自体がナンセンスなものではないだろうか。」戦前、戦中をキリスト者として苦闘してこられた方は別として、戦後派のキリスト者や教会はこのような感想を持つ場合が多いのではないかと思う。そのような感想を持つのには、少なくとも三つの理由がありうると思う。

 第一には、私たちが近代の個人主義的な思考方法にならされてしまっているということだ。「罪についての責任を問われるのは個人である。そして、責任の軽重は、その罪を回避する能力のいかんによる。」という世間的な法の常識に基づいて考えるならば、戦前・戦中、そこに存在もしなかった者がどうして、その時代の罪の責任を負わねばならないだろうかということになるからだ。このような理由から戦前の教会の罪に対する責任と言われても実感としてピンと来ないのは、戦後生まれのキリスト者としてある程度やむをえない面があるのは事実だろう。

 しかし、キリスト者としては自分がどう感じているか以前に、神は私たちをどう見ておられ、どう扱われるのかということを、聖書に聞くべきだと思う。そして、聖書に聞くときに私たちは神は確かに戦前、戦中の教会の罪について、何らかの責任を現代の教会に問うておられるということを、認めざるを得なくなるだろう。

 第二に、私たちの信仰が敬虔主義的な伝統のなかにあるということと関係している。良い意味でも悪い意味でも、敬虔主義の遺産を私たちは受け継いでいる。どちらかといえば良い意味の遺産の方が大きいと私は信じているが。それは日ごとに祈るとか聖書を読むとか、祈祷会をするということだ。悪い意味の遺産というか弱点は、一言で申せば敬虔主義においては信仰が個人主義的・主観主義的であって、教会的・信仰告白的・客観的でないということではないだろうか。

 敬虔主義では教会観が弱く、個人の信仰体験が中心である。教会観がないわけではないのだが、その教会観とは個々の信仰者が集まったもの、それが教会であるということだから、はじめに個人の信仰体験ありきなのである。したがって、罪とは神の御前で個人的なものであり、信仰もまた個人的なものであるという考え方が基本にある。そのため敬虔主義的な信仰からすれば、教会の連帯的責任ということも、今一つ感覚としてわからないということになろう。

 聖書的な信仰とは旧約新約一貫して教会的(共同体的)なものである。救いはたしかに一人一人神の御前に主イエスを信じて成就するが、救われるとは言い換えると神の民つまり教会に加えられることなのである。新約聖書では、エペソ書にその点が非常にはっきりと啓示されている。また信仰告白とは教会という共同体を結ぶきずなだから、教会的な信仰とはすなわち信仰告白的な信仰ということになる。

 第三の場合はもっと危険である。ある日、主イエスは、「偽善の律法学者、パリサイ人たち」と火を吐くように責められた。

「忌まわしい者だ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは預言者の墓を立て、義人の記念碑を飾って、『私たちが、先祖の時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう。』と言います。こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。あなたがたも先祖の罪の目盛りの不足分を満たしなさい。・・(中略)・・それは、義人アベルからこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血にいたるまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。まことにあなたがたに告げます。これらの報いはみな、この時代の上に来ます。」(マタイ23:29−36)

 パリサイ人たちは「我こそは預言者や義人の子孫である」と自任し、預言者や義人を殺した人々を軽蔑していた。けれども、主イエスは、己の罪を知らず先祖を安易にさばくパリサイ人の態度そのものが、彼らの体質が、神を恐れた義人や預言者と異質、いなむしろ正反対であり、むしろ義人や預言者らを殺した者たちと同質のものであることを証言していると断言される。すると、どうなるだろうか。「私は義人や預言者を殺した者の子孫だ」と先祖の罪を己の罪として痛み悲しむ者が、かえって神の御前では義人や預言者の子孫であるとされ、自ら義人や預言者の子孫であるとしている者は、その殺害者たちの子孫であると自己証言していることになる。事実、パリサイ人たちはまことの預言者であり義人である神の御子イエスを殺害してしまい、主イエスのことばが正しいことを証明してしまう。そして彼らが先祖を量ったと同じ量りで、神から量り返されることになるのである。「これらの報いはみな、この時代の上に来ます。」

 同様に、もし私たちがイエスの同時代の人々を批評して、「私たちがあの時代に生きていたならば、神の御子を殺すようなことはしなかっただろうに。ユダヤ人たちはなんという愚かで罪深い連中だろう。」と言うならば、今度は私たち自身が、自分をパリサイ人たちと同じ種類の霊性をもった者であること、神の御子の殺害者であることを証言していることになる。しかし、私たちが「私こそ神の御子を十字架につけた張本人だ」という認識と悔い改めをするとき、私たちは主イエスの十字架の下において赦しを頂ける。このことは私たちキリスト者一人一人が経験していることである。

 この逆説は、戦前の教会の戦争責任に対する取組に適用されよう。私たちが、もっとも警戒すべきはパリサイ人・律法学者の態度、すなわち、己を義としてかつての教会を裁くことである。そうするとき、神は私たちが先祖を計ると同じ量りで、私たちに量り返されるだろう。

 私たちに求められているのは「私こそ」とは言えないまでも、少なくとも「私もまた」戦前・戦中の教会の罪を担っているという認識であり、悔い改めであろうと思う。しかし、この認識は「私が御子イエスを十字架につけた」という認識にも似て、人間の論理にとっては一種不可解な様相を呈している。

2.神の御前における連帯責任の事実と根拠−−−第二戒を中心に−−−

「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」ローマ書5章12節

「それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」出エジプト記20章5,6節

(1)神の目の前で罪の連帯性は事実である

 ジョン・マーレイはローマ書5章12−19節のアダムの罪の人類への転嫁に関する釈義的研究において、「連帯」について次のように述べている。

「連帯という原理は、聖書の中に深く埋め込まれている原理であり、きわめて多くの方法で例示されている。この原理が表明されている事例を枚挙する必要はない。神の人間統治には、家庭、国家、教会という制度が設けられており、それには連帯的あるいは共同的関係が見られるし、また作用しているということは、明白な事実である。このことは、神と人間との関係また人間相互の関係は、排他的に個人主義的なものではないということにほかならない。神は以上のような共同的関係によって人間を扱われるので、人間は共同的関係と責任を考慮に入れなければならない。」(ジョン・マーレイ『罪の転嫁』P31)

 さらに、マーレイはアダムの罪の人類全体との連帯性がどのような論理に基づくものであるかを、実在説と代表説を並べて厳密に論じていく。が、ここでは両説の当否は後で論じるとして、まず聖書によればアダムと全人類の問題にかぎらず、神が私たちを連帯的責任を取るべき者としてお取り扱いになるという単純な事実を確認しておきたいと思う。マーレイは「事例を枚挙する必要はない」と言うのだが、私はあえて事例を枚挙してみたいと思う。

 神が民族や都市国家を連体的にお取り扱いになるという事例は、聖書にたくさん出てくる。その初めはノアのセムとヤペテにたいする祝福とカナンに対する呪いがある。アブラハムの時代の都市国家ソドムとゴモラに対する扱いも連帯的になされている。時代をくだってアマレクに対する呪い。カナンの住民たちに対する呪い。また、イザヤ書にはバビロンへの宣告、モアブへの宣告、ダマスコへの宣告、クシュへの宣告、エジプトへの宣告が13章から続く。それぞれの民族や都市のなかには具体的に多くの罪を犯している者もいただろうし、生まれてまもない子供もいただろうが、同じ民族、都市国家に属する者として取り扱われている。

 神の民(教会)に対しても神は、これを連帯的に扱っておられる。例えば、アカンが犯した罪のゆえに、イスラエルはアイの前に敗走しなければならなかった。「・・・アカンが、聖絶のもののいくらかを取った。そこで、主の怒りはイスラエル人に向かって燃え上がった。」(ヨシュア記7章1節)現実として、神が私たちをそのようにお取り扱いになるということは、まぎれもない事実である。

 次に特にここでは私たちの扱おうとしている問題との関連性から、複数の世代に渡る連帯責任について、神が制定されたみことばと実例をさらに上げておく。十戒の第二戒偶像禁止の命令に続く警告と約束である。

「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父のとがを子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守るものには、恵みを千代にまで施すからである。」(出エジプト記20章5,6節、ほかにも、同34章7節,民数記14章18節、イザヤ書65章6,7節、エレミヤ書32章18節、マタイ23章29−36節参照)。

 これらの御言葉は、旧約の教会、神の民イスラエルという共同体の、何世代にもわたるとがと祝福の連帯性を語っている。「とがを・・三代、四代」と「恵みを千代」との対比は神の恩寵の偉大さを物語ることは事実だが、そのことが罪の連帯性を取り除くわけではない。大事なことは、イスラエルがその連帯性を意識すると意識せざるとにかかわらず、事実として、神は神の民を連帯性あるものとして、お取り扱いになられるということである。

 神に忠実な世代の子孫たちは、その忠実さに関して自分はなんら貢献していないとしても忠実な世代のゆえに神の祝福にあずかり、神に罪を犯した世代の子孫は、その罪に関与していなくともその連帯的責任が問われるのだ。そのような事例は、聖書のなかに多く出てくる。サウルが契約を破ってギブオン人を殺したために、サウルの子孫はその罰を受けなければならなかった(第二サムエル21章1−14節)。ソロモンが偶像に心寄せたとき、神は彼に宣告した。

「あなたの父ダビデに免じて、あなたの存命中は、そうしないが、あなたの子の手からそれを引き裂こう」(第一列王記11:12)。

 ダビデの祝福はソロモンにおよび、ソロモンの罪のとがはその子孫に及んでいる。ヨシヤの徹底的な改革にもかかわらず、ユダ王国は神の怒りを被らねばならなかった。それは先祖マナセの犯した偶像礼拝と悪行のためだった。

「ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従って、主に立ち返った王は彼の先にはいなかった。彼の後にも彼のような者は、ひとりも起こらなかった。それにもかかわらず、マナセが主の怒りを引き起こしたあのいらだたしい行ないのために、主はユダに向けて燃やされた激しい怒りを静めようとはされなかった。」(第二列王記23章25、26節)。

 ユダは神の裁きとしてのバビロン補囚の辛酸(1歴代9:1、エレミヤ20:4、587BC,)をなめることになり、約束の地への回復(538BCクロスの命令)までにはおよそ50年を要した。

 身勝手な人間としては忠実な世代の子孫が千代にわたって祝福を受けることについては当然のようにうなずき、不忠実な世代の子孫が三代四代にわたって呪いを受けることについては眉をひそめがちだ。けれど、それは全く人間の身勝手にすぎない。私たちは先祖の栄誉とともに恥辱をも相続しなければならない。人間は、神の主権的なお取り扱いに服するほかない。

 新約において、教会は一民族を超えて形成されることになる。教会ごとに主はお取り扱いをなさるということの事例は、黙示録二章に七つの教会それぞれに対してなされる評価と悔い改めの勧告にあるし、使徒の書簡の多くがそれぞれの教会にあてての書簡であることもその事例である。教会というものは全体として(普遍的教会として)キリストのからだであるとされていると同時に、一つ一つの地域教会がキリストのからだであると聖書は語っているのだから、それぞれの教会が共同体として連帯的に神のお取り扱いを受けるのは当然である。

(2)第二戒にいう罪は偶像礼拝問題である

 もうひとつ第二戒における罪の連帯性に関して注目しなければならないことは、それが格別、偶像礼拝禁止にかかわる呪いとして付加されていることだ。

 戦後の韓国のキリスト教会の発展と、日本の教会の沈滞状況を引き比べるとき、その理由について彼我の文化の差、政治的状況のちがいなど色々論じられるとしても、少なくとも聖書の第二戒を見るならば、第二戒における警告と約束が両国の教会の歴史においても成就していると解釈するように聖書は求めているのではないだろうか。もちろん、韓国の教会も大半は日帝とその手先となった日本基督教団に屈して天皇礼拝をしてしまった。しかし、戦後の韓国教会は、全体から見るとわずかな偶像礼拝を拒否した殉教者たちを、自らの模範として継承しようという意識がある。朱基徹牧師の名を知らぬキリスト者は韓国にはおらない。他方、日本ではどうだろうか。唯一、神社参拝を拒否したという美濃ミッションの名はほとんど知られず、ほとんど評価されないままできたというのは現実であると思う。韓国の教会と日本の教会のちがいがここにある。

 主を恐れるがゆえに、国家権力の命令に、ある場合は不服従という姿勢を貫くという信仰のありかたが評価されないできたというのが、戦前戦後を通じての日本の教会であると思う。

 「父のとがを子に報い三代、四代に及ぼす」と言われる。それにもかかわらず神は日本の民の内からも救われる者を起こし、私たちの日本の教会をあわれんで一定の祝福を下さった。それはただ神の一方的な恵みである。それはそれとして感謝しつつも、まず私たちがなすべきことは、一切の言い訳を捨ててただ主の御手の下にへりくだることなのではないかと思うのである。

(3)罪の模倣性・遺伝性について−−現代日本の教会は戦前の体質をひきずっている

 中村獅子雄は『ロマ書教理の理解』において、やはりロマ書五章十二節のアダムの罪の全人類への転嫁に関する解説において、罪の普遍性を論じるにあたって、原則的三拠点として、罪の模倣性、罪の遺伝性、罪の連帯性を述べている。

 罪の模倣性とは「子は親の模倣によってのみ生きることを学ぶ。その場合、教育の形もとるが、大部分は無意識的な生活上の完成乃至傾向性として影響し、しかもその影響はまったく運命的である。そして罪の誘惑はこの傾向への最大刺激また最小抵抗の線に沿うている。」と言う。

 次に、罪の遺伝性について。「必ずしも生物学的遺伝としての考え方に縛られる必要はないが、完成が肉体的に徹底し、傾向性が固定に達っしたる状態を指す。遺伝体質とともに遺伝精神型を形造り、罪は根強く子孫へ継承されてゆく。」

 第三に連帯性。「先祖アダムが人間を代表すると見る時、その子孫は皆連帯関係をもたねばならない。この『法』的関係の参加によって、遺伝や傾向の『質』的乃至『動』的関係はその次元を増し、単なる動物的存在から人間としての実存へと飛躍するのである。」

 この罪の連帯性の三拠点のうち前の二つはマーレイのいわゆる実在説に分類される論拠であり、第三点は代表説に分類されるところの論拠である。中村はこのアダムとの関係における人類の罪の普遍性は、この両面から把握しなければならないと言う。すなわち「人間を存在(ザイン)の側から見た伝承性格と、彼を当為(ゾルレン)の側から見た連帯性格との両方から観察することなくしては、彼を的確に把捉することができ難い」と。これはアダムと人類との関係についてだけでなく、一般に罪の連帯性ということについても言えると思われる。

 先に聖書から挙げた、神が後代のイスラエルの民に先祖の罪の責任を問われたという例は、法的関係(あるいは民族的連帯性)が前面に出ているのだが、そこには同時に実質的な罪性の継承という事実があったことが推察される。つまり、たとえばマナセのもたらした罪の習慣性というものが、イスラエルの民の中にはヨシヤの時代にいたって表面的には改革されても実質的には抜き難くあり続けたということである。

 これは現代の教会と戦前・戦時下の教会との関係に適用されよう。私たち現代の教会は、過去において霊的な先祖が犯した罪についてあたかも人ごとのように非難することはできない。自分たちも表面的にはどうあれ、実質的には同じことをしているのではないかと、むしろ恐れるべきである。天皇を遥拝せよとか、神社参拝せよとかいう法令が今はないからそれが表面化していないだけで、実質的にはまったく同じ体質を引きずって、症状はあるいはもっと悪化しているかもしれないのではないか、実はそのように私は思う。身近なところで偶像礼拝問題が解決しているだろうか。あるいは、天皇の座に今は会社が座っていないだろうか。

 今も戦前と実質的に同じ弱さと罪性をわれわれは担っているではないだろうか。ひとことでいえば、我々日本人キリスト者は人を恐れて、神を恐れる信仰を持っていないのではないかということである。そういう意味では、キリスト者になるということ自体に社会の反感の強かった戦前よりもずっと楽な現代にいながら、しばしば人目にびくついている私たち現代の教会は、先祖の罪と同質の罪を犯している、いやもっと悪くなっているかもしれないと思うのである。

3.連帯的責任の誤答と正答

 神の御前に私たちが戦前・戦中の教会が犯した罪に関して、代表的な意味でも模倣的・遺伝的意味でも連帯的責任があるということが認められたとして、では、連帯的責任を問われた私たちとしてどのように神に応答をすべきなのかを御言葉から学びたい。

(1)連帯的責任についての宿命論的誤答(エゼキエル18章全体)

 この連帯的責任という概念は極論に走るときに宿命論的に誤用・悪用される場合がある。

 それは、「今、我々がこのように悲惨な状態にあるのは、どうせ先祖の罪のせいなのだ。我々にはどうすることもできない。」とふてくされて、今の世代に対する神からの「悔い改めよ」という呼び掛けに応答しないということだ。そのような過ちに対する神からの警告がエゼキエル書18章全体に記されている。

「あなたがたは、イスラエルの地について『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く』という、このことわざを繰り返し言っているが、いったいどうしたことか。」(2節)「あなたがたは、『なぜ、その子は父のとがの罰を負わなくてよいのか。』という。その子は、公義と正義とを行ない、わたしのすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる。罪を犯したものは、その者が死に、子は父のとがについて負い目がなく、父も子のとがについて負い目がない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。」(19,20節)

 一見すると、第二戒に伴う祝福と呪いに矛盾するように思われるが、そうではない。あわれみ豊かな神は、たとい先祖のとがを担っている者であっても、悔い改めに進むことを願っておられるということを言っているのだ。ほんとうに悔い改めて、先祖の罪を模倣することをやめ、罪の遺伝をも断ち切って、公義と正義を行ない、主のおきてを行うならば、神はその子孫を赦し祝福なさると言われているのである。

(2)連帯的責任についての正答(ダニエル書9章5−9節)

(他にネヘミヤ9:2、哀歌5:7)

 以上のようなわけで、私たち日本の教会が、第二戒の呪いを全体として受けていることは事実であるとしても、なすべき応答は「先祖が罪を犯したのだから私たちには関係ない。あの時代に生きていたら我々はあんなことはしなかっただろうに。」(無連帯責任論)とパリサイ人たちのように思い上がって言うことでもなく、また「我々は神の呪いを受けいれているのだからしかたない。我々に希望はない。」(宿命論)とエゼキエルの時代の人々のように絶望していうことでもなく、そこにさえも神のあわれみはあることを覚えて、あわれみ深い神の呼び掛けに悔い改めをもって答えることである。

 神から私たちへの先祖の連帯的責任の問いに対する、私たちの正しい応答とはなにか。それは自分もまた神の御前には、先祖の罪に責任ある者であり、その体質を引きずっている現実を認め、告白し、へりくだって神に叫ぶことである。その模範として、ネヘミヤやダニエルの祈りがある。

ダニエルはダリヨス王がカルデヤ人の王となった元年(紀元前539年)、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃がイスラエルの神に対する不信の罪のゆえであることを知った。そのとき彼は「顔を神である主に向け、断食し、荒布を着、灰をかぶり、願い求め」「私たちは罪を犯し、不義をなし、悪を行ない、あなたにそむき、あなたの命令と定めとを離れました。・・(中略)・・主よ。不面目は、あなたに罪を犯した私たちと私たちの王たち、首長たち、および先祖たちのものです。あわれみと赦しとは、私たちの神、主のものです。これは私たちが神にそむいたからです。」(ダニエル書9章5−9節)

 ダニエル個人としては、いのちをかけて、まことの神に節操を保っていたことを私たちは見る。その彼がどのようにして神の御前に罪を負っている者としての自己に目覚めただろう。それは、自分の心や行状を探ることによってではない。彼が預言者エレミヤの書を読んだことによってだった。神の審判のことばに聞いた時だった。そのとき、ダニエルは神の御前にひれ伏した。真の罪の自覚とは、自己評価ではなく、神が見ておられるままに自己を認識すること、そして、告白することである。

 そして、先に述べたことの繰り返しだが、エゼキエル書にあることばには、先祖の罪の模倣性・遺伝性からの脱却ということつまり悔い改めの実のことが求められている。

「その子は、公義と正義とを行ない、わたしのすべてのおきてを守り行なったので、必ず生きる。罪を犯したものは、その者が死に、子は父のとがについて負い目がなく、父も子のとがについて負い目がない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。」(18:20)

 私たちは戦前の教会の栄光だけを相続して、戦前・戦中の恥辱を相続しないわけにはいかない。歴史の支配者である神は、霊的先祖の栄光と同時に恥辱をも担っていく誠実さを、私たちに求めておられるのではないだろうか。そして、先の戦争において日本の教会において露呈したものが、人を恐れ、主を恐れない体質ということであるとすれば、人を恐れず、主を恐れる教会の形成ということが我々の告白後の課題ということになろう。

第四章 聖書的自由と啓蒙主義的自由

 教会としてキリスト者として、国家を相手として信教の自由をめぐる取組をしていくとき、日本国憲法の理解や基本的人権をめぐる「闘争」をしている自由主義的な人々とのかかわりが生じてくる。そのとき、聖書的保守的なキリスト者であればあるほど、人権団体の人々と聖書に生きる自分たちの「自由」ということばの理解の違いを直感するであろう。そこで、この章では自由の問題を取り扱いたい。

1.善悪の知識の木と自由の問題(創世記2:8-3:24)

「神である主は人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べて良い。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」創世記二章15、16節

 なんのために神は、園の中央に善悪の知識の木を植えられたのであろうか。それは神が主権者であり、人はそのしもべであることを示すためだった。「善悪の知識の木」は園の中央にあった。片隅ではなく中央に。それは、このエデンの園の所有者・主権者は神様であること示し、アダムが自分は管理者であることを認め、神様の恵みに感謝するためだった。人としての分をわきまえるためだ。アダムはあの木を見るたびに、あの一本以外からは「どれからでも食べていいよ」とおっしゃる気前のよい神様に感謝しないではいられない。そして、神様の御心にそって、園を忠実に管理しようという気持ちをいつも新たにすることができたのだ。

 人間は、「どの木からでも食べてよい」と言われた。けれども、人間の自由には制限があり、人間の自由とは神の御旨に従うところにあることを、この善悪の知識の木は示している。聖書的な自由とは、何の制約も受けず自律的に生きることではない。自由とは、人間を造り人間本来の生き方、つまり善悪を知っていらっしゃる神の御旨にしたがって生きるところにある。神はこのことを教えるために、園の中央に善悪の知識の木を置かれたのである。

 ところが、へび(サタン)の誘惑によって、アダムとエバは堕落した。へびは女に近づき、非常に狡猾な質問を投げかけた。「あなたがたは、園のどんな木からも取って食べてはならない、と神はほんとうに言われたのですか。」(3章1節)。へびのネライは、女を神のお言葉の批評者にすることにあった。神様のことばの前には「主よ、お話し下さい。しもべは聞いています。」というのが、人としてふさわしい態度である。ところが、へびは女を神様の御言葉についての批評家にしようとする。そして、まんまと罠に陥った女に、へびは「あなたがたは決して死なない。」つまり、彼は神は嘘つきであると言ってのけた。

 そして、ついに、へびの誘惑は頂点に達する。「あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を知るようになることを神は知っているのです。」赤い舌をチョロチョロのぞかせながらへびは誘惑した。

 実際、彼らが堕落した後、神御自身が「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。」とおっしゃるように、堕落後、たしかにある意味で人は「神のようになった」のだ。では、「神のようになる、善悪を知るようになる」とは、どういうことだろう。

 堕落の前は、人の行動の基準は「何が神の御心であるか」だった。堕落後は、神の御旨を離れて自分で善と悪とを決定するようになり、神のことばにまで文句をつけるようになったのだ。ことの善悪の決定権は本来は主権者である神にある。けれど、人は神を離れて、自分で善悪を決めることを選んだのだ。「人間は万物の尺度である。」というわけだ。「神はそう言っても、私の考えはこうだ。」これが、堕落した人間の理屈である(伝道者7:29) 。

 さて、アダムの前に二つの自由があった。一つは神が与えた自由であり、それは<罪と死からの自由>であり<神のしもべとして生きる自由>である。もう一つはへびが誘いこもうとした自由でありそれは、<神の戒めからの自由>であり<自ら神のようになり自律する自由>である。アダムとエバとは、神のようになろうとすることが自由であると思いこみ、この道を選択した。こうして人類に神との分離という死が入ってきた。

2.自由教会主義者の求めた自由

 同じ言葉を用いながら、使用者によって意味する内実が全く異なっているという場合がある。啓蒙主義の人権思想に言う自由と、聖書的な自由とがそうである。

「自由は障害・拘束・強制等の妨害的条件がないことをいう。自由は<・・・・からの自由>であっる。これに対し<・・・・する自由>はその何かを明示し、それに対する妨害的条件がないことをさす。<・・・・からの自由>と<・・・・する自由>は不可分の両面をなしている。行為の目的と条件によって自由は多様な意味を持つ。それらを明示しないかぎり、自由という概念は空虚である。(後略)」(岩波哲学辞典「自由」)

 そこで、我々は啓蒙主義にいう自由と、聖書的な自由それぞれについて、それが<・・・・からの自由>であり<・・・・する>自由であるのかを明瞭にしたいと思う。  まず、ごく大ざっぱに歴史的背景について。近代の自由をめぐる戦いは、教会権力と国家権力の束縛とに対する戦いとしてなされた。教会権力というばあい、それはカトリック教会あるいは各国家教会の如く俗権と癒着した教会権力である。この聖俗二つの癒着した権力からの独立の戦いをなした人々には二種類あった。一つは啓蒙主義思想家であり、一つは自由教会主義者であった。両者は戦いの相手について表面的な共通性を持つ。つまり、<国家権力・国家教会の束縛からの解放としての自由>という点において共通する。

 宗教改革者たちは、ローマ教会の教権からの自由のために戦ったが、それはあくまでも聖書の福音に従うことを願ったからである。当時のローマ教会が、教会の伝統によって神のことばを教えにおいても実践においても無にしていたからである。ところが、ローマの教権からの自由を目指すという願いが当時、実力を蓄えてきつつあったヨーロッパ各地の国王・領主・都市の利害と一致するところがあった。また、ローマ教会からの圧迫によってプロテスタントは領主の保護を求めることを余儀なくされた。そこで、彼らはローマの教権から脱するために勃興してきたプロテスタント運動を保護し、利用しようとしたふしがある。こうしてキリスト教は領主・国・都市ごとでプロテスタント・カトリックのいずれかに決定されるようになる。

 しかし、たとえ国教はカトリックであると王が決定しても、聖書への忠誠を誓うキリスト者たちは、これに満足するわけがない。たとえば、スコットランドにおいては国王はカトリックを国教とすることを望んだが、ジョン・ノックスたちは徹底的に聖書への忠誠をまっとうしようとして長老教会を組織し、多くの殉教者が出た。イングランドは英国国教会を組織するが、これが半分カトリック的であるとしたピューリタンたちが英国国教会からの自由をもとめて教会を組織する。フランス、ドイツ、オランダ、イタリア、スイスいずれの地において、それぞれ歴史的背景にはばらつきがあるにしても国教会制度から解放されて組織された教会が自由教会である。自由教会主義の理念を明瞭に表現しているのが、ピューリタンの信仰告白書の一文であろう。

「神のみが良心の主であり、神は信仰または礼拝の事柄において、何事であれ御言葉に反するまたは御言葉の外にある人間の教えと戒めから、良心を自由にされた。それで良心を離れてこのような教えを信じまたは戒めに服従することは、良心の心の自由を裏切ることである。また盲従的信仰や絶対的・盲目的服従を要求することは、良心の自由と理性とを破壊することである。」(ウェストミンスター信仰告白20:2)    彼らは信教の自由のために戦ったが、それは神の御言葉への服従を求めるためであった。神の御言葉に服従するために、カトリック権力、国家権力からの解放を希求したのが自由教会主義における自由である。自由教会主義の自由とは、<カトリック権力・国家権力からの自由>であり、<神の御言葉である聖書に服従する>自由なのである。

 それはさらに煮詰めることができる。なぜ自由教会主義者たちは、血を流すことさえいとわないでカトリックの教権や国家権力からの自由を求めたのか。それは、「信仰または礼拝の事柄において」当時のカトリックや国教会の教えにしたがうことが罪であると彼らが認識したからである。カトリックや国教会の教えは「御言葉に反するまたは御言葉の外にある人間の教えと戒め」であると認識したからであり、これに従うことは罪であると認識したからである。つまり、彼らが求めた自由とは<罪からの自由>であり<神の御言葉に服従する自由>であった。聖書信仰に立つ我々の自由とは、この意味での自由にほかならない。

3.啓蒙主義者の求めた自由

 日本国憲法「第十章 最高法規 第九十七条」に次のようにある。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 基本的人権の背景には、ここにいわれるように「人類の多年にわたる自由獲得の努力」がある。それは、英国のマグナカルタ以降の諸法規、米国の独立宣言を代表とする諸法規、フランスの人権宣言を代表とする諸法規などのうちに現れている。まず、英国のマグナ・カルタは一一九九年に即位したジョン王が王権の伸長を図り封建的契約違反を行なったため、諸侯がジョン王に対して王権の制限を求めた文書であった。諸侯の立場から言い換えると、<王の圧制からの自由>を求めた文書である。

 「一七七六年七月四日 コングレスにおいて十三のアメリカ連合諸邦の全員一致の宣言」(米国独立宣言)は、新大陸諸州の<大英国の暴政からの自由>を宣言した文書である。

「(前略)長く存続した政府は、軽微かつ一時的の原因によっては、変革されるべきでないことは、実に慎重な思慮の命ずるところである。(中略)しかし、連続せる暴虐と簒奪の事実が明らかに一貫した目的のもとに、人民を絶対的暴政のもとに圧倒せんとする企図を表示するにいたるとき、そのような政府を廃棄し、自らの将来の保安のために、あらたなる保障の組織を創設することは、かれらの権利であり、また義務である。(後略)」

 周知のごとくフランス革命はブルボン王朝の<圧制からの自由>求めた革命であった。そこで、フランス革命の時期に編まれた憲法草案のうちには抵抗権ないし革命権を明記したものがある。

「第三十一条 社会として集合する人々は、圧制に抵抗する合法的手段を有すべきものである。」(ジロンド憲法草案における権利宣言 一七九三年) 「第三十五条 政府が人民の権利を侵害するときは、反乱は、人民および人民の各部分のための権利の最も神聖なものでかつ義務の最も不可欠なものである。」 (以上、『人権宣言集』岩波文庫)

 このようにもろもろの人権にかんする宣言が求めていた自由はいずれも<国家権力の圧制からの自由>を意味するものであった。

 また、ヴァジニア信教自由法(1786年)においてジェファソンは、「第二項 何人も、宗教的礼拝に参列し、宗教的場所を訪れ、または教職者に経済的支援を与えることを強制されない。(後略)」として公立教会制度そのものの解体を図っている。フランス革命の「人および市民の権利宣言」第十条では「何人もその意見について、それが、たとえ宗教上のものであっても、その表明が法律の確定した公序を乱すものでないかぎり、これについて不安をもたないようにされなければなならない。」と言われている。つまり、<カトリック権力・国教会権力からの自由>を宣言しているのである。

 以上のようなわけで、近代の人権思想における自由とは<国家権力の圧制・国教会あるいはカトリック権力からの自由>である。これらの人権宣言の思想的背景には、啓蒙主義思想家たちと自由教会主義者たちが混在していた。<・・・・からの自由>という点においては、宣言の文言上では両者共通していたのである。

 では、啓蒙主義者たちは<何をする自由>を追求したのであろうか。啓蒙主義思想とは「蒙(くら)きを啓(ひら)く思想」のことである。啓蒙主義者が「暗やみ」であると考えたのは、封建主義における権威や偏見や信仰のことである。そして闇を照らす光とは人間の理性である。理性にかなわない事がらは一切迷信や偏見とされたのである。聖書もまた啓蒙主義者たちの理性による批判の対象となり、聖書に啓示された神観もまた理性による批判の対象となった。

 たとえば、英国の啓蒙主義者ジョン・ロック(1632-1704) はデカルトの影響を受けて自己の存在の直観から神の存在を証明する(『人間知性論』第十章)。しかし、彼の信じた神とは聖書に啓示された、万物を創造・保持し、しかも、御旨にしたがってこれに介入なさることのできる生ける神ではない。彼の神は造物主ではあるが、万物を創造したのちには、これに超自然的介入のできない神つまりデイズム的な神にすぎない。最後の著作『聖書に述べられたキリスト教の合理性』では、彼はキリスト教の合理化を試みたのである。

 ロック思想の影響下にある米国の独立宣言に有名な次のことばがある。

「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。」(岩波文庫『人権宣言集』p114)

 周知のごとく、この独立宣言はトマス・ジェファソン(1743-1826) によって草案が書かれた。ジェファソンは、創造主を信じキリスト者を自称していたけれども、イエス・キリストの神性は信じてはいなかった。ジェファソンはベジャミン・ラッシュへの手紙(1803 年4 月21日) において次のように述べている。

「私はしかし、イエスその人の純正な教えに反対なのではありません。私はキリスト者です。・・・( 中略) ・・・私は、また(イエスが)すべての人間としての卓越せる善美の徳性に満ちた人であったと認め、それ以外の( 人間以上の) すぐれた性格はキリストみずからも主張しなかったものと信じています。」

 つまり、ジェファソンにとってイエスは卓越した博愛と道徳の教師であり模範ではあったが、神ではなかったのである。彼にとって大切なのはイエスの道徳的教えであって、イエスの神性や十字架の贖罪や復活ではなかった。つまり、合理主義的な理性の納得できる範囲内でイエスを認めたにすぎなかったのである。独立宣言にいう「造物主」とは国家権力からの人民の自律を保証させるためのやはり「至高の存在」に過ぎない。

 フランス革命の指導者ヴォルテール(1694-1778) はどうだろうか。ヴォルテールは英国のロックの啓蒙主義思想に強い影響を受け『哲学書簡』によって、絶対王政下のフランスの政治・宗教・思想・科学や風俗の一切を批判する。著書『哲学辞典』の「無神論」の記述に「無神論は狂信ほど有害ではないが善徳にとってほとんどつねに致命的だ」というようにヴォルテールは無神論に対して否定的であったが、さりとて伝統的キリスト教を支持していたのでもなかった。格別、ヴォルテールが批判的であったのはキリスト教における原罪の教えに対してであったことが、『哲学書簡』終章のパスカル批判を読むとよくわかる。ヴォルテールは楽観的人間観を持っていたので、パスカルが描く罪深く悲惨な人間像にはがまんがならなかったのである。ヴォルテールがいう神とは、創造主・保持者であり、罪を罰するにかるく徳行に報いるにあつく、力ある善良な「至高の存在」で、それは啓示によらずに知ることができるものとされた。そして、彼にとって宗教とは格別の教義ではなく神を信じて善を行なうということであった(『哲学辞典』「有神論者」)。結局、ヴォルテールの神もまたジェファソンのいうのと同じような理神論的な「至高の存在」である。理にかなう「至高の存在」と楽観的人間観と道徳的教えというのがジェファソンとヴォルテールに通じる宗教観である。

 また、フランス革命最大の思想家であり『百科全書』の編纂者の一人として知られるディドロ(1713-84) は、十三才から二年間は剃髪して僧職につくことを志し、断食と苦行に明け暮れたことがあった。しかし、やがてパリに学びヴォルテールの『哲学書簡』に感激し、理神論者シャフツベリらの英国啓蒙主義思想の影響下に彼は理神論者となり、著書『哲学断想』において理神論を唱えるようになる。神の存在は不合理であり、同時に無神論も宇宙の秩序を説明できないゆえに不合理であるから、唯一合理的なのは理神論であるというのである。が、後年にはディドロはさらに無神論を公然と唱えるようになり、死の床まで自説を曲げなかった。

 理性の自律を求める啓蒙主義思想は、まず理神論によって理性の承認する範囲内に「神」を幽閉してしまうが、やがては「神」を処刑してしまうのである。ディドロの思想的遍歴は近代啓蒙主義思想がたどる悲劇的な道程を象徴している。

 啓蒙主義者にとっての神とは理性なのである。彼らが追求したのは<人間が理性によって自律する自由>であった。それを妨げるものは、ローマ教会の教権であれ聖書であれ、理性によって否定したのであった。フランス革命は、反カトリック的な革命であった。教会を「理性の神殿」とするためにパリ・ノートルダム寺院をはじめ多くの教会の中に聖母マリア像にかえて自由の女神像を安置し、「国家理性」の神格化、「最高存在」への礼拝も導入されたという(丸山忠孝『キリスト教会二千年』p201)。啓蒙主義の影響を強く受けているわが国の教育によれば、フランス革命は中世の迷信の暗黒にかえて理性による「自由・博愛・平等」を実現させた栄光に満ちた革命ということになっているのであるが、実態はどうも違ったようである。教会に対するフランス革命政府の施策は、教会に神棚を設置させ、宮城遥拝を求めた戦前・戦中の日本当局の姿と本質的に変わらない。国家が全体主義に陥るならば、思想的な左右の傾向を問わず神に敵するものとなってしまうのである。

 啓蒙主義思想における自由とは<国家権力の圧政・国家教会権力、そして、神の言葉からの自由>であり、<理性によって人間が自律する自由>なのである。

 そもそも近代における啓蒙主義の土台である自然法思想は、ストア哲学を起源とする。ストア哲学によれば、世界理性の種子が世界中にゆきわたって世界全体を支配している。人間の自然(本性)は世界理性の分身である人間理性であり、これが万人に共通しているので、人類は本来平等とされたのである。これを近世になって新たに取りあげたのが「自然法の父」と呼ばれるグロティウス(1583-1645) である。彼は、自然法は<神によっても変えられぬ>ものとし、<国民法>の基礎もこの自然法にあるとした。(岩波哲学小辞典「ストア派」「自然法」参照)。「神によっても変えられぬ」自然という思想は、デイズムと軌を一にしている。自然は神の支配も介入も受けぬ自律的存在とされる。当然、理性という人間的自然も神の支配をも拒否する自律的存在なのである。

 このように啓蒙主義者の天賦人権論は、神への服従義務を主張する根拠ではなく、むしろ人間の自律と権利を主張する根拠であった。それゆえ、啓蒙主義の思想的系譜はデイズムから無神論的自由主義へとつながっていく。つまり、自由主義は国家の束縛ばかりか神の束縛をも否定するのである。

 要するに啓蒙主義的な自由とは、<国家の圧制・国家教会・カトリック教権からの自由>という側面においては、聖書的キリスト者と表面的に共有する部分があるが、<神の言葉から自由>になり<理性によって自律する自由>を目指すことにおいて、聖書的キリスト者の自由とはまったく異質なのである。キリスト者の自由が目指すところが<神と聖書への服従>であるのに対して、啓蒙主義者が究極的に目指している自由とは、善悪の知識の木を盗み取った人間が自ら理性において神とならんとした、あのへびの誘い込んだところの偽りの自由なのである。

 キリスト者は「信教の自由」をめぐって国家を向こうにまわして語らねばならないとき、期せずして啓蒙主義的背景のある人々や他宗教団体と「共闘」のかたちになるという場面に出くわすことがある。それは、憲法のなかでは「信教の自由」は「思想・信条の自由」「表現の自由」「言論・出版の自由」「集会・結社の自由」などと並んで、基本的人権の中に位置づけられているからである。筆者としては意図して彼らと「共闘」すべきだとは思わないが、結果的にやむなく「共闘」のかたちになる場合があるだろう。そのようなとき、キリスト者は、自らが何を目指しているのかということを忘れて、<罪からの解放と神への服従>にこそキリスト者の自由があるという福音の本質を見失わないように注意しなければならない。

4.「自由」実現のための二つの近代国家理念

 啓蒙主義思想が自由を実現するための方法として提出してきた国家理念は大まかに言って二通りある。一つはジョン・ロック流の自由主義であって、国家の個人への束縛を最小限度にとどめることによって、国民の自由を守ろうとする最小限国家論である。ところが最小限国家による自由主義の場合、国民の中には有産階級が無産階級を支配するということが放置されることになり、不平等社会となってしまうきらいがある。つまり国家が国民を束縛しないかわりに、有産階級が無産階級を束縛するのである。典型的には、産業革命時代のイギリスがそうであった。

 最小限国家による自由主義は不平等をもたらすという弊害を避けるために案出されたのが、国家本位的自由主義である。これはルソーに始まりマルクスへと展開した。国家本位的自由主義は、国家を人民が支配する機構に改造することにより、国家を通して人民の自由を保証せんとする。この場合、自由とは人民による自治にほかならない。つまり、人民が自ら治める立場に立つならば、全くの自由になるという理念である。

 しかし、国家本位的自由主義には誤りがある。それは「人民」なるものはどこにも実在せず、現実には、あの人この人がいるだけであるということである。あの人にもこの人にも「人民」というレッテルを押し付けて、人民であるならば、これを信じ、このように考え、このように行動しなければならない、そのようにしない者は「非人民」であるというなる。結局、資本家から解放されたはずの人民は、国家の束縛のもとに置かれる。資本家は金銭によって労働者の肉体を束縛したが、国家は法律・警察・教育によって肉体ばかりかたましいまでも束縛する。全体主義国家においては、その全体主義国家体制を心から真理であると信奉する者のみが自由なのである。ソ連、中華人民共和国、北朝鮮、東欧諸国、カンボジアのポルポト政権いずれの共産主義政権においても、こうした思想統制が出現した。

 国家本位主義に立つならば、左翼も右翼と同様に全体主義に陥るのである。国家本位的自由主義は人民の自治政府を実現するまでは、その戦いは人民自治でない国家権力からの人民の解放を指向するので、「自由」を叫ぶ。が、ひとたび人民の自治政府が樹立されると、人民の自由とは国家イデオロギーへの盲従のほかの何者でもない。盲従せざるものは「非人民」である。

 日本国憲法の立場はロック流の自由主義に近いと言えよう。しかし、最小限国家論による自由主義経済が世界恐慌をもたらしたという歴史的反省、そしてこれに一定の解決を与えたというケインズ経済学の採用があって、実際的には日本では国家が特に経済分野においてかなり規制をし、また福祉分野にも手を染めている。そういうわけで、日本社会は原則としてはロック流の最小限国家による自由主義に立ちつつ、その欠陥を補うために格別経済分野での規制を国家がしてきたのである。

 聖書的観点からいうならば、我が国が最小限国家論を基本としていることは望ましい状態といってよい。なぜならば、聖書は全体主義はどのようなものであれ、結局国家を神とする偶像崇拝に陥り、悲惨な結果に至ることを述べているからである。神が国家に与えられた職務の範囲は、剣の務めによる悪の抑制と富の再分配による不平等の抑制という外的な働きに限られるのである(第一章を参照)。

終章 キリスト者と教会の国家に関する任務

 いつかこの国に民族主義が勃興するときにも、再臨が迫り獣の国が出現するときにも、私たちは聖書に啓示された国家問題にかんする知恵をしっかりと認識しておきたい。最後に私たちの実践についていくつかのポイントにまとめておきたい。便宜上、キリスト者と教会の職務を、キリストの三職になぞらえて祭司、預言者、王とする説にしたがって整理する。

1.キリスト者として基本的態度

「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」(1ペテロ2:17)

 教会が政治的問題について発言・行動するときに見失いがちなのが、「愛をもって真理を語る」ということ、また権威者に対する敬意ではなかろうか。「すべての人を敬いなさい。兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を尊びなさい。」(1ペテロ2:17) それは現代は啓蒙主義的な革命権思想が政治的闘争における常識となっているからである。啓蒙主義者たちは声高に「打倒」「怒り」云々と叫ぶ。国王をもギロチンにかけた思想の体質がそうさせるのだろうか。しかし、キリスト者である私たちは、この点まきこまれぬように注意しなければならない。

 聖書によれば、たといそれが悪魔に利用されていたとしても、国家権力がキリストによって立てられたものであることに、変わりはない。我々は、主のゆえに、王や総督を敬意をもって重んじなければならない(1ペテロ2:13,14) 。ペテロの手紙が書かれた当時のローマ帝国の皇帝は暴君ネロであったと言われる。また、旧約時代の実例としては、ダビデは、自分を殺害しようとする狂気のサウル王さえをも「主が油注がれた方」としてあくまでも重んじた(1サムエル24:3- 6)。私たちは、信仰上の理由で迫害されるようなことがあっても、憎しみをもってこれに報いてはならない。信仰以外の理由で、教会はこの世の者たちにそしられる理由を与えてはならない。怒りに対して、怒りを報いず、悪に対して悪を報いず、「善を行なって、愚かな人々の無知の口を封じることは、神の御心だから」である(1ペテロ2:15)

 ネロの教会迫害の時期に書かれたペテロの手紙第一には学ぶべきことが非常に多い。

「人がもし、不当な苦しみを受ながらも、神の前の良心のゆえに、悲しみをこらえるな ら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、模範を残されました。」(1ペテロ2:19-21)

2.祭司として

「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平和で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの神の御前において良いことであり、喜ばれることです。神は全ての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(1テモテ2:1,2,4)

 国が全体主義化するとき、その背後にはサタンの動きがある。この戦いは血肉を敵とする政治的戦いではなく悪魔を敵とする霊的戦いである。したがって、教会は祈ることが第一に重要である。

 上のみことばに命じられているように、教会が国家の統治者のために祈る祭司としての任務は、次の二つである。

1.国家の統治者が良い政治(つまり、神のしもべとして「民の福祉と悪の抑制」という職務に専念すること)をし、我々が敬虔に、威厳をもって平和で静かな一生を過ごせるように、とりなし祈ること。

2.権威者の救済のために祈ること。権威者のなかには立法・司法・行政の三権の長たちはが含まれている。また政治的権能はないにしても、国事を行なう天皇も含まれている。注意すべきことは、天皇が救われるということは、現状の天皇としての職務を行ない続けることができなくなることを意味している。天皇の「実際的」職務の実態は、今日でも平たくいえばもろもろの神々に仕える神主であるからである。神主ももちろん救われてクリスチャンになることはできるが、その時、彼はもはや神主は続けられまい。同様に現在の天皇がキリスト者となって救われるということは、彼が天皇の地位を去るか、あるいは、天皇の職務内容を改変するかということを意味している。

3.預言者として

「人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに警告を与えよ。」エゼキエル3:17

 キリスト者の預言者的任務とは、神の御言葉を伝えることである。この中には福音宣教が第一にあることはいうまでもない。しかし、対国家的ということでいえば、キリスト者は国家の過ちに神の言葉をもって警告する任務が与えられているということである。それは、「怒り」を込めて「打倒」を叫ぶような種類のものではない。その種の叫びにおいては我々はすでに「剣を取っ」ていることにならないだろうか。新約聖書は国家権力の教会への迫害に対して、教会が剣を取ることを明白に禁じている。

「とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺すものは、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。」(黙示録13:10)

「そのときイエスは彼に言われた『剣をもとに納めなさい。剣を取るものはみな剣で滅びます。』。」(マタイ26:52)

 むしろ、キリスト者は「愛をもって真理を語る」べきである。

 また、預言者のことばは権力者への嘆願でもない。神のしもべである「上に立つ権威」に対して礼節をわきまえつつなすところの、神の言葉による権威ある警告である。ナタンがダビデを責め、エリヤがアハブを責め、バプテスマのヨハネがヘロデを責めたように。今日であれば、「国家のキリスト礼拝への口出しは罪であり、それは、神の国家への裁きを招くゆえ止めなさい」と統治者に公然としかし礼儀をもって警告することである。

 但し、聖書的に見て、このつとめが常に全てのキリスト者に与えられているとは必ずしも思われない。エリヤのように公然と王に警告を与えた預言者以外に、秘にバアルに膝を屈めない七千人がいたのである。みながステパノのように公然と福音的警告をなして殉教したのではない。大多数は別の町へと逃げて、福音を語り広めたのである(使徒8:1-4)。また、それは主イエスが弟子に与えた基本的な伝道上の心得であった(マタイ10:23) 。確かに平時、教会は「山の上の町」として世界の光でなければならない。が、弾圧が厳しいときあくまで「山の上」にとどまるために、反キリストの機嫌をうかがいながら偽キリスト的宣教をするよりは、地下にもぐって真実の光をともし続けるほうが良いのである。しかし、その召命を受けた者はいやがおうでもエリヤ、エレミヤ、ステパノのごとく公然と立たねばなるまい。

4.王として

「ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。『人に従うより、神に従うべきです。』」 使徒5:29

 王の職務としては、第一章−1−(2)に学んだように、日本国憲法にあって国民自身が「上に立つ権威」であり、かつ、「上に立つ権威」の下にあるものである。我々は、「上に立つ権威」に主が託された職務と限界をわきまえて、それが正しく遂行されるように、政治に参加しなければならない。選挙において、あるいは自ら政治家や役人として職務を遂行するにあたって、神がこの世の権威に託された職務をわきまえることである。

 また、王であるということは、主権を持つ独立した者という意味である。キリスト教会が常に共通して、あくまで戦うべきところは、「信仰上の独立」を守るという所においてである。

 では、「信仰上の独立」が侵害されるという事態は、具体的にはどのようなかたちで現われるか。聖書において、聖徒たちが上に立つ権威の命令に背いても守り通すべき神の命令であると認識していた信仰上の独立に関わる事柄は、まことの神のみを礼拝することつまり偶像礼拝を拒否することと(ダニエル3:1-8) 、今一つは伝道をするということである( 使徒5:27-29)。つまり、たとい国法で命じられても偶像礼拝はしないということと、国法で禁じられても伝道は続けるということが信仰の独立のための戦いである。歴史上の実例を見ても、国家は教会政治への介入、教師人事への介入、教理、礼拝・伝道活動への介入などをしてきている。

 もし教会が「信仰上の独立」を放棄し、神の言葉を国家権力の下に置くならば、かつてのように教会自身があの第二の獣に成り下がるであろう。そして、結果的には国家主義の暴走を許して、教会に対するばかりか国家に対する神の裁きを招くことに加担することになる。教会の「信仰の独立」のための戦いは、結果的には国家を歴史の審判者である神の怒りの裁きから守り、祝福をもたらすことになる。