ヨハネの黙示録

Fri, 24 Jul 2009 11:34:41 JST (3042d)

聖書66巻

黙示録は「預言の書」です。これから先何が起こるのか?それが黙示録には啓示されています。

はっきりしていることは、世界を始められた創造主、王の王、主の主なる神が今も生きて働いておられ、すべてのことを正しく裁かれる日、最後の審判の日、ジャッジメント・デイが近づいているということです。

もしすべてが正しく審判されることがなければ、人生そのものが不条理となります。「正直者がバカを見る」「弱肉強食」の救いのない世界となります。

また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。ー黙示録22章10−21節

小羊の王国ー黙示録は終末について何を語っているのか

岡山英雄 2002

患難期後携挙説&千年期前再臨説

教会の希望は、終末的苦難を受けないことではなく、苦難を通して聖められ、キリストとひとつとされていくこと。

患難期前携挙説は19世紀のイギリスで生まれ、20世紀のアメリカで広まった近代の新説。

麦の成長:小羊の王国 毒麦の成長:獣の国 刈り取りの日:新しい天と地

神の民にとって、苦難は直面する現実であり、信仰のリアリティである。苦難の時代における教会の在り方を考察することは、教会とは何か、世界とは何か、歴史とは何かを問うことである。混迷を深める時代において、表面的な事象に目を奪われることなく、それらを動かしているものの実体を見極め、その奥に潜む闇の力と戦いつつ、なおそれを乗り越えた勝利と希望に生きることこそ、教会が教会として地上に立てられていることの意義であり、真の意味でその「社会的責任」を果たすことであろう。

キリスト教終末論の、二十一世紀における最大の課題とは、苦難の時代における教会の在り方を明らかにすることである。新しい世紀を迎えた今、過去の遺産を継承しながらも、もはや前世紀の特殊な「神学」に縛られる必要はない。むしろ終末に関する聖書の警告に真剣に耳を傾け、苦難の時代の研究を深め、それによって日本から世界へ、独自の神学を発信することが、私たち日本のキリスト者に求められているのではないだろうか。