イスカリオテのユダ

Thu, 07 May 2009 18:57:01 JST (2879d)

なぜイスカリオテ・ユダは主イエスを裏切った(引き渡した)のか。ヨハネ福音書12章に記されている、ナルドの壺を割って高価な香油を主イエスに注いだ女に対するユダの反応にヒントがある。彼はマリヤという女性が、高価な香油を主イエスに献げたことに抗議した。彼は財務を任せられるほど信頼を勝ち得ていた人物であったが、預かっていた金入れからいつも盗みを働いていた盗人であったという事実も、ここで明らかにされている。

『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。あなたがたは、貧しい人々とはいつもいっしょにいるが、わたしとはいつもいっしょにいるわけではないからです。」』ヨハネ12:1−8

これまで彼は、主イエスの招きに応えて弟子として歩んではいたが、自分が主イエスの弟子となったこと、自分を主イエスに献げたことを、しなければよかったと後悔するに至った。マタイ福音書の26章を見ると、高価な香油を主イエスに献げたことに憤慨したそのすぐ後で、イスカリオテ・ユダは、主イエスを売ることを具体的に考え、そしてそれを行動に移していったことがわかる。

『イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談した。しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから」と話していた。さて、イエスがベタニヤで、ツァラアトに冒された人シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。』マタイ26:1−16

ユダにとって主イエスは、最終的にはお金(銀貨30枚)で売り渡すことができるような存在になってしまったのである。

イスカリオテのユダ。実は彼はユダヤ人を代表しているし、全世界のすべての国民を、つまり私たち、もっと言えばあなたを代表している。

神を神とせず、自分を神として生きる者。神を主とせず、自分を主として生きる者。そのような自己中心な人間(聖書が語る罪人)は、自分にとって御利益がないと思われる神、あるいは自分勝手に生きるためには邪魔になる神を、お金で売り渡すことができる。

そして私たちはみな、イスカリオテ・ユダがしたのと同じように、人となられた生けるまことの神、主イエスご自身を、売り渡し、十字架につけて殺した殺神者である。

しかし主イエスはそのように罪深い私たちを愛し、私たちの身代わりとしてご自身を十字架の死に引き渡され、3日目によみがえられ、今も生きておられる。