なぜ人を殺してはならないのか

Thu, 07 May 2009 10:51:24 JST (2940d)

秋葉原で起こった連続殺人事件とその報道に群がる、人の痛みをまったく感じることのできない人々を覚えつつ・・・。

ここに立派な陶器があるとしましょう。もしあなたが、その陶器を造った陶器師、つまりその陶器の造り主であれば、自分の造った作品が気に入らなければ、それを壊す権利を持っています。けれどももしこの陶器が、あなたではなくて他の人が造った陶器ならば、気に入らないからといって、他の人の造った作品を勝手に壊す権利を、あなたは持っていないのです。

私たち人間はすべて、造り主なる神の作品であって、決して偶然に存在しているわけでもないし、いのちは人間が造り出したものではない。そして神は、決して失敗をなさらない造り主。一人一人をその人にしか出来ない目的をもって造られたお方。その目的が達成された時に、いのちを取られるお方。そう聖書は語っています。

もしあなたが、他の人の造り主であるなら、その人を殺す権利があるでしょう。しかし私たちは造り主ではなく、すべての人は造り主なる神の作品なので、あなたには神の作品である人間を勝手に殺す権利、勝手にいのちを奪う権利は与えられていないのです。

人を殺すということは、神の作品を壊すということです。人を殺すということは、神の作品である相手の存在価値、あるいは自分自身の存在価値を認めないということです。そして人を殺すということは、傲慢にも自分が相手の造り主の立場に立つことなのです。

あなたは、「なぜ人を殺してはならないのか」という問いに、自分で納得のいく答えを持っていらっしゃるでしょうか。

弱肉強食を肯定し、偶然や自然沙汰という考えによって創造主なる神を完全に否定する進化論こそ、自殺、殺人、いじめ、虐待、新自由主義、市場原理、格差社会、ワーキングプアーを生み出している思想です。

ドストエフスキーが文学を通して訴えているように、「神がいないなら、何をしても許される」ということです。

啓蒙思想、ヒューマニズムは完全に行き詰まっています。