かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん

Sat, 12 Feb 2005 12:51:41 JST (4608d)

主は聖霊によりてやどり、おとめマリアより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり三日目に死人の内よりよみがえり天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり

使徒信条において、 「やどり」、「生れ」、「苦しみを受け」、「十字架につけられ」、「死にて」、「葬られ」、 「よみがえり」、「のぼり」 までは、すべて完了形で表現されていて、過去の出来事として告白されます。

しかし、「座したまえり」ということばは、現在形で表現されています。 「イエス様が全能の父なる神の右に座っておられる」ということは、 現在の出来事として告白されるのです。

そして、

かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。

という告白では、「きたりて」という未来形の動詞が使われます。 ここでは、「イエス様が再びこの世に来られる」という将来の出来事が、今すでに告白されるのです。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、 キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、 二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。 (ヘブル人への手紙9章27−28節)

2000年ほど前、世界で最初のクリスマスの時に、イエス様はこの世に来て下さいました。 それは、私たちの罪をすべて背負って、ご自身を十字架の上で捧げるためでした。 私のために、あなたのために、十字架の上で裁かれるために、 裁き主であるイエス・キリストが、来て下さったのです。

「私はあなたを、いのちをかけても惜しくない存在として愛している! 」 その愛をイエス様は、十字架の上で最高に示して下さいました。

ですから、誰でもキリストの十字架が私の罪のためであったと信じるなら、 ただ信じるだけですべての罪が赦されて、 神の子とされ、永遠のいのちを持つことが出来るのです。

イエス様は、将来必ず、この世に再び来られることも約束されました。 キリスト教会は、そのことを「キリストの再臨」と呼んで、今も待ち望んでいます。 二度目は、罪を負うためではなく、イエス様を待ち望んでいる人々の救いのために来られるからです

イエス・キリストが再臨されるその時、 すべてのことが明らかにされます。 その時、すべてをご存知の主イエス様の前で、私たち一人一人がどう生きたかが問われるのです。

罪を持ったままでは、天国に決して入れません! キリストを信じ、新しく生まれなければ、人は神の国を見ることは出来ないのです。

あなたは、罪の問題に解決を持っておられますか? あなたは、今日死んでも天国に行ける確信をお持ちですか?

まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。 (ヨハネの福音書6章47節)

イエス・キリストは、決してあなたが罪の中で滅びることを望んでおられません! イエス様は、あなたが悔い改めて、つまりイエス様の方に方向転換をして、 永遠のいのちに生きることを、切に願っておられます。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 (ヨハネの福音書3章16節)

(野町)